文殊師利大乗仏教会
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本日のことば
Today's Voice
本日の言葉
多くの仏典の言葉から、日々ひとつひとつの言葉に向き合えるためにいくつかの連載をしています
弥勒仏への悲讃
参学への道標
水の教え
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第13回
人間と人間界は神々や天国よりも価値がある
神々の暮らしは、人間に比べれば、随分と華やかで愉快なものである。人間から見たら羨ましい限りであるが、神々という特権階級に生まれた者たちは、実に幸福で快楽を思う存分享受できる。神々に生まれた場合に最も良いことのひとつには、身体も常にとても軽く、すこし退屈な気
2021.02.24
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第11回
触れて感じることのできるもの
触覚が対象としているものが触処であり、身根という皮下を走っている神経系の感覚の感触を分類すれば、触覚が対象に触れるだけで得られる地水火風の四大種の感触と、触覚が対象と接触している時間的変化によって得られる七種の大種所造の感触とに分類することができる。
2021.02.07
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第12回
無限の価値のある人身を維持しようとすること
仏教とは解脱と一切相智である決定勝の境位を実現することを生の目的とすべきであると考える宗教であるが、その境位を実現するための土台であり、環境となる有暇具足の人身を繰り返し確実に得たいと思い、そのための努力をし、それを得ることが解脱を得るまでの暫定的な生の目
2021.01.27
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第10回
最勝なる美味とはどんな味なのか
舌識すなわち味覚が対象とするものが味処であり、これを分類すれば、甘味・醋味・醎味・辛味・苦味・淡味の六種がある。醋味とは酸味のことであり、醎味とは塩味のことであり、淡味とは味が薄いということではなく渋味のことであり、この味処の六味への分類が根本分類となる。
2021.01.24
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第11回
慈しみの灯明がある場所で再会するということ
私たちはどんな宝石よりも入手困難な高価で貴重な人身というかけがえのない宝物を授かって生まれてきた。この身体は脆く壊れやすいが、非常に便利なものであり、様々な使途に活用できる。自分の身体だけでできないことであっても、他人の身体の助けを借りてさらに活動範囲を広
2021.01.20
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第9回
煩悩を鎮め善を活性化する薫の君
戒律の香りは決して衆生を害することなく、香の成分は善なる営みを活性化し、常に慈悲心に満ちすべての煩悩を鎮める香りにほかならない。私たちはいつの日か佇んでいるだけで衆生を救済する如来の身体の香りを実現しなければならない。
2021.01.15
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第10回
人間の皮を着ただけの臆病な羊たち
地獄に生まれたこともあった。神々たちと一緒に享楽的に過ごした時もあった。何を食べても満足できず吐き出すこともあった。生まれた時から武器をとり殺戮しあう戦乱の時もあった。音も聞こえない言葉も発せられない狭い岩と岩に挟まれてそのまま死んだこともあった。獲物を探
2021.01.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第8回
震える他者の身体、記憶に残響する言葉
疲れて眠っている時以外、私たちは常に何か様々なものを見ているし、様々な音を聞いている。聞こえてくるすべての音は、何かの振動であり、物質が振動し、その振動が他のものを振動させ、その波紋が耳のなかの薄い膜へと伝わってきて聴取したものであり、これを音とか声といい
2021.01.11
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第9回
寂静なる年末年始を過ごすために
弥勒仏が具足する如来の不共の功徳へと思いを寄せ、ここまでの詩偈で礼拝をしたが、本偈はそれを結び、次の偈から、自らの不徳を嘆き悲しみつつ告白するという形で弥勒仏に対する請願と礼讃とが続いていく。
2020.12.29
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第7回
如来の身体の色彩と輪郭を学ぶ
眼識が捉えるものが色処であり、これを分類すれば、色彩である顕色と形状である形色の二種がある。これを更に細分すれば、色調たる顕色には、青黄赤白の四根本顕色、すなわち四原色と、雲煙、塵霧・明暗・陰陽の八支分顕色、すなわち派生色/特色とで合計十二種があり、一方形
2020.12.26
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第8回
この世界が歓喜の微笑で満ち溢れるため
本偈は弥勒仏のもつ功徳を礼讃して表現し、弥勒仏が私たちに示している救済が一体どのようなものなのか、ということを具体的に説いているものである。
2020.12.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第6回
物質の所在と価値という幻想
多くの物質に囲まれ、存在数が少ない物質を希少な物質であると考え、たとえば砂糖の結晶とダイヤモンドは同じ組成構造をしているが、ダイヤモンドは価値があるものであり、砂糖の塊は料理にくらいしか使えないものであり、砂糖の塊のために入念に泥棒をする計画などを企てよう
2020.12.04
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第7回
最勝なる法輪へと集うものたち
チベットの僧院の仏殿の正面の屋根には法輪の荘厳がなされている。その法輪の両脇にはいつも二頭のつがいの鹿が静かに佇んでいる。鹿は普段は用心深い生き物であるが、この二頭のつがいの鹿は、決して眼を閉じることもなく、如来の言葉へ耳を澄ませ、耳を傾けている。これは転
2020.11.30
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第5回
現象とは物質・精神・不相応行のどれかである
事物を分けると、物質・精神・不相応行(精神でも物質でもない事物)の三者へ分類可能であり、この三者は対立項である。
2020.11.25
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第6回
人間の獅子であるということ
いついかなる時であれ、如来が言葉を発する時には、すべての衆生たちの中心に位置し、すべての煩悩を断じ尽くしすべての証解を究竟する法輪を転じる
2020.11.20
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第4回
一本の柱を荘厳する無限の可能性
たとえば柱というものを考えてみるならば、柱は正しい認識によって理解されるものであるので、存在しているものであるので、所知であり、所量・所依成立・有・法・基体・縁起・所縁・有法・客体である。この柱には、屋根を支えるという実用能力があるので、これは「事物」であ
2020.11.18
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第5回
稲妻の閃光・如来の十力
地上に咲き乱れる若き花へ落雷することで、どんなに威勢よく咲いていた花もすべて倒れてしまうように、どんな凶悪な魔の軍隊であれ、弥勒仏の無礙なる智慧の力で制圧され、敗北してしまう。その智慧は仏にしかない十の強大なる力を持っているからであり、その強大な力をもった
2020.11.13
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第3回
意識が対象領域となし得るもの
仏教とは、知性の宗教である。釈尊は「ブッダ」となられた方であり、「ブッダ」とは、知るべき一切のものを正しく如実に知っている者ということを意味している。
2020.11.11
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第4回
無敵の慈愛の軍陣にいるということ
暴力と狂気、殺戮や略奪、これらは私たち人類が歩んできた暗黒の歴史である。今日の日本では、その光景を私たちはあまり眼にすることがなくなったが、少し前までは私たちが住んでいるこの場所にも殺されたばかりの赤く黒い血が滴る屍体が転がっていた。
2020.11.05
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第2回
見つからない私を探した洞窟の行者の教え
私たちは現実の世界を生きている。現実の世界は抽象的で観念的ではなく、実際に人々と出会い話をし、共にお茶を飲んで語り合い、太陽の光が差し込む空間で、この世にどのようにあろうとするのか、という有様について考えながら生きていかなくてはならないものである。
2020.11.04
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