文殊師利大乗仏教会
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本日のことば
Today's Voice
本日の言葉
多くの仏典の言葉から、日々ひとつひとつの言葉に向き合えるためにいくつかの連載をしています
弥勒仏への悲讃
参学への道標
水の教え
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第10回
最勝なる美味とはどんな味なのか
舌識すなわち味覚が対象とするものが味処であり、これを分類すれば、甘味・醋味・醎味・辛味・苦味・淡味の六種がある。醋味とは酸味のことであり、醎味とは塩味のことであり、淡味とは味が薄いということではなく渋味のことであり、この味処の六味への分類が根本分類となる。
2021.01.24
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第11回
仏弟子としてスタイルを洗練させてゆく
仏教を学ぼうとする私たちが学ぶべきこととは何かといえば、それは釈尊によって戒・定・慧の三学処を学んでいきなさい、と説かれている。前偈ではこの戒律というものが土台となるということを説いていたが、戒律という三門の制限状態を一心不乱に継続すること、これが定学処と
2021.01.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第11回
慈しみの灯明がある場所で再会するということ
私たちはどんな宝石よりも入手困難な高価で貴重な人身というかけがえのない宝物を授かって生まれてきた。この身体は脆く壊れやすいが、非常に便利なものであり、様々な使途に活用できる。自分の身体だけでできないことであっても、他人の身体の助けを借りてさらに活動範囲を広
2021.01.20
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第9回
煩悩を鎮め善を活性化する薫の君
戒律の香りは決して衆生を害することなく、香の成分は善なる営みを活性化し、常に慈悲心に満ちすべての煩悩を鎮める香りにほかならない。私たちはいつの日か佇んでいるだけで衆生を救済する如来の身体の香りを実現しなければならない。
2021.01.15
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第10回
虚栄心の炎でいま燃えているものとは
無限の遠い過去からいま私たちはここに至って生きている。いま私たちは仏教を学ぼうとしているが、この学問は今生で修了して終わるようなものではない。
2021.01.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第10回
人間の皮を着ただけの臆病な羊たち
地獄に生まれたこともあった。神々たちと一緒に享楽的に過ごした時もあった。何を食べても満足できず吐き出すこともあった。生まれた時から武器をとり殺戮しあう戦乱の時もあった。
2021.01.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第8回
震える他者の身体、記憶に残響する言葉
疲れて眠っている時以外、私たちは常に何か様々なものを見ているし、様々な音を聞いている。聞こえてくるすべての音は、何かの振動であり、物質が振動し、その振動が他のものを振動させ、その波紋が耳のなかの薄い膜へと伝わってきて聴取したものであり、これを音とか声といい
2021.01.11
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第9回
静かにてくてくと遠くへ歩いていく
何かを学ぶという姿勢は、自分が知らないこと、そして自分には至らない点が具体的にあるということを確認することでもある。あたらしいことを学ぶ場合でも、また既に教えてもらったことを思い起こして復習する場合であっても、自分はそれについてよく知っている、そんな考えを
2020.12.30
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第9回
寂静なる年末年始を過ごすために
弥勒仏が具足する如来の不共の功徳へと思いを寄せ、ここまでの詩偈で礼拝をしたが、本偈はそれを結び、次の偈から、自らの不徳を嘆き悲しみつつ告白するという形で弥勒仏に対する請願と礼讃とが続いていく。
2020.12.29
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第7回
如来の身体の色彩と輪郭を学ぶ
眼識が捉えるものが色処であり、これを分類すれば、色彩である顕色と形状である形色の二種がある。これを更に細分すれば、色調たる顕色には、青黄赤白の四根本顕色、すなわち四原色と、雲煙、塵霧・明暗・陰陽の八支分顕色、すなわち派生色/特色とで合計十二種があり、一方形
2020.12.26
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第9回
文明の進化のために洞窟に暮らす
今日私たちは文明社会に暮らし、未開文明の野生生活を営んでいない。それは一体何のためか、といえば、長期的な視点で俯瞰すれば、その生活形式の方がより幸福度が高いからである。
2020.12.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第8回
この世界が歓喜の微笑で満ち溢れるため
本偈は弥勒仏のもつ功徳を礼讃して表現し、弥勒仏が私たちに示している救済が一体どのようなものなのか、ということを具体的に説いているものである。
2020.12.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第6回
物質の所在と価値という幻想
多くの物質に囲まれ、存在数が少ない物質を希少な物質であると考え、たとえば砂糖の結晶とダイヤモンドは同じ組成構造をしているが、ダイヤモンドは価値があるものであり、砂糖の塊は料理にくらいしか使えないものであり、砂糖の塊のために入念に泥棒をする計画などを企てよう
2020.12.04
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第8回
生きるために必要なものを考える
着るものも食べるものも住む家も何ひとつ持たずに、私たちはこの世に生まれて来ている。人生という虚飾に満ちた生活をしばらくの間ここで過ごした後、また何一つもつことなく、死んでいかなくてはならない。
2020.12.01
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第7回
最勝なる法輪へと集うものたち
チベットの僧院の仏殿の正面の屋根には法輪の荘厳がなされている。その法輪の両脇にはいつも二頭のつがいの鹿が静かに佇んでいる。鹿は普段は用心深い生き物であるが、この二頭のつがいの鹿は、決して眼を閉じることもなく、如来の言葉へ耳を澄ませ、耳を傾けている。これは転
2020.11.30
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第5回
現象とは物質・精神・不相応行のどれかである
事物を分けると、物質・精神・不相応行(精神でも物質でもない事物)の三者へ分類可能であり、この三者は対立項である。
2020.11.25
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第7回
犀のように孤独を生きる
私たちは何か小さな問題や障害があれば、それをきっかけとして、こんな善業などそもそも理想であって、出来やしない、とすぐに諦めてしまい、善業を実践することを放棄してしまう。
2020.11.22
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第6回
どんな悪い仲間がどこにいるのか
私たちの心は煩悩に満ちているからこそ、煩悩が起こるのは簡単なことであり、煩悩に支配されるのも簡単なことであるが、その逆の善業を心にもち続けるのは、大変難しいことである。
2020.11.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第6回
人間の獅子であるということ
いついかなる時であれ、如来が言葉を発する時には、すべての衆生たちの中心に位置し、すべての煩悩を断じ尽くしすべての証解を究竟する法輪を転じる
2020.11.20
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第4回
一本の柱を荘厳する無限の可能性
たとえば柱というものを考えてみるならば、柱は正しい認識によって理解されるものであるので、存在しているものであるので、所知であり、所量・所依成立・有・法・基体・縁起・所縁・有法・客体である。この柱には、屋根を支えるという実用能力があるので、これは「事物」であ
2020.11.18
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