文殊師利大乗仏教会
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野村 正次郎の記事
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投稿者記事一覧:野村 正次郎
CIRCLE
2010.08.13
アボのパスポート更新と故郷
みなさまお盆は如何お過ごしでしょうか。現在別院では、ゲンギャウとゲシェー・チャンパのお二人しか居られません。龍蔵院の境内は結構ひろいので朝のお掃除だけでも大変です。アボ、ロサン・プンツォ師はパスポート更新のためにインドに帰っています。いまはゴマン学堂に戻っています。さまざまな連絡 […]
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2010.08.13
アボのパスポート更新と故郷
みなさまお盆は如何お過ごしでしょうか。現在別院では、ゲンギャウとゲシェー・チャンパのお二人しか居られません。龍蔵院の境内は結構ひろいので朝のお掃除だけでも大変です。アボ、ロサン・プンツォ師はパスポート更新のためにインドに帰っています。いまはゴマン学堂に戻っています。さまざまな連絡 […]
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ダライ・ラマ法王
2010.07.18
真実の請願文
1960年9月10日ダライ・ラマ法王がチベットから亡命してすぐに中国によるチベット侵攻の犠牲になったすべてのチベット人、そしてチベット問題の一刻もはやい解決を願って著された詩がこの詩です。この詩は現在も亡命チベット社会のすべての小学校をはじめとしてするチベット社会全体で、チベット […]
CIRCLE
2009.11.17
日本別院における布薩の模様
布薩とは何かの説明と日本別院における布薩の模様をダイジェストでお届けします。
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ケンスル・リンポチェ
2009.10.09
法を成さんとする明日が来る間に死期はいますぐそこへと来ている
宗教というのは死を思い出すことからはじまります。自分の死を考えて、死んだ後どうなるのだろうか、それを考えて行うことから宗教や法というものはあります。 無常観というものを得るためには、常住であるという思いを捨てなくてはなりません。 常住であるという思いとは、「私はこの先もこのまま生 […]
CIRCLE
2009.09.19
アボの五体投地
最近私が夜遅くまで事務所で仕事をしているとアボがビニールシートやらショールやらを集めて、ちょっとこれを貸してくださいというので、何をするのかと思えば、毎日夜不動堂でひとりで五体投地を何度もしています。もともと朝起きたときと夜寝る前に何度もやっていたのですが、最近目標をたてたのでし […]
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2009.09.19
それはすべて芝居であった
日本人の我々がチベットの仏教を学ぶ際に大きな障害になるのは、私たちが学校教育で学んできた唯物史観です。いまの日本人ならば人間は猿から進化したものであると考えておりますし、神話の価値こそ否定しないものも、「それは事実ではなく、神話である」という立場をとって私たちは学校でならってきま […]
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2009.08.17
険しき道ではラマ三宝 野を歩かば歌うたう
昔からチベットで移動は大変です。 険しいヒマラヤの山に囲まれた岩山の間を歩いていかなくてはなりません。 そんな道を歩いていると、ラマや仏法僧などにどうかお守りください、という気持ちが自然と沸きおこってきます。 しかしチベットにはチャンタン高原などに代表される見渡す限り菜の花の広大 […]
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仏教語散策
2009.08.17
文殊師利
文殊菩薩の本当の名前は「文殊師利」のことを表します。これはサンスクリット語の「マンジュシュリー」を音写したもので、漢字自体には意味がありません。 意味をとった訳語は「妙音菩薩」と言います。それは「妙なる旋律で話をされる素晴らしい方」という意味で、文殊菩薩のことばづかいはまるで美し […]
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仏教語散策
2009.08.17
愛語
「愛語」とは他人に対して耳に心地よい喋り方で話すということです。これは菩薩行のひとつに数えられるものです。 インドの大学者アティシャが「粗暴な言葉を使わぬようにして、常に話すことを慎むべきである」と説くように、仏教に関わる者は、言葉づかいを慎まなければいけない、ということです。 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.05
心性本浄論
心の本性は光り輝くものであり、煩悩は客塵である またもうひとつ問題があります。無明とは心の自性にまでその影響を与えているものなのかどうかということです。インドの外教徒ミーマンサー学派の論理では、垢は心の本性にあるとしていますので、だから心が尽きなければ、垢が尽きる事はないとしてい […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0309 成仏のプロセスと三宝
それでは無我を直観する智とは、何から起こるのか、何処に起こるのか、どのように起こるのか。 それは我々の意識、今の段階では我であると捉えているこの意識、我執をもったこの意識、我執にまみれたこの心に、我執の捉える通りの我は成立しているのか?これを何度も何度も検証して考えることで「無我 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0308 仏教の根本実践「非暴力」
「仏教とは何か」これはそれは思想と実践との二つで説明する事ができます。実践としては非暴力、思想としては縁起思想です。 実践としてのこの非暴力の核心は、“悲”を根本とする教えであるからこそ、非暴力の実践が有るというこの関係です。悲の修習を究竟して、悲の力が最大限発揮される時に、非暴 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0307 仏教の根本思想 縁起
四諦説は因果を説くものです。即ち獲得する果である常楽とその因である道諦、果である苦とその因である集、このように因果関係に有るものが説かれています。この因果関係こそが仏教思想のなかの、四つの学派すべてが認める仏教独自の思想でありすべての学派が認めるもの、これが「因果縁起」であり「縁 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0305 滅諦と無明
滅諦というのはこれ自体は一体どのようなものでしょうか。 龍樹とその後継者によると滅諦とは勝義諦であるとしています。チベットの学者の中でも若干異なる説もありますが、勝義諦のなかでも、法性であるとされています。 滅諦とは煩悩を浄化した心の本性のことである 龍樹は『中論』で次のように説 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0304 チベット仏教の位置
漢文に依らなくてもいいのがチベット語仏典です。チベットの仏教は中国を媒介にしていません。インドから直接伝来してます。中国に仏教が伝来した後約400年後 チベットへ七世紀から八世紀にかけて仏教が伝来しました。7世紀から8世紀にかけて仏教は伝来したのです。この時にもちろん部派仏典から […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0302 仏教の基本教義は四聖諦である
「四諦」とは何かというと、「苦諦くたい」・「集諦じったい」・「滅諦めったい」・「道諦どうたい」の四つがあります。「諦」「真実」とはそのものが事実として如何にあるのかということを表しています。 我々命ある者は、想像力や感受性のある生き物はすべて苦を望まず楽を望んでいることは同じです […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0301 はじめに
このたび『大日経』ならびに金剛界の灌頂を行います。 灌頂とは、共道修習ぐどうしゅじゅうを前行として行わなければならないものです。 そして最も主要なものである、菩提心、空性理解、そして心一境性をもった禅定というものを具えて始めて灌頂を授かるということになるのであって、灌頂の儀軌の次 […]
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日常読誦経典
2006.09.22
金剛薩埵念誦法
三宝に私は帰依せん。 一切有情を私は解脱させ、 菩提の境地へ導くため、 菩提心を正しく起こさん。 自らの頭頂にཔཾより蓮華が生起し、ཨより月輪が生起する。その上方に、ཧཱུཾより白き五鈷杵が生起する。五鈷杵の臍はཧཱུཾで荘厳され、そこから光明が放たれ、収斂した後 […]
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アティシャ
日常読誦経典
本日のことば
2005.11.03
菩薩たちの宝の環
インド語で「ボーディサットヴァ・マニ・アーヴァリー」チベット語で「チャンチュプ・センペー・ノルブィー・テンワ」 大悲を礼拝します師たちを礼拝します信ずる天を礼拝します すべての疑念を断ち切るべきである成就に努めてそれを愛すべきである眠りや無知や怠惰をすべて捨てるべきである常に精進 […]
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