2005.11.03

菩薩たちの宝の環

アティシャ・ヂィーパンカラシュイージュニャーニャ著
atisha

インド語で「ボーディサットヴァ・マニ・アーヴァリー」
チベット語で「チャンチュプ・センペー・ノルブィー・テンワ」

大悲を礼拝します
師たちを礼拝します
信ずる天を礼拝します

すべての疑念を断ち切るべきである
成就に努めてそれを愛すべきである
眠りや無知や怠惰をすべて捨てるべきである
常に精進に励まなければならないのである

正知・正念・不放逸
これらで感官の門を常に護るべきである
昼夜六時、何度も繰り返し
自分の心で自らの心の流れを検討しなさい

自分の誤りは宣伝すべきものであり
他人の迷いを探すべきものではない
自分の長所は隠蔽すべきものであり
他人の功徳を宣伝すべきものである

財産や名誉等は捨てなさい
己惚れや名声を捨てなさい
欲少なく足るを知りなさい
為された恩には酬いなさい
慈悲を修習して
菩提心を確固とすべきである

十不善業を断ち切って
常に信心を固くすべきである
怒りや己惚れを克服し
謙遜心を持つべきである

誤った営みは止めるべきであり
法に営み生活を過すべきである

物質的な財は求めてはならない
聖者という宝で飾るべきなのである

すべての喧騒を断ち切って
寂静処にこそ住むべきである

粗暴な言葉を使わぬようにして
常に話すことを慎むべきである

師や指導者を見る時は
敬意をもって奉仕の心で接しなさい

法の眼をもつ人々も
すべての初心の有情たちも
釈尊であると想うべきである

すべての有情を観る時は
常に親子兄弟の如く想うべきである

罪を犯すための友人は捨て去るべきであり
善を為すための親友こそ頼りとすべきである

怒りや嫌悪の情を振り捨てて
安楽へとこそ赴くべきである

貪っている対象を断ち切って
無貪の境地に住すべきである

貪る者たちが善趣を得ることはないだろう
解脱のいのちをも途絶えさせてしまう
善なる法と見えているもの
そこに常に励むべきである

最初にはじめたこと
そこから先に成し遂げなさい
そうすればすべては善となる
さもなけば両方とも成せないだろう

常に罪や愛着を離れることで
思い上がってしまった時には
その時に我慢が起こるだろう
その時には師の教えを想い起こしなさい

もしも気持ちが滅入ってしまう時には
自分の心の威光を評価するがよい
それらは両方空である修習すべきなのである

怒りや執着の対象が現れた時
幻で作りだされたと見るべきである
耳障りな言葉を聞くことがあるのなら
木霊のようなものであると観るべきである
身体が害されることがあるのなら
過去の業であると観るべきである

辺境の寂静処をこそ住み処としなさい
山林を駆けていた鹿たちが屍となる時に
自らを隠すように執着なく住むべきである

常に本尊を信頼すべきである
怠惰な心や倦怠感が起こる時
自らの咎と反省し叱咤激励し
禁戒の根本を思い出しなさい

もしも他人と出会うのなら
その寂静より静かに語りかけなさい
怒ったり眉を顰めることは止めなさい
常に微笑みと共に過すべきなのである

他人を何度もいつも見かけるのなら
物惜しみせず施すことを歓びとしなさい
どんな嫉妬心であろうとも
それはすべて捨てるべきである

他者の気持ちを大切にするためには
言い争うことは止めるべきなのである
常に忍耐の心をもつよう心がけ
浮ついたりお世辞を語るのではなく
常に変わらぬ人物であるように努めなさい

他人を束縛して支配することは止めなさい
敬意をもって振舞い過すべきなのである

もしも他者を誡めようとする時には
慈悲と利他の心をもつべきである

法を損減するのではなく
自ら信じるものを欲して
十法行という門を通して
昼も夜も精進するがよい

三世に為した如何なる善も
無上の大菩提へと廻向し
福徳を有情たちへと振向けて
常に七つの支分からなる
偉大なる祈願を捧げなさい

このように為すのならば
福徳・智慧の二資糧を完成するだろう
二障もまた尽きることとなるだろう
人身を受けたことは有意義なものとなり
無上なる菩提を得ることとなるだろう

信仰は宝であり 戒律は宝である
布施は宝であり 聞法は宝である
慚愧は宝であり 智慧は宝である
これらの七つの宝は不滅の七宝である
人にあらざれば語られることはない

群衆の中に在っては言葉を検討すべきであり
独り在るのならば心を検討すべきである。

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