2023.01.26
ལེགས་པར་བཤད་པ་ཤིང་གི་བསྟན་བཅོས།

苦々しい人間でも甘く薫ることができようになる

グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第20回
訳・文:野村正次郎

甘蔗の蜜で完全に煎じるなら

千振の苦味さえも取り除ける

道諦を完全に習熟することで

苦の根である集を断ってゆく

20

「千振」(センブリ)というリンドウ科センブリ属の植物は、その全体に苦味があり、それを千回煎じたとしてもまだ苦味が消えない、と言われるものである。千振の別名は「当薬」ともいい、「当に薬というのに相応しいほど苦い」ということからその名前がついている。天日で乾燥させたものは、生薬として使うことができ、その苦味を口にすることから消化不良や食欲不振に効果が期待できる。を増進させたり、胃腸の調子を整えたりして使うことが出来る薬用植物である。千振は日本では民間薬として発展している。ここで「千振」と訳したものは、日本で普及している学名「Swertia japonica」ではなく、「センブリ・チラタ」(swertia chirata)にあたるもののようであるが、これはインドを中心としたヒマラヤ高原の麓の標高1200メートルから3000メートルの地域に生息するものである。リンドウ科センブリ属の植物は日本のものと同じような効果が期待でき、インドのアーユルヴェーダなどでもこれらは薬用植物として頻繁に用いられているものであり、科学的にもその薬用効果がひろく知られているものである。

このような苦味の強い千振でも、サトウキビから抽出した甘い蜜で完全に煮込んで煎じていくのならば、その苦味は気にならなくなり、甘い状態で口にすることができる。とはいえ、千振の苦味成分がなくなるわけではなく、その苦味成分が味覚神経を刺激し、唾液や胃液の分泌を促進し、胃の粘膜に作用して、消化機能を高めることができる。センブリ・チラタの薬用効果については現在も多くの研究者が報告しているが、国際自然保護連合(IUCN)が絶滅危惧種としてその保護を推奨しているように、インド政府国立薬用植物委員会(National Medicinal Plants Board)https://www.nmpb.nic.inも保護の優先順位で高い位置に認定しており、伝統医学と伝統医学との両方の分野で極めて重要とされている薬用植物のひとつである。

本偈では、千振全体の苦味を苦諦の喩えとしてその苦味成分を煩悩と業の集諦に喩え、サトウキビの甘い蜜でそれを煎じて取り除くことができることを、道諦によって煩悩と悪業を克服し、苦味のなくなった滅諦の状態を作り出すことができることに喩えている。

私たち生物の生老病死をはじめとする身体と精神の構成体は、千振の苦味と同じようにどこをとってもいいことがなく、自己中心的な考えにより、他者に対しても悪影響ばかり与えている。このようなことの根本原因は、真実や事実を直視せず、すべてのことを有りもしないのに強く構想して作り上げているこの「私」と、その私が所有する「私のもの」を中心に考えていく悪き習慣にある。真実を直視せず拒絶し、真実とは逆の偽りの命題を捉えている「無明」は無始以来、私たちの心に常にあり、私たちの毒素の根本となっているものである。この悪き自己中心的な捉え方をやめ、真実を直視し続け、常に自己ではなく、他者を優先して考えてゆくことで、この自己中心的な煩悩とそれを動機とする悪業を退けていくことができるが、それはちょうど千振の苦味を甘い蜜でよくよく煮込んで煎じて苦味をとって、甘味へと変えていくようなものである、と本偈は教えている。サトウキビの甘い蜜にあたるものが、釈尊が示した道諦、すなわち無我の真実を直視する知であり、この甘露の法により、苦味のある毒素を抑制して、他の生物たちからも受け入れやすく、甘くやさしい香りのする人間へと自らの力で変わっていくことが、仏道修行である。滅諦である解脱の境位とは、ちょうど甘い香りが漂い苦味がなくなって薬用成分だけになった千振のように、他者をその薬用成分によって癒すことができるのであり、無限の衆生という無限の他者に有効なはたらきだけを提供できるような状態になっている状態であるということになる。

私たちの精神は、本来対象の本質や事実を正しく照らし出し、知ることができる能力をもっており、これを仏教では自性清浄心というが、煩悩は客塵といい、一時的にいまこの心に染み付いてしまった苦味のようなものに過ぎないからこそ、すべての衆生は仏になることができるのであり、この考えを心性本浄論という。いまのこの苦味しかない煩悩にまみれた知性から、その苦味成分を取り除き、心本来の、知性本来の無限の効能を発揮できるようになることが、解脱と一切智を目指して仏道に精進するということにほかならない。

いまのこの生命は、心はそのまま好き勝手に生きている限り、他人に対しても嫌な苦味しか与えることはできない。しかしながら如来の説いた甘露の法でよく煮込んで、自分たちの行動・言動・思考をよく律していくことで、この生命は他者に無限の利益をもたらすことができるものへと少しずつでも変えていくことができる。釈尊が現等覚された時に「甚深で戯論を離れた光り輝く無為法という甘露のような法を私はいま見出した」と語られているように、いま私たちはこの苦くて渋い身体と心の眼の前に、甘露のように甘く他者を幸せにできるような法に触れることができている。この甘露のような法で自分の心を煮込んで煎じていくかどうかは私たち次第である。少なくとも他人に嫌われ続ける苦味だけを発するような生命を生きるのはあまり楽しそうではないことだけは、確かなことではないだろうか。

参考

  • チラータ、チレッタソウ、チレッタセンブリ、インドセンブリ(健康食品の安全性・有効性情報・国立医薬基盤・健康・栄養研究所)https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail2580lite.html
  • Kumar V, Van Staden J. A Review of Swertia chirayita (Gentianaceae) as a Traditional Medicinal Plant. Front Pharmacol. 2016 Jan 12;6:308. doi: 10.3389/fphar.2015.00308. PMID: 26793105; PMCID: PMC4709473.
日本のセンブリの花
インドのアーユルヴェーダではswertia chirataは乾燥した枝の状態で流通されている

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