2023.03.02

春のやさしい慈悲の光だけで語りかけてくれる時に

釈尊の四大節:神変祈願大祭
文・野村正次郎

本日はチベット暦の正月11日。水卯歳の今年11日は本日3月2日・3日の二日間ある。正月8日から世界的なパンデミックでこの2年間開催することができなくなっていた「神変祈願大祭」(チョトゥル・モンラムチェンモ)が本山のあるムンドゴッドではデプン大僧院では無事に行われることとなった。今年の「神変祈願大祭」 は2月28日から3月7日までデプン大僧院で開催され、ガンデン大僧院・デプン大僧院・ラトゥー学堂の僧侶たちが数千名の比丘衆たちが集結して毎日釈尊への賛歌を読誦し、この数年間で亡くなった人たちの廻向と世界平和への祈願が捧げられてゆく。

この神変祈願大祭の特別法要は、釈尊が御歳57歳の時に舎衛城で六師外道の教祖たちと神通力の競技大会を行った故事に基づく釈尊の四大節(縁日)のひとつであり、ジェ・ツォンカパが1409年にラサのジョカン(トゥルナン)でジョウォ・リンポチェと呼ばれるチベットで最も重要な釈迦牟尼如来像を荘厳して1万人の参列者とともに2週間にわたる盛大な供養を行ったことから、今日まで600年以上継続しているチベット仏教最大の法要である。

祈願大祭の際には最終試験に合格したゲシェー・ラランパたちがありとあらゆる問答の挑戦に応える

これまでにこの大法要は何回か中断したこともあったが、ゲルク派最大の法要であることは確かであり、パンチェン・ロサン・チューキゲルツェンの時代からは、この期間に新しくゲシェーの学位を取得した者たちは、ガンデン・セラ・デプンというゲルク派の三大総本山の僧侶たちが集結している法要にて、学問の成果として問答を披露し、それが終わると「ゲシェー・ラランパ」という最高位の学位を内外に認められることとなる。

1959年にダライ・ラマ法王がジョカンで問答を披露され、その後中共軍により観劇に招待され、暗殺されそうとなったのをチベットの民衆たちが蜂起したことは、チベットの歴史を大きく変え、いまもチベットではこの法要の期間中は、共産党の圧政に耐えかねている人たちが声を上げないように、暴力によってチベットの僧侶や一般信者たちの心を抑圧しつづけている。1959年のダライ・ラマ法王のゲシェーの就任時だけではなく、1989年のダライ・ラマ法王がノーベル平和賞を受賞された年の正月にも、そして北京五輪のあった2008年の正月にも、多くのチベット人たちがこの釈尊の最も重要な日と関連して、現在の不当な状況に耐え難いという声をあげてきた。

1959年ラサの神変祈願大祭で問答を披露されるダライ・ラマ法王

昨年はこの大祭のクライマックスである15日、感染拡大の期間中しばらく一般の人々の前、公務をされることがなかったダライ・ラマ法王もしばらくぶりに多くの人々と触れ合う機会を設けられ、その後この1年間では実に多くの重要人物とダライ・ラマ法王はお会いになり、多くの重要なことを伝えてこられた。今年もまた15日の日には『本生蔓』(ジャータカマーラー)の御法話をなされるほか、勝楽尊の伝法灌頂会があり、弊会で活躍されていたゴペル・リンポチェも現在伝法を授かられるためにダラムサラへといらっしゃっている。

本日の正月11日は、祇園精舎(祇樹給孤独園)を釈尊に寄進した須達多長者(給孤独長者)が釈尊の施主となり舎衛城に集結した僧俗を供養したことにより、釈尊は獅子座からそのお姿が見えなくなり、光だけで説法をなされたといわれている。釈尊の示現された舎衛城の神変では、毎日交互にさまざまな施主が釈尊と仏弟子たちを供養されたが、特に正月8日には帝釈天、9日には梵天、10日は四天王が供養し、最後の15日には竹林精舎の施主であるビンビサーラ王が供養するまでの間、さまざまな善資の施主たちが供養を行っている。

本日の供養を行った須達多長者は別名を「給孤独長者」といい身寄りのない孤独な人々に施しをすることを決して厭うこともなかった釈尊の大旦那のひとりである。祇園精舎は釈尊在世の時代に存在したインドの5大精舎であり、これにちなんで中国や日本では「五山」と名付けられる伝統もあるし、また須達長者が舎衛城で寄進した「祇樹給孤独園」は「祇園」と略され、日本でも大変有名な名称であり、この舎衛城の祇園にて釈尊は阿弥陀如来の西方極楽浄土の存在を説いた『仏説阿弥陀経』を説かれたことからも、すべての仏教徒にとって極めて重要な聖地である。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と日本でも有名なこの言葉は、無常の鐘の音が、不吉な死を告げるネガティブなイメージをもつべきではないだろう。その精舎を寄進した長者が施主となった時釈尊は、光だけとなってすべての衆生に説法をされているからであり、この釈尊がこの地上に降り注いだ初春のやわらかい光とともに私たちに降り注いでいる鐘の声は、いまもその残響が消えているわけではない。私たちは煩悩に満ちた喧騒でその声が聞こえなくなっている時もあるが、静かに心を落ち着けてみれば、大悲大慈の釈尊の声はいまも聞こえてくるはずであろう。

しばらく日本にリンポチェをはじめとするゴマン学堂の善知識たちをお迎えできなかったが、少しずつであるが活動を再始動できそうになってきた。今回のような出来事を教訓に、インドと日本、チベットと日本といった物理的な距離や言語の違いなどを超え、先日のケンリンポチェから頂いたメッセージにあったように、今年は少しずつでも利他の活動のための一年となってゆけるように、みなさまと共に歩んでいけよう、神変月の15日まではまずは釈尊の法恩を追念することからはじめたいと思う。

正月11日。釈尊のお姿が見えなくなり光だけで説法をされている様子

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