2022.09.09
ལེགས་པར་བཤད་པ་ཤིང་གི་བསྟན་བཅོས།

毒ではなく甘い果実を

グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第8回
訳・文:野村正次郎

この恵みとゆとりを活かさなければ

畜生に生まれてきたのと変わらない

マンゴーの果実を収穫しないのなら

ただの漆の木と何も変わりはしない

8

マンゴー(菴摩羅)の果実が獲れるマンゴーの樹はウルシ科に属する樹木である。ウルシ科の樹木には、マンゴーやピスタチオやカシューナッツなどの食用の果実をつけるものもあるが、ツタウルシやヤマハゼなど食用では使えない種類のものの方が多くある。ウルシ科の植物は、通常その樹液にカテコールと呼ばれる成分が含まれ、これに触れると皮膚炎の原因となり、ウルシ科は、基本的にはアレルギーの原因となる。日本では漆の樹液を塗料や接着料として活用し、漆器として活用しているが、これは世界でも特殊な例のようである。日本の伝統的な漆器職人は、親方に弟子入りした後に、少しずつ舌から漆のアレルゲンを接種してこの漆の毒性物質に対してアレルギー耐性をつけていくようであるが、ウルシ科の植物はマンゴーのようにその果実を収穫して食べる以外には、取り扱いがかなり難しい植物のようである。ここでは畜生道の生物と、私たち人間との違いをこのマンゴーとただの漆の木とに喩えている。

畜生道の生物とは、すなわち私たちが通常動物と読んでいるものであり、仏教では「傍生」「畜生」とこれらの生物を呼んでいる。「傍生」という場合には、人間のように両側歩行ができない特徴を表しており、「畜生」という場合には、家畜として人間や神々に使われるという境遇を表した訳語であり、人間以外の哺乳類、爬虫類、鳥類、両生類、貝類、昆虫などの様々な種類のものがいるが、その特徴としては、同じ畜生同士で、身体的な力が強いものを身体的に力が弱いものを殺戮し、人間や神々の家畜となって、自分の意志に反して、鎖などで繋がれていたり、檻などに閉じ込められていたりして、自分の意志で自由に動くことが制限されている場合もある。動物が棲んでいる場所は、陸の上、水中、空中などの様々な場所があるが、その大部分は海中生物ということになる。神々や人間に対して生きていれる寿命も短く『倶舎論』などによると最長でも一劫くらいしか生きていられないということのようである。現代の生物学の知識でも人間よりも長く生きることができる動物は、ホッキョククジラが200年くらいで、アイスランドガイが500年ほどで、ツノサンゴは何千年で、ベニクラゲやヒドラのような自分の肉体を若返りさせることができる「不老不死」と呼ばれるような種類のものもいるが、捕食され死ぬ可能性があるので不死身ではない。

いまの私たち地球上の釈尊の教えを享受している人類は、寿命は100歳程度であるが、人類の寿命は無量から十歳程度まで様々なものがあり、この地球以外の別の惑星や天空にも多くの人類が存在しているというのが仏教の伝統的な見解である。人類に生まれてくることができて、さらに仏教にも触れることができてそれを実践する十分な暇とゆとりがあり、自分自身の環境も、そして周囲の環境にも恵まれているこの境涯を活用して、私たちは自分の意志で無限の発展を遂げることができる。そのような恵まれた環境にいるのにも関わらず、お互いに殺し合い、傷つけ合い、他の人類を拘束して支配し、本能のままに欲望を追求し、自分自身の苦しみを減らし、幸せを増やそうとするためだけに生きているのならば、この人生は全く無意味なものとなり、畜生道に生きているのと変わらない、というのが本偈の趣旨であり、私たち人間は人間であるからこそ人間の顔をして、他人に微笑みかけ、人間の仕草で、人間の知性で物事を判断し、人間らしく、マンゴーの実のような甘い果実をもたらす、愛とやさしさのある生を生きていかなければならない。それができないのならば、他者を攻撃する毒性のある漆のように、動物と変わらない、無益な存在となってしまうのである。

マンゴーは釈尊の故郷インドのナショナル・フルーツである
釈尊や龍樹たちも飲まれたマンゴージュース


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