2025.12.09
༄༅། །རྗེ་་བཙུན་བླ་མ་བློ་བཟན་གྲགས་པའི་དཔལ་གྱི་གསང་བའི་རྣམ་ཐར་གསོལ་འདེབས་བཞུགས་སོ།།

水晶の念珠からはじまった仏縁

『至尊師ロサンタクペーペルの秘密行状請願』和訳と解題(3)
ジャムヤンチュージェ・タシーパルデン著/訳・文:野村正次郎
チベットの水晶の念珠

前世では金剛座の勝者に百珠の

水晶の念珠を一連献上なさって

菩提心を発されたそのことから

正見を証す福分となられている

瑞祥尊師よ 君に請願し奉らん

通常ジェ・ツォンカパ大師の伝記は無量千万劫も前、幢王仏が出現されていた往古の昔からはじまるものである。

当時ツォンカパは文殊菩薩を大乗の善知識として師事していた一人の仏弟子であり、すべての学問に通じて五神通を得ており、自己よりも他者を思う深い利他の心をもち、甚深なる無我の理解と秘密真言乗の方便をも知っていた。しかしながらいまだ菩薩ではなく普通の仏弟子であった。ある時、文殊菩薩に連れられて幢王仏に拝謁に行った時、幢王仏が「身体や生命を顧みることもなく、清浄なる見解と両立する秘密真言を不浄の地で興隆する者は速やかに現等覚を得るだろう」と語られた。過去世のツォンカパはこの群衆のなかでひとり立ち上がり声高に「私も不浄の地で清浄な見解と両立する秘密真言を興隆できますように」と宣言する祈願を立て菩提心を起こした。それに応えてすべての如来により「この者の心意気は何と殊勝なものであろうか」と称賛され、授記を与えられた。これが後にツォンカパとして活躍することになる菩薩の誕生の瞬間である。

その後、ツォンカパは第十地の菩薩となり、不浄なる世間においてある時は転輪聖王、ある時は、地域の王、ある時は帝釈天、ある時は梵天の姿で化現された。在家の菩薩となった時もあるし、出家の菩薩となった時もあり、救済すべき衆生の機根に応じて様々な姿で化現なされてきた。これらのジェ・ツォンカパの本生譚はあまりにも無限にあり、凡人が理解する範囲を超えたものである。

その後、現在賢劫の時代、現在の私たちの指導者である釈迦牟尼如来がインドに在世の時、ジェ・ツォンカパは婆羅門の童子として誕生されていた。この童子は、文殊菩薩の化身である信慧という名の師に連れられてブッダガヤの金剛座の釈尊の元へと赴くこととなった。釈尊に謁見する際にこの童子は、百珠からなる水晶で出来た念珠を一連奉納し、「この水晶のように透き通って清浄な顕密の空観を自然に証解できますように」と祈りを捧げたのである。これに対して釈尊は会衆のなかのアーナンダに向かって次のように述べた。

「阿難よ、教法を育てる者とはこのような者なのである。いま私に水晶の念珠を献じ発心したこの者は、未来の五濁悪世にて、歓喜(ガ)と名のつく僧院を建立するだろう。その時のこの者は善慧(ロサン)という名の者となる。彼は私の像を荘厳し供養する。その功績で私の教法は更に一千年は興隆して継続することになる。その後、彼らは東方の仏国土で獅子吼仏という名の如来となる。彼を信奉する者たちはその仏国土へと往生するのである」

今日のゲルク派の伝統的な解釈では幢王仏の前で発心した時は世俗菩提心を起こされ、釈尊に水晶の念珠を奉献して供養した時に勝義菩提心を起こしたとするのが一般的であるようである。

釈尊に水晶の念珠を献上した童子はその後出家し具足戒を授かって「パドマシーラ」という名の比丘となった。釈尊はさまざまな場所を遊行されていたが、ある時無熱悩池の近くで夏安居をされた時に無熱悩の龍王が釈尊に右巻きの法螺貝(右旋法螺)を献上した。この法螺貝は安居の期間中、そして王舎城の霊鷲山での説法の際にも、僧侶たちを集合させる合図として使用された。その後ある時釈尊はカシミールの方へ移動される際、目連尊者に命じられたこの龍王の法螺貝を前世のツォンカパに授けることとなった。釈尊は、「この比丘パドマシーラは将来チベットでロサンタクパという名の者となる。この法螺貝はその時に僧集を結集させるものとなるだろう。目連よ、今からその滅の山へ行って地中にこの法螺貝を埋めてきなさい。そこへ行ってその場所に埋めてきなさい。そして聖天に命じて小猿となり、この宝を今後守るように命じてきなさい」と説かれ、目連尊者はチベットまで神通力で飛んでいき、「滅の山」すなわち現在のガンデン僧院がある霊峰ドク山の山中に法螺貝を埋蔵することとなった。

法螺貝を地中に埋めることを釈尊に命じられたのが目連尊者か阿難尊者かとする記述も一様でないが、釈尊在世の時代に釈尊に後のツォンカパが水晶の念珠を一連奉献したという故事はツォンカパ自身が、ラマウマパと共に過ごしていた時に文殊菩薩から直接教えていただいた過去世の逸話であり、ツォンカパ自身も釈尊との特別な関係について明確に確信していた、ということはケードゥプジェの記述からも明らかである。

デプン僧院にある法螺貝

本誌編でもこの釈尊に水晶の念珠を献上したことから記述は始まっており、ドク山に埋蔵していた法螺貝は過去世でツォンカパが釈尊から授かったものであること、後にそれを掘り出してガンデン大僧院で使用した後ジャムヤンチュージェにデプン大僧院の創立を託す際に、主たる所依として授けたと経緯はデプン大僧院の創立以来伝えられているツォンカパの前世に関する故事であり、この法螺貝は1416年にデプンが建立されて以来、そのまま保管されていた。しかし1993年に何者かによって持ち出されて一時行方不明となったが、闇オークションに出回ったものを現在のダライ・ラマ法王猊下が秘密裏に入手し、インドへと移送され、三年後の1996年には、現在のインドに復興されたデプン大僧院に返却された。この法螺貝は現在もインドのデプン大僧院にて秘蔵され、年に一度チベット暦7月8日の十万龍大祭の日に開帳されており、一般人も拝観できるチベット仏教圏屈指の霊宝のひとつである。

ダライ・ラマ2世ゲンドゥン・ギャツォから先代13世トゥプテン・ギャツォまでダライ・ラマは代々デプン大僧院の座主に就任し、この右巻きの法螺貝の継承者となってきた。1959年にゲシェー・ラランパの学位を取得された現在の第14世ダライ・ラマ法王は、同年インドに亡命され、その後、亡命生活のなかチベット仏教文化の継続と保全に尽力されてきたのでこれまで現在の第14世ダライ・ラマ法王だけが、この法螺貝の継承者としてデプン大僧院の座主に就任される機会はなかった。今週金曜日からダライ・ラマ法王猊下はこの状態を解消されるため、デプン大僧院をご訪問され、12月14日の日曜日には、宗祖ジェ・ツォンカパ大師の大遠忌の法要を行われた後、今年正式にデプン大僧院の座主に就任され、この法螺貝の継承者と名実共になられることとなっている。

かつてジェ・ツォンカパが釈尊に水晶の念珠を捧げて、法螺貝を授かったことは、現在も活きた形で歴史を刻み続けている。宇宙の大地のすべての砂を小さな掌で救うのと同じくらいの確率で、有暇具足の人身という宝を得ることは奇跡的に困難なことであり、この有暇具足の人身という至宝を活用して、来世に再びこのような境涯を得ることは、それと同じくらいの確率で困難であるというが、少なくとも何度もダライ・ラマ法王猊下は来日して下さり、これまで多くの法を説かれてきた。我々日本人のなかでもこれまでダライ・ラマ法王猊下とご縁のあったすべての方が、何とも有難い機会に恵まれてきたことだけは確かである。この素晴らしい仏縁は、水晶の一連の念珠からはじまるものなのである。

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兜率五供・萬灯会

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