十三日は屯真陀羅王が供養した
善逝は臍部から放つ身長七倍の
二つの光の先に二仏ずつ倍増された
化現なされ満たされた君を礼拝する
チベット暦正月十三日は、再びヴァッジ国(越祇国)のシュンチダラ王(屯真陀羅)が施主となった。シュンチダラ王は「ドゥルマキンナラ王」(drumakinnararāja, 大樹緊那羅王)とも呼ばれ、舎衛城の神変の施主となったのは二日目である。
緊那羅とは「人間か何か」(人非人)という意味であり、完全に人間ではないけれども、神なのか、畜生のか、鳥なのか、一体どの衆生のであるのかは特定できない正体不明な生き物であり、歌と踊りが得意な帝釈天宮の音楽神ともされる場合もあり、『大樹緊那羅王所問経』という大乗経典では、釈尊に奏楽の供養を行なったともされるなど、釈尊の説法を熱心に聞いた人間以外の生物の一種である。
釈尊はこの日は臍部から身の丈の七倍ほどの長さのある二本の光線を放散され、その光の二つの先端には蓮台があり、その蓮台の上にはひとりずつ仏がおられ、さらにその臍部から二本の光線を放ち、その先端にもそれぞれ仏が化現する、ということを繰り返し、三千大千世界を仏で満たしていった。
この様子を見ていた観客たちに釈尊は説法をされ、菩提心を起こした者、果を得た者、天人へと生まれる善根を起こした者たちが無数に現れることとなった。
釈尊が無量に仏を化現されていった原理を数式化すると
となり、化現の回数nの累計を求めることができる。たとえば回数に
- 10回 → 2,047仏
- 20回 → 約 200万仏
- 50回 → 約 10¹⁵仏
- 100回 → 約 10³⁰仏
となり指数関数的に増えてゆく。現在宇宙の原子数は約10の78-82乗といわれているので、如来が259回から272回繰り返せば宇宙の原子数を超えることになる。釈尊がこの時比較的ゆっくり1秒に1回ずつ化現されたとしても、宇宙の原子数を超える仏を化現するまでには、4分19秒〜4分32秒程度しかからないし、2秒ずつでも10分以内、3秒ずつでも15分以内には宇宙の原子数を凌駕する数の仏を化現することができる。
舎衛城での釈尊の化仏はあくまでも身長7倍の長さをもった空間に化現しているので、実際には化現した仏の数はそれほど必要ではなく、約30回程度の化現で三千大千世界を満たすことができる。1分に1回としても30分くらいで終わる訳である。このように非常に効率よく多くの仏を化現することが出来るのは、如来の能力はもちろんのこと化現の出し方が指数関数的に増加することにも由来するし、このようなことが出来るのは、釈尊だけではなく、過去・現在・未来の十方の如来たちは全員同じ能力をもっており、弥勒菩薩や観音菩薩や文殊菩薩や地蔵菩薩たちも同じように無量の化身を出現させることが出来る。
またここでは正月三日に続いて緊那羅の王が2回目の供養を行なっているが、『華厳経』普賢行願讃にあるように、如来の説法は人間の言語だけではなく、神々の言葉、龍の言葉、夜叉の言葉、鳩槃荼の言葉、人間の言葉などの様々な言語を一つの音声で様々な言語を同時に表現できるものである。どんな生物かは不明であるが人間のような格好をしていて言語を使用することが出来る緊那羅に対しては、釈尊は緊那羅の言語で正法を説かれたのであり、釈尊が彼ら言語を使用する衆生たちには説法をしない、と考える方がよっぽど合理的ではない。
これは今日我々が仏典を読誦する時でも同じであり、漢訳の般若心経を唱えたとしても、チベット語訳の般若心経を唱えたしても、その音声を耳にするさまざまな生物にとっては、わざわざ翻訳しなくても、それぞれの言語で聞こえる。ただしこれは弟子を導くために起こした現象である「神変」ではなく、通常の如来の活動である。私たちがひとり自宅で般若心経を唱えていても、それを聞いている無数の神々たちや衆生たちがそこにはいる。そのなかにはかつて釈尊が起こした神変を目撃していた如来たち、菩薩たち、護法尊たち、神々たち、そして様々な衆生もいる訳である。彼らは我々の善業を見守っており、その果報がより大きくなるように、随喜してくれている。いま神変月に行う善業がその果報が十万倍になる、と謂れるのはこのような理由からである。




