2021.05.30
སྟོན་པ་དེས་གསུངས་པའི་བསྟན་པའི་རྣམ་བཞག

三転法輪各説

釈尊の行状とその教法(19):三転法輪とは一体如何なるものか
クンケン・ジクメワンポ著/編訳:野村正次郎

聖言の提示

『解深密経』संधिनिरमोचनसूत्र ではパラマールタサムドガタ菩薩が釈尊に奏上するという形で三転法輪について次のように説かれており、まずはその経文を確認しておこう。

世尊。初於一時在婆羅尼斯仙人堕処施鹿林中。惟為発趣声聞乗者。以四諦相転正法輪。雖是甚奇甚為希有。一切世間諸天人等先無有能如法転者。而於彼時所転法輪。有上有容是未了義。是諸諍論安足処所。世尊。在昔第二時中惟為発趣修大乗者。依一切法皆無自性無生無滅。本来寂静自性涅槃。以隠密相転正法輪。雖更甚奇甚為希有。而於彼時所転法輪。亦是有上有所容受。猶未了義。是諸諍論安足処所。世尊。於今第三時中普為発趣一切乗者。依一切法皆無自性無生無滅。本来寂静自性涅槃無自性性。以顕了相転正法輪。第一甚奇最為希有。于今世尊所転法輪。無上無容是真了義。非諸諍論安足処所。(大正16・697上-中)

世尊は、最初の時にヴァーラーナシーの地の仙人堕処、鹿野苑において、声聞乗へと正しく向かっている者たちに対して、四聖諦とその内容を説かれました。それは希有なる素晴らしいもので、過去に天となれる者や人となれる者、その如何なる者すらもこの世間に転じたことのないひとつの法輪を転じ給われたのです。この世尊が完全に転じた法輪には、更により上のものがあり、更なる余地を残しているものであり、これは未了義であり、論義の基盤となっています。

また世尊は、諸法無自性をはじめと、不生不滅、本来寂静、自性涅槃について、大乗へと正しく向かっている者たちに対して、空性を語るという内容によって、稀有なる素晴らしい第二の法輪が転じ給われたのです。この世尊が転じられた法輪もまた、更により上のものがあり、更なる余地を残しているものであり、未了義であり、論義の基盤となっています。

これらに反して、世尊は諸法無自性をはじめ、不生不滅、本来寂静、自性涅槃について、すべての乗へと正しく向かっている者たちに対して、善く判別され内容をもつ、稀有なる素晴らしい第三の法輪を転じ給われました。この世尊が転ぜられた法輪は、無上なものであり、余地無く、了義であり、論争の基盤とはなっていないのです。(38a6-39a2)

この経文の内容の解説

この三転法輪を提示している経文では、場所、時、聴衆、説かれた法、その目的という五つの観点からそれぞれの法輪を特定しているので、それらを各々確認してみたい。

初転法輪

まず初転法輪・四諦法輪であるが、その場所は、ヴァーラーナシーの仙人堕処と特定されている。

次にその時間であるが、「最初の時」と特定されている。これについて、6年6ヶ月間であるという者もいる。チム(མཆིམས་ནམ་མཁའ་གྲགས་ 1210-1285)はこれを7年間として、チャク・ロツァーワ(ཆག་ལོ་ཙཱ་བ་ཆོས་རྗེ་དཔལ། 1197-1263/1264)は7年2ヶ月弱という説を述べている。

次にその聴衆であるが、カウンディニヤ(कौन्दिन्य, 憍陳如)、アシュヴァジット(अश्वजित्, 阿説示)、ヴァースパ(वास्प, 婆沙波)、マハーナーマン(महानामन्, 摩訶男)、バドリカ(भद्रिक, 婆提梨迦)の五人の従者(五比丘)と多くの諸天たちすなわち神々たち説法の対象であると特定されている。この五人の従者は釈尊が出家した後に、父の王が釈尊の修行仲間にと派遣してきた者で、釈尊が彼らだけを残して、成道後彼らが最初の転法輪の対象として選択した者たちであるが、これについてすでに仏伝の紹介の記事で見てきたので、ここで更なる説明は不要であろう。

次に説かれた法についてであるが、これは、釈尊が初めて説かれたものであり、説法の対象となる所化である小乗の種姓を有するものを中心として意図されて、色から菩提道品に至るまでの諸法をそれぞれが固有の自相によって成立しているものとして説き示した経典そのもの、あるいはその一連の経典に含まれるものかのいずれかのもの、これが初転法輪の定義である。

この初転法輪はまた、四聖諦それぞれについて三転十二行相で法輪を転じたものであり、特に十二行相についての数え方が学派により解釈が異なっているので、これを理解する必要がある。

まず毘婆沙師たち、すなわち説一切有部・正量部・上座部・大衆部の根本四分派を含む部派仏教ではどのように解釈しているのか、といえば、(A)「これが苦という聖者にとっての真実である」というそれが一体何なのか、という個体を説示するものが第一のパターン(示転)である。次に(B)「苦を遍く知るべきである」と苦などに対する完全なる認識など説示するものが第二のパターン(勧転)となる。また(C)「苦を遍知した」というように認識の完了状態などを説示するものが第三のパターン(証転)ということになる。

その上で十二行相としては、この三つのパターンのそれぞれの形式で、苦である個体について、その対象を(1)現前化し直観している眼、(2)疑念なく確定している智、(3)真実である明、(4)清浄である覚という四得果が生じるのであり、(A)~(C)に、この(1)~(4)の四行相を掛け合わせ、苦諦ひとつについて、十二通り構成できる。この十二通りの命題が、苦諦・集諦・滅諦・道諦のそれぞれに適用され合計48通りの命題(十二転四十八行相)が構成される、と毘婆沙部では解釈しているのである。

それでは合計で48通りの命題が構成されるということは正しいとしても、「四聖諦それぞれについて三度十二種のパターンで法輪を転じた」と表現されるのは何故かといえば、これは「二つのことを説いた」「七処を説いた」という場合と同じであると解釈する。

たとえば経典で「比丘たちよ、君たちに二つのことを説きたい。これは善き完全なものとして説くのであり、しっかりと聞いて心に留めて記憶しなさい。私は説明しよう。二つのこととは何か、といえば、眼と色などにはじまり、心と法とに至るまでの二つの組み合わせが六つあるけれども、それぞれの二つずつは対応関係にある法であるので二つのことなのである」と説かれている場合がこれと同じであり、また七処については「比丘が七処に通じ法を律している者、この者は忽ちにして漏尽を得るであろう。七つとは何かといえば、それは色を正しく如実に遍知すること、色は集起するものであること、色を滅すこと、色を滅す道、色の味による苦痛、過禍、それを出離することを正しく如実にただしく知る、ということである」と説かれているのであり、この色蘊と同様に受蘊などのほかの蘊にも演繹して、合計三十五処からなる五蘊に対する七つの重要なポイント、つまり七処というものが構成される場合と同様であるとしている。そしてここでは、四聖諦の四つともが三転それぞれ見道・修道・無学道という三道に対応して説かれている、というように解釈しているのである。

この毘婆沙部の見解を批判し経量部では「もしもその通りであるとすれば法輪が三転十二行相説かれたということにはらないことになってしまう。何故ならば見道のみが三転十二行相あるということにならないからである」と毘婆沙師たちの主張を批判し自説としては次のような解釈を提示する。

経量部ではまず毘婆沙師と同じように「三転」というのは四諦の個体に関する命題の形式(示転)、四諦に対するどのように働きかけるべきかという為すべきことに関する命題の形式(勧転)、四諦に対してどう働きかけその結果がどのような境地を得るべきのかに関する命題の形式(証転)という三通りの形式がある、とする。ここまで毘婆沙部と同じであるが、経量部の場合には、これを苦集滅道それぞれに一転ずつ数える毘婆沙師の説を取らず、一転ごとに苦集滅道の四つすべてをひとつの形式として捉えることから、合計十二転とはならずあくまでも三転ということになる。

すなわち、第一の命題の形式は「これが苦という聖者の真実である」「これが集という聖者の真実である」「これが滅という聖者の真実である」「これが道という聖者の真実である」というものである。そして、第二の命題の形式とは「苦を知るべきである」「集を断じるべきである」「滅を現証すべきである」「道を修習すべきである」というものとなる。第三の命題の形式とは「苦を知るべきであるが、もはや知るべきものはない」「集を断じるべきであるが、もはや断じるべきものはない」「滅を現証すべきであるが、もはや現証すべきものはない」「道を修習すべきであるが、もはや修習すべきものはない」というものである。

それでは経量部では「十二行相」をどのように考えるのか、といえば、最初の個体に関する命題形式の命題を現観しようとするときに、明・眼・覚・智の四つが起こり、これは順に小乗加行道・小乗見道・小乗修道・小乗無学道に当てはめることができる。第二の命題形式や第三の命題形式にも同じように明などの四つが四つずつ起こるので三転それぞれに四得果が起こり、「十二行相」であるとするのである、と解釈するのである。

以上の議論は『倶舎論』第六賢聖品で展開される三転十二行相に関する経量部の主張であるが、この学説を大阿闍梨であるヴァスバンドゥが承認しているものであり、毘婆沙部のように十二転四十八行相と加算方式で解釈すべきではなく、経量部が自説として採用している、あくまでも三転十二行相である、というのが三転十二行相に関する適切な解釈である、と我々もまた考えるべきであり、この点については十分な注意が必要となるのである。

『解深密経』における「更により上のものがあり、更なる余地を残しているものであり、これは未了義であり、論義の基盤となっています。」という部分であるが、これは当該の経典よりも勝れたものとして解釈の余地のない了義によって説き示した他のものが存在することから「更により上のもの」があるのであり、他の者たちによって非難を受けて論駁される可能性があるので「更なる余地を残しているもの」であり、直接説示したものを言葉通りに承認することが不適切であるので「未了義」(いまだ解釈が終了していない内容、再解釈が必要な内容)である。また依他起性・遍計所執性・円成実性という三性のそれぞれが真実として存在しているものかどうかということを区別していないことによって、「論義の基盤となっている」と表現されるのであり、これらの形容表現については、中転法輪・後転法輪に関する記述のところでも同様に適用できる、と理解する必要がある。

最後に初転法輪の目的であるが、これは五人の従者が阿羅漢果を得ることが直接的な目的である。また所化の人物を特定せず、一般に預流果・一来果・不還果・阿羅漢果の四果を示すことが初転法輪の間接的な目的ということになる。

中転法輪

中転法輪・無相法輪が説かれた所依となる場所としては、王舎城の霊鷲山ということになる。

それが説かれた時期としては初転法輪の次の時、ということになる。トプ・ロツァーワ(ཁྲོ་ཕུ་ལོ་ཙཱ་བ་བྱམས་པ་དཔལ། 1173-1236)はこれを三十年間として、チムはこれを二十七年間としている。チャク・ロツァーワはこれを三十一年間とする。またこれを十二年間とする学説もある。

中転法輪の聴衆は、2,500人あるいは5,000人の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷および、百千万億の菩薩衆である。

説かれた法についてであるが、これは釈尊が中時に説かれたものであり、対象となる所化としては、大乗の種姓を有するもの、すなわち中転法輪の経典の意図を、後転法輪で再解釈したものに依存する必要のない種姓を有するものを中心とすることを意図されて、一切法は自相によって成立しているものではない、と言葉通りのものを示している経典そのもの、あるいはそれに分類することができるいずれかのもの、これが中転法輪の定義である。

それでは具体的にどのようなものが中転法輪と呼ばれるのか、といえば、まず広中略と広中略をかけた九品よりなる般若波羅蜜がそれにあたる。広広品は『五百巻般若経』であり、広中品は『四百巻般若経』であり、広略品は『十万頌般若経』(大般若経)であり、中広品は『二万五千頌般若経』、中中品は『一万八千頌般若経』であり、中略品は『一万頌般若経』であり、略広品が『十八巻般若経』であり、略中品が『八千頌般若経』であり、略略品が『宝徳蔵般若経』である。

この法輪について唯識派は未了義であるとし、中観派は了義であるとする解釈の相違がある。

またこの法輪の直接の目的としては、所化を成熟させ解脱へと向かわしめることであり、間接的な目的としては、すべての有情が誤った思想を払拭し、事実でないものを事実であるとする常辺と事実を非事実であるとする断辺とに二辺に決して止まることのない無住処大涅槃を得させるためである。

後転法輪

後転法輪・勝義決択法輪が説かれた所依となる場所としては、リマーラヤやヴァイシャーリーなどである。

後転法輪の所化は、すべての乗へと正しく向かっている無数の菩薩である。

後転法輪が説かれた時期としては、中転法輪が転じられた後の時であり、チムはこれを10年といい、トプ・ロツァーワはこれを12年といい、チャク・ロツァーワはこれを7年か9年としている。またこれを26年、28年とする説もある。

この年数についてチョンデン・リクペー・レルティ(བཅོམ་ལྡན་རིག་པའི་རལ་གྲི། )の『教説の荘厳の華』では「ある者、初転法輪は37年間であり、第二転法輪は33年間であり、第三転法輪は8年間説かれた、といっているがこれらの学説を唱えている者たちは典拠として示す聖教を確認してはいない。」と説かれており、また大学者プトゥン(བུ་སྟོན་ཐམས་ཅན་མཁྱེན་པ་རིན་ཆེན་གྲུབ།, 1290-1364)は「これらの年数によるこうした限定についての典拠となるものを私は見たことがない」(『法源教宝蔵』71b2)とおっしゃって低く評価されているようである。

後転法輪で説かれた法は、釈尊が最後の時に説かれたものであり、所化の対象となる大乗の種姓をもつもので、中転法輪の密意を後転法輪で解釈されたものに依存しなければ解釈できない者たちと中心とした者であり、三性のそれぞれを真実として有るものと真実としては無いものとにそれぞれ区別して説示している経典そのものか、この類のものに含まれるもののいずれかであるもの、これが後転法輪の定義である、とする。定義基体としては具体的にはたとえば『解深密経』などがそうであり、唯識派はこれを了義とするが、中観派はこれを未了義であるとする。

クンケン・ジョナン派の人々は「十の心蔵経」(1)「十心髄経」とは、ドルポパなどのジョナン派が勝義他空を説いている所依の経典としているものであり、具体的には『如来蔵経』『大法鼓経』『智光明荘厳経』『勝鬘経』『不増不減経』『涅槃経』『華厳経』『宝積経』『金光明経』の十の経典のことを示している。は後転法輪であると主張し、これを了義であると考えている。法主プトゥン・リンポチェは十の経典が後転法輪であることは認めているが、しかしながらそれらは未了義であると解釈されている。

これらを何故「善く判別された法輪」というのか、といえば、一切法を三相へとグルーピングして、依他起と円成実は真実として成立しているものであり、遍計所執は真実としては無いものであると、善く峻別して説かれるのでそのように言われる。

この後転法輪が説かれた目的は、明白であるのでここでは省略する。

三転法輪を説いている『解深密経』(ラサ版)

1 「十心髄経」とは、ドルポパなどのジョナン派が勝義他空を説いている所依の経典としているものであり、具体的には『如来蔵経』『大法鼓経』『智光明荘厳経』『勝鬘経』『不増不減経』『涅槃経』『華厳経』『宝積経』『金光明経』の十の経典のことを示している。

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