2021.05.16
སྟོན་པའི་མཛད་རྣམ་སྙིང་བསྡུས།

白い象の姿で母摩耶夫人の胎内へ

サカダワ大祭・仏伝の紹介:第5話 入胎
訳・文:野村正次郎

静謐な時のなか、地上は滑らかになった。宮殿のなかには尖ったものがなくなり、何かが刺さって痛みを味わうこともない。大理石の床に転がっている小さな尖ったものを踏んでしまうこともない。どこにいっても釘や棘のある草木が落ちていることもない。部屋を歩こうとも回廊を歩こうとも、いつも素足で安心して歩くことができる。ほどよく冷たい滑らかな床を歩けるようになった。地上が滑らかな大地となる、これはこれからこの大地に如来が来られるからである。

大地と大地の間にある山や丘の間を飛び交っていた鳥たちは歌が美しい旋律を奏でる鳥だけになった。静寂を荘厳する愛らしい響きが部屋に満ちてゆく恐ろしい鳴き声や悲鳴や争いの声は聞こえて来なくなる。美しく歌う鳥たちの歌が空間と時間に鳴り響き、誰も聞いたことのないような美しい調和のとれた交響楽を奏ではじめた。ほどよい余韻と沈黙が波打ちながらその響きに包まれていく。

城市から外に出ると森林や草原もいつのまにか様変わりしていたようである。いままで見過ごしていたような雑草も美しい花を咲かせており、これまで滅多に咲くことのない花もすべて咲いていた。甘く薫る実をつけることもなかった樹々にははじめて、美しい果実が実っており、しぼんだ花しか咲かせなかった花がこれまで見たこともなく満開に咲いていた。水が流れる川のそのすべての輝きは増してゆく。透き通った浄らかな水に反射する光が眼の疲れをやさしく癒してゆく。滞留していた濁りのすべてが消えてゆき、水のあるとろころには美しい蓮華の花が咲き乱れる。草原の小さな草の間を流れる水にも愛らしい花が咲き乱れていった。青く茂る草の穂に、黄色い菜の花が咲き乱れてゆく。甘く薫る砂糖黍は力強く生い茂る。灯油に困ることもない。しばらく飢えもなくなってゆく。

カピラヴァストゥの城では、誰も演奏してないのに、太鼓からシンバルまでの美しい残響音を奏でる打楽器が自然に心地よい音を発しはじめる。そのリズムは決して暴力的ではなく、銀河系の星雲がゆらぐように奏でられる打楽器は妙音の微細なリズムを刻んでいる。人々が住んでいる家やカピラヴァストゥの城では、金や銀やダイヤモンドや水晶、ラピスラズリやルビーから真珠や珊瑚まで宝石と呼ばれるすべての石が輝きを増していった。普段は宝石を探して苦労していたものたちも、天然の鉱石がいつもより輝いているので、簡単にそれを見つけることができるようになった。

これは春が終わり、夏のはじまる四月であった。いつもの四月とも全く異なるこの年のこの月は太陽がこれまでなかったように輝いている。月はいままでなかったように明るく輝きながら、地上の熱を癒してゆく。星たちの輝きが増していく。それにしたがって、すべての人々の心には歓喜が満ちてゆく。もはや不安や怒りや恐怖の感情など忘れてしまうかのようである。争いごとや耳を塞ぎたくなるような乱暴な言葉は一切聞こえてこない。美しい音響と光に満たされてゆき、これまで誰も経験したことのない美しい歓喜に満ちた場所へとこの世界は変化してゆく。

十五日目の早朝には、天空から純白に光り輝く年若いちいさな象が神々たちを連れてこちらに向かってきた。この子象には六つの牙があり、静かにゆったりと兜率天からやってくる。象の身体からは眩しい光が放たれて、さらにそれ取り囲む神々や菩薩たちと一緒になり、天空は満ちてゆく。中有の体で次の母胎を探している死者たちは不安と恐怖から解放される。転生すべき母胎ははっきり見えるようになり、そこへ落ち着いて受胎すべきこともわかるようになり、受胎していく。

天空を歩んでいる純白の子象の向かう先、そこには梵天が荘厳した寝具で寝ている史上最大級の絶世の美女である。彼女は世界の最初の王にも匹敵する浄飯王の妃にほかならず、清浄で浄信の在家の梵行者である。純白の子象は四月十五日の早朝、眠っている摩耶夫人へと向かってきた。摩耶夫人は吉祥なる夢を見ながら、白い象が自分の方へ向かってくるのが見えている。ちいさくかわいい白い象、彼は私がかつて祈願した通りのブッダとなられる方である。彼が私の子としてこれから生まれるのである。歓喜とともに摩耶夫人は象を歓迎すると、腋の下から自分の体のなかへ入ってきて、光が溶け込んでいくようにすぐに美しい相好をもつ生後六ヶ月くらいの赤子の姿と同じ姿にこの子は変化した。それは鏡のなかに顔を映そうとする時のように全く痛みをともなうものではない。こうしてサカダワの十五日がはじまり、満月が天空で輝いたその晩からこの世は歓喜の饗宴となった。

はじめの七日間で三千大千世界のすべての栄養素が蓮華の台のうえに滴の粒となって世界を満たした。梵天はこれを集めラピスラズリの透き通ったグラスへ注ぎ、それを母胎のなかの栴檀の宮殿にいらっしゃる釈尊へ献上した。この特殊な液体は、どんな衆生も消化できないものであったが、胎児である釈尊はこれを滋養とし成長していった。胎児が育っていくとともに、その輝きが母胎の外へと溢れ出していった。その光は五由旬先の場所までを明るく照らし出した。その後、十ヶ月ちょうど、新年十五日にいたるまで、釈尊はこの摩耶夫人の母胎のなかの宮殿に留まった。

釈尊は誕生する前は母胎のなかから神々たちには説法した。というのもありとあらゆる神々が次から次へとやってきたからである。早朝はやくに四天王とその家来たちが供養しに毎日やってきて聴聞をし、昼前には毎日帝釈天たちがやってきて聴聞をし、その後梵天や十方の菩薩や神々、八部衆や龍などをはじめとする無数の衆生があつまってきて、まだ妊娠中であり、釈尊は降誕されてもいないのにも関わらず、神々たちはわれ先にと毎日のように駆けつけて摩耶夫人の母胎のなかに留まっておられる釈尊から説法を聴聞し、法縁を結んでいったとのことである。これ以外にも町の普通の人々がはやく釈尊が生まれるのを待ち望み、土地の神々を供養するなど様々な善業を積んだ。神々から人間から動物にいたるまでが、この地上に特別な時が起こることを察知し、釈尊が母胎のなかに居られる十ヶ月間の間、待ちきれないほどの期待と歓喜とともに過ごしたのであった。

このように釈尊が兜率天を出立し、胎生の衆生となるために中有の身体を化現し、その身体は白く輝く幼き子象の姿をしており、その姿から放たれる光で中有の衆生たちを利益し、摩耶夫人の右脇から母胎へと入った後には、黄金や白檀でできた摩耶夫人の子宮のなかの宮殿で十ヶ月間過ごされた。

以上が、釈尊の受胎・託胎の物語である。

これらの細かい描写などは経典によってそれぞれ異なってはいるが、すべての衆生たちが待ち望んでいた素晴らしい時がいよいよはじまるという期待感と歓喜で世界が満ち溢れた。兜率天から出立して摩耶夫人の母胎に到着するまでの間、そして母胎に留まっている十ヶ月間、この二つは決して釈尊が誕生された後の話ではないが、五濁悪世のこの娑婆世界への説法する最勝化身としての利他行を行われる一連の行状であると考えることはできる。このことからも十二相の釈尊の行状を数えるときに降兜率・受胎(託胎)の二つは、ひとつずつ数えられるのであり、日本でも有名な「八相成道」や「八相示現」「釈迦八相」にもひとつずつの事件として数えられる。迦葉仏の後継者として閻浮提へ転生するために兜率天へ菩薩として転生し、そこから白い象の姿で摩耶夫人の右脇から受胎したというエピソードは『長阿含経』や『普曜経』にもあり、細かい描写の違いはあるものも、釈尊は兜率天に転生する前にすでに三阿僧祇劫修行した結果、超人的な能力を発揮してこのような行状を衆生のために示したとするのは大乗でも小乗でも同じように伝承している。

これらのことを客観的に科学的に考えてみれば、釈尊は理論上瞬間移動できる能力があるにも関わらず、敢えて超自然的な行動を選択して取ったということになる。しかしながら瞬間移動で化生の菩薩として生まれてくるのではなく、敢えて胎生の衆生として生を受けるため、兜率天を経て摩耶夫人へと受胎し、母胎に留まったのは、衆生を導くという特定の任務に最適化した特殊な活動を行ったということになるのだろう。

ガンダーラ時代の摩耶夫人の受胎のレリーフ(大英博物館・所蔵)

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