ダライ・ラマ法王石巻での談話


作成日: 2011-11-07 最終更新日: 2016-09-18 作成:野村 正次郎

東日本大震災の慰霊法要のために石巻で説かれたダライ・ラマ法王のメッセージを翻訳しました。

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兄弟姉妹の皆様、また大切な家族や友人を亡くされた皆様。私がこちらに来ました主な目的はみなさんの深い悲しみと苦しみを共にするためです。

我々は人類の兄弟です。広い視点に立てば70億人近くのこの人類は基本的に人類という同じ家族の兄弟であり姉妹といえます。ですので悲劇はここで起こったことではありますが、世界中の多くの場所がこの悲劇を聞いてすぐに人類という同じ家族として悲しみを共感したのです。みなさんは決してひとりぼっちではありません。

この悲劇を私もBBCのニュースで知ってすぐにああ何とつらい悲劇が起こったことだ。私たちは同じ人類の家族であり、第二には日本のみなさまは我々と同じ仏教徒であり、日本は仏教国であろ、個人的に1967年に初めて来日して以来、最も多く訪問してきたこの日本には多くの友人もいます。ですので、もし可能なら何とか被災地を訪れて、みなさんと悲しみを分かち合えたらいいなと思ったのです。

4月の末にアメリカを訪問する機会があり、日本経由で立ち寄りました。2、3日余分に東京に滞在し、祈りを捧げ私の思いを伝えることができました。ですが、それでは不充分ではありませんでした。実際に悲劇のあったこの場所をなんとか訪ねたいと願い、そしてそして今日ここに来ることができ、私の願いが叶うことになりました。

ここに来る道中で運転手さんから津波の水害についいろいろ伺うことができました。津波がどのあたりまで来たのか、そしてそれがすべてを変えてしまったこと、それを感じることができました。大変な被害です。ですから先ほど車を降りてすぐにみなさんのみなさんの手を握りたいという気持ちを抑えることができませんでした。同時に涙が自然とあふれでたのです。とても悲しい出来事です。

しかし、これはもう既に起こってしまった出来事です。私たち人間には知性があります。この知性をこんな時にこそ活用しなくてはいけないのです。

まずは大きな視点で考える必要があります。同時に私たちには自信を取り戻すことができる源とを合わせるのです。他者に対するやさしさは私たちの心の強さの源となるものです。そしてその自信と知性とを合わせてみるのです。こうした逆境にどのように対処したらいいのか、それを考えるのです。現在直面したこの問題、こうした問題に未来にもどのように対処したらいいのか、これを知性と自信をもって考えてみるといいでしょう。そうするとこれらのすべての苦境と痛みを克服することができるはずなのです。

悲劇というものは私たちを悲しみの淵と落胆に陥れてしまうのは確実です。しかしみなさんはこの悲劇を自信と情熱へと変えなければいけないのです。一生懸命働き、そしてみなさんの家を建て直してください。みなさんのコミュニティと新しい生活を建て直すのです。

特に被災者のなかには若い子供たちも沢山います。まずはこの若い子どもたちを最大限にケアしなくてはならないでしょう。彼らがいまは適切な教育を受けて、将来次の世代をより幸せなへ導けるようになるということはとても大切なことです。

私の個人的な過去の経験をお話しておきます。1959年3月17日の夜、私の周りの状況はとても困難なものでした。最早チベットに留まることは意味がなくなり、亡命することとなったのです。それは多くの友人たちとの別れを意味していました。私が飼っていた小さな私の犬とも別れなければなりませんでした。そしてその別れは永遠の別れでした。私が彼らと別れた後2日間で何千人もの人が殺されてしまいました。もちろんそのなかには多くの私の大切な友人も含まれていました。これは大変悲しい出来事です。しかしながら私は自分の知性を活用し、正義を信じました。自信を失うことはありませんでした。このように自分に起こった悲劇を自分の内なる力の原動力へと変革することができたのです。あれから52年が経ったいまもいまも私は情熱と決意を持ち続けています。

みなさん日本の方も過去に、第二次大戦、そして広島、長崎とという二つの被爆体験を乗り越えたのです。それらの計り知れない破壊があったけれどもみなさんは決意と自信を失わなかったのです。戦後、勤勉に働かれ、破壊の灰から復興をとげられたのです。みなさんにはそうした精神があります。

ですのでもう今は前を向きましょう。悲しいことを過剰に考えてはいけません。これからの前を見て一生懸命に働くんです。みなさま方はとても強い協力の精神をもっていると聞いています。素晴らしいことです。日本のみなさんが伝統的にもっている真価に確固として立ってください。

先ほどここに車を降り、被災者のお顔を拝見し、本当に心が揺さぶられました。

そして創造主の存在を信じている人にとっては、これらすべての主な出来事は神が創りだした現象です。ですのでそれには必ず何らかの意味があるのです。こういう風に考えて過剰に心配したり落胆することを軽減するのもひとつのひとつの方法です。

そして創造神をたてない宗教、仏教やジャイナ教の立場では次のように考えます。特にそして仏教の観点からお話ししますと、すべてのものはそれぞれの原因によって起こっていることです。すべての出来事が因果関係にあるのです。今回の津波にもまたその原因があり、それが結果として起こったのです。地震もまた原因があり、それが原因となり結果として起こった出来事なのです。

結果が引き起こるための原因や条件が完全なものとなっている時、どのような力をもってしてもその結果が発生することを阻止することはできません。それが自然の法則なのであり、因果の法則です。

そして我々は人間であり、同じように歓びの感情と悲しみの感情との両方があります。そしてそれらの感情が起こるための原因というものがあるのです。これが業(カルマ)の考え方です。

業というのは活動のことで、たとえば人生の前半に何か何か間違ったことをやってきた場合、それが結果としてネガティブな現象として生きているうちに起こることがあります。更に我々仏教徒としては、現在の心は〔前世などの〕過去の心から継続しているものであると考えています。心は物質である脳から出来上がったものではありませんし、心が物質を生み出すことはできないのです。ですので現在の心は過去の心の延長線上にあり、それらは連続しているものです。この心の継続というのが
仏教の転生の考えの基礎にあります。

苦しい状況というものは、みなさんが過去に為した何か間違った活動が原因となって起こることです。それは今生でやったことだけではなく、みなさんの前世でやったことかも知れないのです。集団が前世で同じように何か間違った行動をし、そしていま今生でここに一同に会して、同じ時期に、同じ場所にいま生まれているのです。そしてこれがみなさんが同じような悲劇を共通して体験しなくてはならなくなっていることの原因なのです。仏教的な教えによればどのような業であっても、それがいくら永い時間が経ったしても決して消えないと言われています。〔ですので私たちにはもともと様々な悲劇を味わうことの原因が様々に備わっているのです。〕

過去に為してしまったネガティブな業が生み出してしまう結果を軽減させるために仏教で説かれている方法は、もっと力強くポジティブな業を作り出すということです。そしてポジティブな業の力が強ければ強いほど、過去に為してしまった否定的な業が起こす結果の波紋を軽減させることができるのです。そして場合によっては過去の悪い業が結果として現れてくるその影響を完全に無くすことも出来ると言われています。

だからこそみなさんは、いま前を向いて進んでいくべきです。自分たちの新しい生活を導いて行かなくてならないのです。そう心に決意して、同時に自分の生活を誠実でよきものとし、正しい生き方をするべきです。そしてこれがポジティブな業となるのですし、ポジティブな活動だと言われるものです。ポジティブで正しい活動、それは他者に対する思いやりのある活動です。そしてそれはこれが計り知れないほどポジティブな業の力となるのです。

このようにみなさまは自分の未来を切り開いてゆかれるといいと思います。そのことを通じて過去の悪い業が原因となってもたらされる悪い影響を抑えこんでしまうことができるのです。

最後にひとこと付け加えておきますと、いまは落胆して憂うだけの時ではないのです。ひどく悲しんだり落胆すべきではありません。心で決意し、日本人がもっている助け合いの精神と胸に、この街を再び立て直して、復興しなくてはならないのです。

いまのこの機会というものはとてもいい機会です。いまこそ世界にみなさん日本人の能力と可能性を示していただきたく思います。

この街を建て直し終わったその時に、新しく建て直された幸せに満ちたこの街に再び私を招くことをどうか忘れないでください。私はその時にまた来ます。みんなで大きなお祭りをしましょう。どうもありがとうございました。