優曇華の花


Created: 2012-08-26 Last updated: 2016-09-23 Author:野村 正次郎

石川美恵(東洋大学)

 1959年には、「ゲシェラー」(私たちはケンスル・リンポチェ・テンパゲルツェン師のことを敬慕の情を込めてこう呼んでいる。)は、まだ二十代の青年層だった。ちょうどお師匠が行の最中で、暗室に籠ったお師匠の行のお手伝いや身の回りのお世話をしている時期だったという。

 その頃チベットを取り巻いていた危機的な状況は、ゲシェラーにも十分すぎるほどわかっていたが、密教行者だったお師匠は前から行に入ったままで途中でやめるはずもなかったから、いつもと変わらぬ弟子の勤めを果たし続けていた。

だが、その日はもう限界だった。銃声や砲撃音は鳴り響き、殺戮と破壊は間近に迫っていた。僧であれば、ひとの行を途中で邪魔することなどありえない。ましてやそれがお師匠なら。それでも、暗室に籠ったままのお師匠に、ゲシェラーは懇願せずにはいられなかった。

「お願いです、ここを出て下さい!中国軍がそこまで来ているんです!」

幸いにも、そのときに禅定には入っていなかったお師匠は静かに答えた。

--私はまだ行が終わっていない。だからここを出ることはできない。

「どうか、どうかお願いです!一緒に逃げて下さい!!」

必死で頼み込むゲシェラーに、お師匠は告げた。

--私はもう年寄りだ。だから、私のことはかまわなくていい。だが、おまえはまだ若い。これから生きてなくてはならない。だから、おまえは行け。おまえ一人で、行きなさい。

それはお師匠の命令だった。

その意志の固いことをさとり、ゲシェラーは断腸の思いで脱出する。何事もなかったようにこれまで通りの行に入ってしまったお師匠を後に残して、険しい雪山の道を、仲間の僧達とともに、過酷な、行く先に身を寄せるあてすらない脱出行に旅立った。

雪山を逃げる途中、ふと仲間が立ち止まった。ラサから遠ざかり、争乱から離れた頃だ。

--やっぱり還俗して戦う。

一人がそう言うと、他のものたちも打たれたように同意し始めた。

--……還俗しよう。戦おう。

彼らは、決していきものを殺さないという不殺生戒を誓った学僧たちだったから、人を殺すことなんてなおさら思いも及ばないはずだった。だからこそ、戒を返し俗に戻り、武器を取ることがどういうことなのか十分にわかっていた。堕ちる地獄の恐ろしさも、誰よりも身に染みていた。だが、みな二十代だった。今、理不尽に故国を追われ、田舎に残した父や母、無辜の同胞たちが自由を奪われ殺されていくのを知りながら、自分たちだけが生き延び、逃げることなんてできない。彼らはそう言った。
そう言って、別れを告げた。必死に逃げてきた道を、虐殺が繰り広げられる現実の地獄へ、再び帰って行ったのだ。

だが、結局、そのとき去った仲間は一人も生きて戻っては来なかった。お師匠のその後も定かではない。家にいたはずの母の行方も、同様に。

1980年の終わりの東京で、ゲシェラーからこの話を伺ったとき、私も二十代だった。ゲシェラーがその後一度も帰ったことのない(帰れない)チベットの現代史もよく知らず、ゲシェラーの見てきたものの深さも重さもまだ知らなかった。私はただ、その温厚な人柄と、気持ちを和ませるまん丸顔に浮かぶ優しく晴れやかな笑みに魅かれ、仏教というものが、高い学識だけでなく、こんなに暖かく力強く、しかも清々しい人柄さえ養うことに驚き憧れ、自分のこの人生を仏教に賭けてみたいと思い始めていたのだった。

だから、この最も敬愛するチベット人高僧の過去の話は、身を抉られるように辛くこたえた。

--それほどのことをされたら、私ならものすごく恨んで憎んでしまうでしょう。

と、私は憤りをあらわにした。が、そのときゲシェラーは言ったのだ。

「違います。違います。恨んではいけません。本当にひどいことをされたときにも、それを恨んだり憎んだりしてはいけない。そのかわりに、恨む心を祈りに向けて下さい。相手の心にある怒りや憎しみが消えるように、念じて下さい。」

--私には、そんなこととてもできません。

ゲシェラーは微笑んだ。

「しようと思って下さい。そこからでいいんです。」

このひとは、なんという人だろう!……心臓を鷲掴みにして激しく揺さぶられたような気がした。

そのとき私は、このひとが生きて雪山を越えてくれたことに心から感謝した。もしあのとき、他の仲間達と同じように逃げる途中で踵を返し、戦乱の巷に戻っていたら、私たちはこの人に出会えなかったのだから!

その日、武器を取らず逃げたという自分の選択をゲシェラーは、

「臆病だったんです。人を殺すことも、死ぬことも怖かったんです」

と笑っておっしゃったけれど、本当はきっとそうではない。ゲシェラーのお師匠が命じたように、生きなくてはならなかった。生き延びて、世界に、世代を越え、国を渡り、伝え続けねばならないことがまだたくさんあったからに違いない。

仏には値いがたく、それは三千年に一度しか咲かない優曇華の花のように希だといわれるが、現実には菩薩すら値えないものなのだ。だが、ゲシェラーに接するとき、仏教が目指そうとしていたもの、仏教者が生きようとしていた真の姿がよくわかる。「上求菩提・下化衆生」(じょうぐぼだいげけしゅじょう)の菩薩の精神は、まさしくゲシェラーの中にこそ見いだされ、生きられているのだから。

その姿に接することは、優曇華の花にまみえるほどの僥倖に違いないのだ。