
ダライ・ラマ法王猊下御製『ナーランダ十七賢請願文』
弥勒に摂取されて大乗の法蔵すべてを
興隆するために広大道を説き給われる
仏の授記に則り唯識の轍を開かれた方
無着菩薩の御足下に請願せん
クンケン・ジクメワンポ著『チョネ版大蔵経論疏部目録』無着菩薩伝
「勝者が授記なされた聖者無着」と表現する通り、無着菩薩の御出現に関して『文殊師利根本怛特羅』では、釈尊が次のように明確に授記なされている。
私が涅槃した後、九百年後、無着という名の比丘が出現するだろう。彼は論書の本旨に通じ、経典の了義・未了義を数々と判釈するだろう。世間の偉大なる教育者となり、聖典を解明するだけの精神をもっている。彼は明の成就者たる娑羅使者と呼ばれ、その密呪力により、賢慧を起こし、教法久住の為、経典の実義の趣旨を集大成し、寿命百五十歳まで生きる。
この授記は、無着菩薩が教法衰退の復興を目的として、悲心と誓願とによってこの閻浮世界へ意志通り出世なされるということを意図したものである。
無着菩薩が出世なされる頃のインドでは、正しい教えに対し三度の弾圧が行われた。
ある時、外教徒の老婆が「仏教徒の銅鑼の音は粉砕せよと告げているようだ。これは我々に有害なのかどうか調べた方がよい」と言い出して、調べるとそれは「神々や龍や夜叉たちが供養した三宝のこの銅鑼を鳴らすことで、外道の堕落した脳を粉砕せよ」という趣旨であることが判明し派兵され壊滅させられた。その後若干復興出来た頃、中央インド国王がペルシャ国王に良質な木綿の布地を贈答品として贈ったが、布地の上に足跡の模様があったのを。悪意ある呪いがかかっているとして、派兵され壊滅させられた。その後また若干復興できた頃、僧院に物乞いに訪れた外教徒の乞食が、下水を掛けられたのに憤慨し、太陽を成就して僧院を焼き尽くし壊滅させられた。
この頃、婆羅門の女、明戒という名の者がいた。この女は心のなかで、教法の根本は論であるのに、それが三度の敵襲によって壊滅状態となったこれを復興することが出来る者など他には見当たらない。自分も女子となっているので叶わない。身体に子供を授かり産むことで、仏法を興隆させたい、という志をもっていた。そこで王族と交わり無着を、婆羅門と交わり世親を授かり、産んですぐに舌に卍文字で阿字を焼き付けるなどして、知性が鋭い者となるような呪術を行った。二人の息子が大人になった時、父の家業は何かをとったが、母は「お前はそんなことのために産んだのではない。学業に励んで、阿毘達磨の教法を興隆しなさい」といって弟をカシミールの衆賢(サンガバドラ)の下へと送り、兄は弥勒を成就して大乗論蔵復興しようと鶏足山中の洞窟へと赴いた。
三年間修行したが、吉兆が何も起こらなかったので、悲しくなり外に出ると、老人が木綿の花で鉄の棒を擦っていたので、何をしているのかと聞いた。すると針を作っているという。そんな綿のように柔らかいものであんなに硬い鉄棒から一体どうやって針を作れるのか、と聞いたところ、「精神力がある人間は、成そうとして成し得ないことなど何もないのである。たとえ困難であろうとも、諦めてしまわなければ山々さえも粉微塵にすることができるものである」と言われたので、自分のかけた時間は短すぎたのだと思い直し、再び三年行をすることとなった。しかしそれでも吉兆がなかったので、再び座を後にして外に出たところ、水滴が滴って岩が削れて摩耗しているのを見て、再び戻って三年間修行した。しかしまたもや吉兆がなかったので、再び座を後にして外に出たところ、鳩の羽根があたって岩が削れてなくなっているのを見て、もう一度三年修行して、合計十二年間の行を行ったのである。それでもまた吉兆がなかったので、悲痛に暮れたまま座を後にして外を歩いていると、下半身には蛆虫が沢山湧いており、上半身の肉の中に入って食べられているのを見て、非常に強い悲心を抱き、虫を取り払えば虫が死ぬし、取り払わなければ犬が死んでしまうと思い、自分の体の肉を切ってそれを虫に食べさせようと考えた。そこでアチェンタという街まで行って、錫杖を質に入れ金の小刀を借り、自分の体から肉片を切り出して、手で取ると死んでしまうかもしれないのを恐れ、眼を閉じ舌で取り上げようとすると、そこには犬は居らず至尊弥勒が光の輪にらっしゃるのに謁見出来た。驚いて
何と、唯一の父、私の救主よ、
これまで様々に精進に励みましたが
これまで何の成果もなかったのです。
いまになってどうして雨雲は大海と群れ
い悲痛で乾いた大地を濡らすのでしょうか。
私はあんなにも修行をしたけれど、吉兆がなかったのは御慈悲の希望は薄いということなのでしょうか」と不満を訴えると、至尊弥勒は
諸天の王が雨を降らせていても
傷んだ種子は芽生えることはない
諸仏がいくら出現なされていても
福分が無いなら善き経験はできない
私は最初からここにやってきていた。しかし汝自身の業障によって見えることが出来なかったのだ。いま大悲心が起こることで、業障は浄らかになり見えているのである。信じられないのなら、汝は私を担いで他の者に見せてみなさい」とおっしゃったので、街の中に行って他の者に見せてみたが、誰も見えなかったので、信じることとなった。
「汝は何を求めているのか」とおっしゃられるので、「どうか大乗を興隆してください」とお願いをすると「では私の法衣につかまりなさい」とおっしゃったので、その通り捕まって兜率天までいらっしゃった。諸天たちの説によれば、人間の年月で五十年間あるいは五十三年間そこに滞在されたと言われているが、『瑜伽師地論』の古註によれば、六ヶ月間滞在され聞法されたとも説かれている。そこでは、仏母経典群をはじめ、大瑜伽行地、多くの大乗経典、弥勒五法を聴聞なされ、人間界へ戻った後、『瑜伽師地論』五部を著されて、唯識派の大轍を善く開創なされたのである。
この阿闍梨が法流三昧を得ておられたことは、『瑜伽行地解説』(DT4043)では、
一切世間を利するため無着という
法流三昧の力で請来した甘露法を
聖者弥勒の口伝に基づき瓶に入れ
聴聞して掬われた御方を礼拝する
と説かれており、〔ダルマミトラ作〕『現観荘厳論註・語句開明』(DT3796)では、「無着阿闍梨は第三発光地を得ている方であるが、世親を教化なされるために唯識を説かれたのである」とある。
「法流三昧に住されていると解釈することで聖者であることは矛盾してしまうのではないか」と云うかも知れないが、同三昧を新規に獲得した時点では資糧道であると解釈しても、その後無に帰すと解釈する訳ではないので、そのような問題はない。無性尊者は世第一法位に住すると解釈するが、その通りであるとすれば、世第一法位と聖者位は一座にして生じているので、聖者であること明確なのである。
この方の齢は五百歳という伝承もあるが、百五十歳までは住され大乗の教法を極めて広大になされたのである。
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本翻訳は弊会で行っているチベット語仏教文献読書会の成果の一部です。読書会ではダライ・ラマ法王猊下のご著作のナーランダー僧院の諸賢に対する請願文をチベットの伝統的な大乗仏教の歴史観とともに自主的に学んでいます。次回(2026年2月11日)は無着菩薩の弟、世親菩薩の伝記を読みます。
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