作成日: 2012-08-13 最終更新日: 2016-11-02 作成:事務局

ビークンケンの逸話

むかしむかしチベットに「ビークンケン」という名の大泥棒がいたそうです。

ある日、ビークンケンはまったく人気のない道でひとりの男に出くわします。男はビークンケンに声をかけ

「通りすがりのお方よ、急いでいかないと泥棒が来ますよ。急いで行きましょう」といいました。

もちろんこの男はは自分の目の前にいるのがあの大泥棒のビークンケンだ
とは知りません。

ビークンケンは男にこう言います。「心配しないでも大丈夫。そもそもこんな人気もないところに、泥棒なんているはずないよ。」男は急いで歩きながら答えます。

「ビークンケンという怖い大泥棒がいるそうです。彼はだれもいないところに隠れていて、突然襲ってくるそうです」と。そこでビークンケンは素性をあかし「それなら大丈夫。だって私がビークンケンだから。」と告げました。

男の顔から恐怖で血の気がなくなりました。そしてその場で泡を吹き突然気絶してしまいました。これにはビークンケンも驚きました。「自分は大泥棒だとは思っていたが、これほどとは。知らないうちに自分は何と罪深い人間になってしまったことだ。私の名前を聞いただけで死にそうになる人がいるなんて。私の人生は間違っていた。これからは何としても仏門にはいって修行しなければ、この罪を償うことはできまい」その場を立ち去り、彼はすぐにラマに弟子入りすることにしました。

出家してからのビークンケンはよく仏教の教理や哲学を学びました。学んだ内容を瞑想し本当に一生懸命に実践しました。

その結果「ゲシェー」(仏教博士)にもなり、「ゲシェー・ビークンケン」と呼ばれるようにもなりました。

いつも彼は洞窟のなかでも瞑想し、文字通り仏教の実践者になったのです。

朝晩彼は、その日自分がきちんと仏教の実践をしたのかどうか毎日毎日、床につく前に自問自答しました。

その日の修行がよいものだったら「今日はよく実践したな。〝ゲシェー・ビークンケン〞と呼ばれるに相応しい」そう自分を褒めました。逆に一日の修行がよくない場合には「これまでさんざん人殺しや盗みをしてきたのにお前はまだ改心していないのか。どうなっているのだ」そう自分を誡めたのです。

このように夜寝る前に一日の自分の行動を反省することは、非常に大切なことなのです。

また彼は昔大泥棒でしたので、時には習慣化した手癖の悪さがでてしまうこともありました。

ある日、近所の家にお勤めに行ったところ、茶筒が置いてありました。ビークンケンはちょうど自分の修行場のお茶を切らしていたことを思い出し、思わずその茶筒を盗んでやろうという気が起ってしまったのです。

人目がなくなったのを見計らって、そうっと手を延ばし茶筒をつかみました。その瞬間、はっと我に返ったのです。

「また盗みをしようというのか。」ビークンケンはとっさにもう一方の手で、自分の盗みを働いている手を捕まえ「泥棒だ。泥棒だ。」と大声で叫んだのです。その声を聞いて駆けつけた家の人は「泥棒はどこですか。」と彼に聞きます。「泥棒はここです」ビークンケンは自分の右手を突き出して言いました。家の人は馬鹿らしくて笑いころげたとのことです。

またある日、ビークンケンの自坊に施主がやってくるのできれいに掃除をして、閼伽水の供養をしました。

彼はいつものように「今日は本当に供養できたか」と反省してみます。よく考えると、自分の行為が仏への供養なのではなく、施主がやってくるからという動機に基づくものであったことに気づきました。彼は「今日は仏法を実践せずに、世間八法をしたに過ぎない」そう嘆き、灰をつかみ、器に投げつけたのです。そして自分を恥じて袈裟で頭を覆い

「ああ、今日は世間八法をしてしまった。何とも恥ずかしい」そう思い屈みこんでしまったそうです。

ちょうどその時、遠くからある神通力をもったラマがその様子を見ていたそうです。本当は閼伽水の上に灰を投げるのは罰当たりなのですが、彼が大きな功徳を積んでいることをそのラマは分かりました。ラマはいいました。「この雪国チベットに、ビークンケンほどの本当の仏教の実践者はいないだろう」と。

ビークンケンは大変な仏教の実践者になりました。所有物は何もありません。大変な貧乏生活で、供物を餓鬼に施すときもクルミの皮の上に、少しだけ水をかけ、その上に供物を置きました。

すると不思議とこの小さい供物の上には餓鬼が沢山群がって食べていました。それは本当に清浄なる心の底から餓鬼に施したいと思ったからなのです。

その証拠に、ちょうど同じ場所で別のラマが金銀の高価な器に、きれに作った供物をおき、餓鬼に与えようとしていた時には、一匹の餓鬼すらもやってこなかったと謂われています。

この逸話にあるように、普段から自分の修行の良し悪しを反省し、ほんとうに心の底からのものなのかどうかをを自分で確認することがとても大切です。自分で自分の心を常に監視し反省し、そしてコントロールすること、これこそが仏教の実践であると言えるのです。

※「世間八法」とは、「八風」ともいい、修行者が避けるべき世間の価値観のこと。 利得を得ることを好み、損失を被ること嫌い、影で褒められることを好み、影でそしられることを嫌い、人前でほめられることを好み、目の前で悪口をいわれるを嫌い、楽しくないことを嫌い、楽しいことを好むといった価値観。これらに執着しないことを「八風吹けど動ぜず」という。