2026.03.26
ཅོ་ནེ་བསྟན་འགྱུར་དཀར་ཆག་ལས་འཕགས་པ་ཐོགས་མེད་ཀྱི་རྣམ་པར་ཐར་བ།

獅子賢菩薩伝

『チョネ版大蔵経論疏部目録・如意宝蔓』
クンケン・ジクメワンポ著/編訳:野村正次郎
ハリバドラ

ダライ・ラマ法王猊下御製『ナーランダ十七賢請願文』

仏母の本義を判釈すると授記を得て

主阿逸多の教誡を如実に解釈されて

三会の般若波羅蜜多経を顕彰された

獅子賢菩薩の御足下に請願せん

師資賢菩薩伝記1

ハリバドラ(Haribhadra 獅子賢)阿闍梨は、遠い昔の過去から発心なさり、菩薩行を広大に学ばれて、この大地において、釈尊の説かれた教法の核心である般若波羅蜜の教誡を興隆したいという祈願が実現してご誕生になられた方である。師が王族へ誕生されたのには次のような由縁がある。

昔、インド東域に「カディラ森林地域」と呼ばれる場所があった。そこには大木があり、木の神が棲んでいた。ある時、その地に住んでいた遊牧民の男が死に、妻は未亡人となったが、その未亡人は、極めて容姿端麗で美しい女性であった。ある日この未亡人が牧畜をするために外出したところ、大木に住んでいた木の神がこの未亡人と交わったので、未亡人には「ゴーパーラ」という名の素晴らしい息子が生まれることとなった。父親となった木の神は息子に財宝を授け、その圧倒的な財宝の力によって、国全体を支配する王となり、ナーランダー僧院を建立した施主となった。

ゴーパーラ王の妃のなかには全く実権がない妃がいた。しかしこの妃は王のことを支配しようとして、婆羅門のある修行者にそれを実現するための明呪を授けて欲しいと願った。

修行者はヒマラヤ山脈で薬草を採取し、それを封印して侍女に預けて持たせた。しかし侍女は道すがら橋を渡る時にそれを落としてしまい、そのまま川を下り海まで流れつくこととなった。薬草が流れついたのを海の支配者である龍王が拾って食べると、海全体の支配者であった龍王ですら王妃に支配される者となった。王妃は龍王を支配し密会して交わり、王子シュリマッド・ダルマパーラが生まれることとなった。吉日の度には王子に対する供養が行われたが、ある時蛇たちが王子に対して頭を傅いていたので、ゴーパーラは妃の裏切りを察知し、強く激昂して、王妃を処刑しようとした。しかし王妃は龍の文字が刻まれている指環を見せて説得したので、王は翻意しそのまま供養を続けさせ、自身の王子として育てることした。

王子は次第に育ち成人していくにつれ、他の王子よりも圧倒的に素晴らしい自分自身の宮殿を建設したいと考えた。そこで占師に伺ったところ「沙門や比丘の衣地で燈明の芯を作り、王族や長者の家からバターを調達して、苦行者の神殿から燭台を調達して、燈明を灯して本尊の前に置いて祈願すれば、ダルマパーラの化身が燭台を投げ捨てることになるので、それが落ちた場所に建設するのがよいでしょう」と告げられた。王子はお告げの通りにすると、一羽の烏がやってきて燭台をつかんで飛び去りそのまま湖に捨てたので、王子はこの予言を信じることとなった。ある夜、夜中に蛇が五匹頭上を荘厳した姿の龍王がやってきて「私がお前の父親なのである。湖を干涸びさせて建設させようではないか。七日毎に七週間は広大な供養を行いなさい」と告げた。王子がその通りにすると二十一日後に湖は干上がり、オタンタプーリの大僧院の仏殿が見事に建立されたのである。

この王には、王位を継承した者、学者、成就者、放蕩王子といった四人の息子たちがいたが、末子の放蕩王子が財産を食い潰す恐れがあったので、財宝はこの末子に与えることとなった。

この末子には、デーヴァパーラという名の息子がいて、この王子は過去世の祈願力により、般若経に篤い信心を生来有していた。ある時彼は父の財宝を横領し、般若経を講釈してくれる比丘へと与えたが、それが父王の知るところとなり、父王は「この財宝は王である私のものである。沙門は本来小欲知足であることが相応しいが、汝はそのような者ではないではないか」といってその比丘たちを絞首刑にして殺して、財宝を奪い返した。

比丘は絞首刑にされて死に際に「せめて私の弟子は王子に転生するように」と祈りながら死んでいったので、弟子はその通りにこの王家へと転生して「マヒーパーラ」と呼ばれる王となり、特に般若経への篤い信仰をもつ者となった。この王は諸国から般若経の講師を呼び寄せて、般若経を講釈させたが、その庇護された者のひとりとなったのが、当時王族に生まれたハリバドラであった。

「ハリバドラ」の名前の由来としては、昔の法源書によれば、この阿闍梨が母胎にいらっしゃった時に、母に獅子の被害が起こり、母の体は獅子に食べられたが、幸いにもこの童子のことは獅子が食べなかったことから「獅子(ハリ)に食べられずに幸運な者(バドラ)」と名付けられたという伝承も存在している。

王族に生まれたハリバドラは大人に成長しても、俗世間の煩雑な雑事にかまけて執われてしまうこともなく、仏の教えへと出離なさり出家なさって、完全なる学処を具足した比丘戒を授戒なされた。その後、自派・他派のあらゆる学説のそのすべてをよく学ばれて、内容に通暁なさって殊勝な方となられた。特に般若波羅蜜については、その本義を追求なさるために、常啼菩薩のように身体や生命すらも惜しむこともなく、大いに精進され、法宝である般若波羅蜜多経が意図している三士道次第のその全体すべてに、いつか確固とした確信をもてるようになり、他人に翻弄されてしまうことも出来ぬようなものを確立したい、と志されるようなり、そのことだけを追求されることに精進なされたのである。

当時は戒師シャーンタラクシタ(寂護)大和尚が教法の主宰者としていらっしゃったので、戒師シャーンタラクシタに思量・加行の両方で正しく師事なされた。至尊弥勒から継承する般若波羅蜜多の優婆提舎を無着菩薩兄弟のお二方ならびに聖解脱軍の著された聖典を詳しく学ばれて、同時に勝者の密意を瑞主龍樹菩薩が解釈なさった中観聖典も詳しく学ばれた。正等覚者仏世尊から至尊弥勒主、そこから無着御兄弟へと次第相承された広大道次第の教えと、正等覚仏世尊から至尊文殊、そこから瑞主龍樹菩薩父子へと次第相承された甚深道次第の教えとの提要を、幾度となく心に思い、それを分析し、思考して、自分自身の心相続に定着させていくそのために、所縁・行相を修め実践することに努められて、勝者の教説の核心である三乗道次第の円満成実なるものに、特別な経験を心に創出なされ、それに引き続き、福分を有する数千人の弟子に般若波羅蜜の教誡を教示された。

ハリバドラはそれだけで満足せず、更に猶一層、如来の教法へ広大な貢献を為さんという志を起こされて、戒師シャーンタラクシタ師から至尊弥勒の成就法の伝授を授かって成就なされたので、ある日夢のなかにサフラン色の威儀麗しい比丘が出現し「東方カサルパナへ行きなさい」と授記された。その授記の通りに、そこを訪れて、三晩の間潔斎行をなされて夢判断をなされると夜明け前の夢のなかで、オタンタプーリ精舎の屋根の上の天空に分厚い雲が立ち込めて、その雲間から諸天が上半身を覗かせて様々な供物で供養しているのが見えたので、「何をしているのですか」と聞いたところ、「至尊弥勒が八千頌般若をお説きになられているのを供養していました」と答えるので、そのまま長く見つめていると、煌々とした至尊弥勒が頭頂を供養塔で聖言なされ、右の手では説法印を結ばれておられるのに謁見することができて、礼拝し供養し奉った上で「御君の論書には最近では多くの註釈がございますが、どれに従って修めてゆくのが宜しいでしょうか」と伺ったところ、「すべての聖典を善く領解して、適切なものを集めて、汝がひとつにまとめて著しなさい」とお答えになり、著述の許可を頂戴することとなった。夢から目醒めた後に供養し、論疏を著すための施主を募るためにカサルパナから西方へ移動なされた時に、マヒーパーラ王が「仏母経を講じる者のなかではハリバドラ阿闍梨が秀逸である」と伝え聞き、阿闍梨を招待したいとの旨の使者を遣わしてきたのに遭遇し、招待を受けて、トライクータカ僧院を訪問なされ、数千人にものぼる沙門衆に般若波羅蜜優婆提舎を広大に教授なされることとなった。

こうしてパーラ王朝の王たちが施主を務め、弥勒菩薩の授記の通りに、『現観荘厳論明義釈』(Abhisamayālaṁkāra-nāma-prajñāpāramitopadeśaśāstra-Vṛtti a.k.a Suphutārtha. TD3793)、『現観荘厳論』と『八千頌般若経』を照合した『現観荘厳論并八千頌般若経大註光明』(Āryāṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā-vyākhyān-ābhisamayālaṁkāra-Āloka. TD3791)、聖解脱軍造『二万五千頌光明』とに合わせて八章立てとした『二万五千頌要義』、『宝徳蔵般若経疏』(Bhagavad-Ratnaguṇasaṁcayagāthā-Pañjikā. TD 3792)、『般若修習論』、『チャンドラ文法流格変化本頌』(Vibhaktikārikā. TD4274)などを著された。

『現観荘厳論明義釈』(Suphutārtha)はこの至尊弥勒から加持されて成立したものであり、菩提道次第に則って心を修練するために般若経を学ぶための眼のようなものであり、『八千頌大註・光明』(Āloka)は、修行をはじめるにあたり道場を清掃するところからはじめあり止観双運の瑜伽行の修習にいたるまで、三士道次第のすべての肝要が、般若経でどのように説かれ、その道が如何なるものであり、その道の定数が如何なるものであり、修習の次第を如何に進めるべきかを微塵ほども迷乱することなく極めて明白に説き示しているものである。ひとつの観察の対象を修める時にも、その観察対象それぞれに道全体を過不足なく弥勒菩薩が行事なされた通りに具体的に示しながら解説しており、初順解脱分に端緒を発し、最終的には金剛喩定で二顕現の迷乱の直接的な対治とし一切相智を得て、二十七種の事業を通じて衆生利益を如何に為すのか、ということに至までを教示するものであるからこそ、この聖典は、閻浮提世界の人々にとって無類の法恩そのものなのである。

(追記)

本ハリバドラの伝記には、当時ハリバドラを庇護したパーラ王朝の逸話も紹介されている。このパーラ王朝は、ナーランダー大僧院、ヴィクラマシーラ大僧院、オダンタプーリ大僧院、ヴァジラーサナ大僧院というインド仏教の四大僧院の最大の施主であっただけではなく、当時は新興の仏教国であったチベットへシャーンタラクシタ、カマラシーラ、アティシャたちといった当代随一の傑僧たちを派遣しチベットの仏教の伝統を作り上げただけではなく、チベットからの留学僧を多く受け入れて、仏典翻訳事業なども推奨し、仏法興隆に多大なる貢献を残している。詳しくはダライ・ラマ法王猊下とも親しくされている総本山金剛峯寺の現法印猊下、藤田光寛博士の以下のご論文2を参照されたい。

大乗仏教の根本聖典は般若経であり、般若経は釈尊が霊鷲山にて説法をされる際に、自らその教えの殊勝性に敬意を表するため、自ら法座を作り、それに三礼して説法を開始されたと言われるように、三世十方の如来の教えの中心は、般若波羅蜜多にある。そしてこの甚深広大なる般若波羅蜜多の教えを後代の弟子が理解できないからこそ弥勒菩薩が我々に説かれたのが『現観荘厳論』であり、それは如来の仏語の解釈のなかでも最も重要で最も権威のあるものである。そしてその『現観荘厳論』の註釈者のうち、前回の記事で紹介したアールヤ・ヴィムクティセーナとこのハリバドラとは、聖者説・阿闍梨説としてすべての大乗仏教徒がその伝統解釈を学ばなくてはならない。そしてこれを学ぶ際に使用される教科書が『現観荘厳論明義釈』である。

現在デプン・ゴマン学堂に設けられている十六年次の伝統教育過程のうち六年間はこのハリバドラの註釈を暗誦し、問答をし、師僧から指導を受けて学んでいくのであり、ゲルク派共通試験の六年間を合わせれば、少なくとも十二年間はこのハリバドラの註釈に真摯に向き合い、それを学んでいかなくてはならない。現在国を失い難民となったチベット難民の学僧たちでこの根本聖典を学び続けている僧侶はモンゴル人、ロシア人などを含めると常時数千人以上が日々研鑽を重ね、この法統を護持し継承しつづけている。『現観荘厳論明義釈』『八千頌大註光明』の両本は現在梵文原典も荻原雲来氏3や天野宏英氏4など日本人研究者の手によって校訂され出版されており、梵文原典に触れてハリバドラ菩薩の直接の言葉に耳を傾けることができるし、それを大切に継承してきたチベットの善知識たちの指導に基づいて、その伝統に則って我々日本人もこの人類の至宝に触れることができるし、それを通じて釈尊の教えの中心である広中略の三会の般若経を学ぶことが出来る。

20世紀の日本では、河口慧海などがチベットから請来した般若経の梵文写本の翻刻や校訂が盛んに行われ、世界の往来も画期的に容易に出来るようになったため、これまでなかったほど般若経を学ぶための環境は発達した。21世紀の日本では、それを踏まえて般若経を学ぶ伝統が、さらに進化して『現観荘厳論明義釈』を通じて理解を深めていくことで、大乗仏教がさらに興隆することを願ってやまない。

パーラ王朝時代の『八千頌般若経』写本とそこい描かれた弥勒菩薩(メトロポリタン美術館蔵)
ヴィクラマシーラ大僧院はチベット最初の僧院であるサムイェー大僧院のモデルになった

  1. 以下の訳文は、クンケン・ジクメワンポの『チョネ版大蔵経論疏部目録』のハリバドラに関する記述にヨンジン・イシ・ゲルツェンの『道次第師資相承行状記』の記述を補完し合体して訳出したものである。 ↩︎
  2. Cf. 藤田光寛「パーラ王朝の諸王が建立した四大仏教寺院」『高野山大学密教文化研究所紀要』第6号、1993年。 ↩︎
  3. 『Abhisamayālaṃkār’alokā Prajñāpāramitāvyākhyā (commentary on Aṣţasahasrika-Prajb̃āpāramitā) / by Haribhadra, together with the text commented on; edited by U. Wogihara』Fascicle1,The Toyo bunko,1932. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1679474
    『Abhisamayālaṃkār’alokā Prajñāpāramitāvyākhyā (commentary on Aṣţasahasrika-Prajb̃āpāramitā) / by Haribhadra, together with the text commented on; edited by U. Wogihara』Fascicle5,The Toyo bunko,1934. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1679473 ↩︎
  4. Amano, Koei H. 2000. Abhisamayālaṃkāra-kārikā-śāstra-vivṛti: Haribhadraʼs Commentary on the Abhisamayālaṃkāra-kārikā-śāstra Edited for the First Time from a Sanskrit Manuscript. Kyoto: Heirakuji Shoten.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-Ia1000072359 ↩︎

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