2026.03.13
ཅོ་ནེ་བསྟན་འགྱུར་དཀར་ཆག་ལས་འཕགས་པ་ཐོགས་མེད་ཀྱི་རྣམ་པར་ཐར་བ།

聖解脱軍菩薩伝

『チョネ版大蔵経論疏部目録・如意宝蔓』
クンケン・ジクメワンポ著/編訳:野村正次郎
アールヤ・ヴィムクティセーナ

ダライ・ラマ法王猊下御製『ナーランダ十七賢請願文』

無着兄弟から伝わる般若経の意図を

有無離辺の中観の法統にしたがって

荘厳の密意を顕彰する燈明を灯された

聖解脱軍尊菩薩の御足下に請願せん

聖解脱軍菩薩伝記1

世尊菩薩の弟子には、阿毘達磨・般若経・因明・戒律の四分野で師を凌駕する勝れた四大弟子がいらっしゃった。スティラマティ(安慧)は阿毘達磨、アールヤ・ヴィムクティセーナ(聖解脱軍)は般若経、グナプラバ(徳光)は戒律、ディグナーガ(陳那)は因明、と四大弟子はそれぞれの分野で師である世親菩薩を凌駕する程勝れた学者であったと言われている。

このうち菩薩アールヤ・ヴィムクティセーナ(聖解脱軍, Āryavimuktisena)は、多くの大僧院を統括していた正量部の拘拘羅派(Kaurukulla-Āryasammatīya)のブッダダーサ(Buddhadāsa)尊者の甥であり、初地歓喜地を得た菩薩であるが、彼は中央インドと南インドの境にある燃窟の付近で阿闍梨ブッダダーサ(Buddhadāsa)の甥として誕生なされた。

幼少期より篤く仏法に帰依し出家し僧侶となり、大人になってからは拘拘羅派の具足戒を授かり比丘となり、その律の細則のすべてをよく理解し実践した。

遠い過去世から既に広大に仏法を護持したいと誓願していたことから、三蔵とくに大乗蔵、そして般若経に関する教誡を聞法したいと思うようになり、世親菩薩の下へと参じて思量・加行の両法によって正しく師事し、三蔵をしっかりと学んで秀逸なる賢者となった。特に般若経については、その言葉づかいもその意図も完全に習得し、同時に般若経を弥勒菩薩が菩提道次第の教誡として説かれている『現観荘厳論』をもよく聴聞し、その内容に則って、大乗道のすべてを円満成就し、道次第を進んでゆき、法性を現観し聖者となり、陀羅尼門・弁才・広大なる神通力・勇行三昧(首楞厳三昧)・虚空蔵三昧などといったものを現証し、至尊弥勒菩薩に直接謁見できるようになった。

弥勒菩薩に謁見した際には、それ以前に「『現観荘厳論』所説の初発心から仏業までの七十義の各項目を般若経それ自体と対照できると何とも素晴らしいことだ」という希望をもっていたので、その旨を申し上げて教えを請った。すると弥勒菩薩は「あなたはヴァーラーナーシーへ行くとよいでしょう。そうすればあなたの希望は叶うでしょう」というお言葉を頂戴した。

そこでその通りにヴァーラーナーシーの僧院へ赴いたところ、その時に丁度シャーンティヴァルマン(Śāntivarman)という優婆塞が観音菩薩の助けを借りながら山を越え、海を越え、大変な努力をして補陀落へと向かい、観音菩薩ご自身から『二万五千頌般若経』(大般若波羅蜜多経第二会・巻第四百一〜巻第四百七十八/大品般若経)を授かり、それをヴァーラーナーシーの僧院へと無事に請来し終わったところであった。

当時人間世界に何故『二万五千頌般若経』が消失していたといえば、釈尊が涅槃なされた後、魔物たちが悪しき呪いの力により、仏法は外道が衰退させようとする迫害を相次いで受け。一時期はインドには、多くの仏説の経帙が現存せず失われていた。しかし龍樹菩薩が『十万頌般若経』(大般若波羅蜜多経初会・巻第一〜巻第四百)を龍国から請来され、『八千頌般若経』(大般若波羅蜜多経第四会・第五会・巻第五百三十八〜卷第五百六十五/小品般若経)も復興されていたので、幸いにも『現観荘厳論』をその二つの般若経と対照し学ぶことができた。しかしそれでも数箇所は対照困難であった。しかしながら弥勒菩薩の教えに従って、ヴァーラーナーシーの僧院を訪れ『二万五千頌般若経』を拝読する機会を得たことにより、不明であった対応関係のすべてを対照し対応箇所を確認することが可能となったのである。

『現観荘厳論註・二万五千頌光明』でアールヤ・ヴィムクティセーナは『現観荘厳論』の説く八事七十義のすべてを『二万五千頌般若経』における略説・広説の該当箇所と対照させ注釈し、海を超えて宝島へ宝探しに行った船頭が、如意宝珠を得たかのように、これまで対照することができなかったように、明確な形で確認することができたのである。そしてこの著作は、この閻浮提世界においてはじめて『現観荘厳論』と『二万五千頌般若経』を個々に対照させた最初の注釈書となった。そしてその注釈に基づいて講義を行い、それを学び菩提道次第を修習せんとして師事する僧侶たちも数千名となった。そのなかには、『二万頌般若経・評釈』の著者バダンタ・ヴィムクティセーナ(賢解脱軍)も含まれているとする伝承も存在する。聖解脱軍菩薩はこうして多くの弟子を輩出し、二十四もの僧院で三十年間にわたって般若経を中心とした講義を行われて、過去世からの誓願通りに仏法興隆に広大に励まれた後、兜率浄土の弥勒菩薩の元へと往生なされた。大乗仏典の根本経典である般若経に関しては、聖解脱軍菩薩こそが無着・世親菩薩に続く重要な論師であり、中観派の注釈者『現観荘厳論註・二万五千頌光明』として、彼の著作はチベット大蔵経疏部(テンギュル)の般若部の冒頭の一帙に収録され、現在もその輝きを放ち続けている。今日でもゲルク派の三大本山常に、後述する師資賢阿闍梨(ハリバドラ)の学説と比較しながら、「聖者説・阿闍梨説」という形で、その法統は継承され続けている。

『現観荘厳論』に基づき校訂された『聖二万五千頌般若波羅蜜経』の梵文写本(河口慧海請来・東京大学蔵)Matsunami Catalogue 235

読書会のご案内

本翻訳は弊会で行っているチベット語仏教文献読書会の成果の一部です。読書会ではダライ・ラマ法王猊下のご著作のナーランダー僧院の諸賢に対する請願文をチベットの伝統的な大乗仏教の歴史観とともに自主的に学んでいます。次回(2026年3月18日)はディグナーガの伝記を読みます。チベット語を学んだことがある方で、聖者の伝記にご興味のある方は是非ご参加ください。

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    1. クンケン・ジクメワンポの『チョネ版大蔵経論疏部目録』の聖解脱軍菩薩に関する記述は、大変短いので、ここではヨンジン・イシ・ゲルツェンの『道次第師資相承行状記』の内容を補完し訳出しました。 ↩︎

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