2025年12月12日、ダライ・ラマ第14世テンジン・ギャツォ法王猊下は、南インドへご行幸され、現在まで本山デプン・ゴマン学堂にご滞在なさっている。12月24日にはデプン座主への就任式が行われ、その後授戒や参結した方々と謁見を行われている。本山では、今回のダライ・ラマ法王猊下の長期ご滞在に伴い、各支部や関係者を招待し、法王猊下に直接加持して頂ける機会を提供することとなった。これに伴い私たち日本支部からもゴペル・リンポチェ第四世ガワン・ニェンダー師、真言宗御室派大本山大聖院座主吉田正裕師を中心に、日本からの巡拝旅行を企画させて頂いた。
このたびの巡拝旅行には、現在の仏典読書会の施主である曹洞宗吉国山龍華院副住職・長井心道禅師、地元浄土真宗本願寺派安芸教区からは眞光寺・青原恵日師、大本山弘法寺弘法寺教務主任・小田海光師ほか出家・在家の日本人の篤信の関係諸氏20名が参加され、本山では、弊会の創始者の化身ラマ・ハルドン・ケントゥル・リンポチェをはじめ、永く日本でも活動して頂いたゲシェー・ロサン・イクニェン師(ゲンギャウ)、ロサン・プンツォ師(アボ)の両師も加わり、このたび法王猊下との謁見も終了し、無事に巡拝旅行も成満することができたので、ここに報告申し上げたい。

羽田空港発、デリー経由、フブリ行き
初日の1月13日(火)、に広島他の地域から羽田空港で乗り継ぎ、デリー空港まで空路で移動した。デリー空港に到着した後には、本山ゴマン学堂の担当者が専用車でオールド・デリーのマジュヌカティラチベット難民居留区まで案内してくれた。はじめてインドを訪問される方々は、インドの首都の大変混雑した交通状況のなかで、絶妙な経路で渋滞を進んでいく運転技術に驚嘆するものとなったが、無事に、ゴマン学堂の宿坊に到着した。

翌14日の午前中はマジュヌカティラのチベット難民居留区内を徘徊し、午後の国内便で本山ゴマン学堂から最も近いフブリ空港まで移動した。フブリ空港では、日本で活動中のゴペル・リンポチェ、アボさんがカターを持って歓迎して下さり、本山寺務局員の接遇担当僧からも歓迎の意が表せられた。その後、陸路で1時間程移動しゴマン学堂に到着し、一行は数年前に新築された「デプン・ゴマン・タシー・カンサル」と名付けられた賓客向けの宿舎に宿泊することとなった。宿舎の各部屋には、新鮮な果物やミネラルウォーターがサービスされ、参加者は長い移動の疲れを癒し、翌日からの巡拝に備えることとなった。
ゴマン学堂・護法堂・デプン大集会殿を参拝
我々が宿泊した新宿舎はダライ・ラマ法王猊下がご滞在中の新問答法苑から非常に近く、夜明け前から法王猊下に朝を告げるドゥンチェンとギャリンの奏楽が響きわたっていた。参加者のご一行には旅の疲れをゆっくりと癒して頂きながら、筆者は常時ゴマン学堂を訪問する場合に倣い、恩師ケンスル・リンポチェのご自坊へと向かい、先代の師に対するのと同じく五体投地三礼の上、再臨師ハルドン・ケントゥル・リンポチェ・テンジン・ワンチェン師に到着の報告をさせて頂いた。
ケントゥル・リンポチェはデプン僧院から1000kmほど離れたバイラクッペの地にチベット難民学校の英語教師のご夫婦の長男として2014年にお生まれになられた。その後ダライ・ラマ法王猊下の指示の下213名の候補者の中から先代の化身「再臨師」として法王猊下から認定して頂いた。化身認定が行われた8歳の時に、すぐに出家され2024年のサカダワ大祭よりダライ・ラマ法王猊下より剃髪・沙弥戒を授かり出家され、デプン・ゴマン学堂に正式に再入門されることとなった、昨年2025年のサカダワ祭の時にデプン大僧院への正式な化身ラマの入門儀式である「向法流式」(チューシュク)を終えられ、既に仏教基礎学の二年間の学級を修了され、この冬からは証因学の学級へと進級されている。昨年度の年度末試験では総合成績2位で修了なさり、成績優秀者として学堂長から表彰された賞状を筆者にも見せて下さった。弊会からは現在11歳のケントゥル・リンポチェがご自坊でダライ・ラマ法王猊下の説法などを観覧させるためのiPadを寄贈させて頂きました。リンポチェは、先代の師と同じく大変物静かで大人しい性格であられるが、筆者は「ご自坊のなかで誰が一番厳しいですか」と質問したところ、故ゲシェー・ペマ・ワンギャル師がリンポチェの相棒として連れて来たラダック出身のルームメイトが一番厳しい先生であるとのことであった。また現在はどの経典の暗唱に取り組んでおられるのかを伺ったところ、密教の根本聖典『聖妙吉祥真實名經』を現在暗唱中とのことであった。広島の日本別院で先代は同経の口伝の法脈を授けて下さった時のことなどをご紹介し、今回の巡拝旅行の参加者と、先代とのご縁について簡単に説明させて頂いた。御自坊には昔と同じく原爆投下直後の焼け野原となった広島市の絵が壁に描けてあり、それは先代がダライ・ラマ法王猊下と共に広島を訪問された時に広島市長から頂いたものであることを改めて紹介させて頂いた。不思議な仏縁で、その広島の地で私どもは活動させて頂き、ダライ・ラマ法王招聘した各種行事を二回も開催させて頂いたことなども報告させて頂いた。
到着のご挨拶を終えると、宿舎へと戻り、一行と合流し、朝食後、ゴペル・リンポチェにご案内頂きつつ、まずは現デプン・ゴマン学堂長であるケン・リンポチェジクメ・ギャツォ師にご挨拶に伺うこととなった。ケン・リンポチェからは歓迎のお言葉を頂き、簡単なデプン・ゴマン学堂についての紹介、ダライ・ラマ法王猊下が僧侶としてはゴマン学堂のサムロ学寮に所属され、この度正式に僧籍名簿の筆頭にご宝号を連ねて下さる旨、ご快諾頂けたといったお話を頂いた。

引き続きデプン・ゴマン学堂集会殿(ドゥカン)を参拝し、阿閦如来、釈迦三尊、ジェ・ツォンカパ大師、クンケン・ジャムヤンシェーパの御前で、般若心経一巻・観音菩薩ご真言を一同で諷誦し、引き続き、護法堂を参拝し、怖畏金剛十三尊、六臂大黒天、ガードン尊などを参拝させて頂いた。ゴペル・リンポチェからはこの護法堂で数年間も学堂長代理として特別供養の金剛阿闍梨として出仕なされた時の経験談などをお話頂いた。


これに続いて、通常部外者立入禁止の部屋であり、ゴマン学堂の学問の根幹を担う、試験委員会の事務室を訪問させて頂いた。この試験委員会室では、すべてのゴマン学堂の僧侶の個人情報を保管しており、16学級すべての学年末試験の暗記試験・問答試験・その他の採点結果が蓄積され、厳格に管理されている。その記録のひとつひとつがゴマン学堂に在籍する僧侶にとって一生そのものであり、その記録こそが学問僧院であるゴマン学堂の最も価値のある至宝そのものであると言って良いものであった。
集会殿での一連の参拝を済ませた後、地上階ならびに周辺広場では通常の学級ごとの問答が行われていた。一行はそれを見学しながら、ゴペル・リンポチェのご案内にしたがって右饒していると、子供の僧侶がふざけているのをみて、ゴペル・リンポチェが軽く舌打ちすると直ぐにその子供の僧侶も反省してきちんと態度を改めていたのを見ると大変印象的であった。問答法苑ではケントゥル・リンポチェもクラスメートと問答をされており、少し恥ずかしそうなご表情をされていたが、邪魔にならないように急いで進み、一旦宿舎に戻り、中食となった。

中食後は再びゴペル・リンポチェのご案内で学堂寺務局棟を訪問し、巡拝者各自から学堂に対する寄進の奉納をさせて頂いた。リンポチェからは普段2000名分の給食を支給することが如何に大変なことか、パンとお茶といった最も簡単な朝食を作るだけでも大変な作業であることや、給食を作るための交代制の食事当番などの体制なども説明して頂いた。このたびの日本からの巡拝客は、正式なゴマン学堂からの招待客としての接遇のため、宿泊滞在費や食費など一切の現地経費は学堂かからの御接待であるが、ダライ・ラマ法王猊下以下60名以上ものご行幸一行をはじめとして海外からの賓客の接遇などにも多大なる経費も必要なため、私たちからの寄進もその経費の一部に充填して頂けるようお願いさせて頂いた。

寺務局棟での手続きが終わると、ゲンギャウ師に来て頂いて、師のご案内でデプン大僧院の大集会殿(ツォクチェン)を参拝させて頂いた。ゲンギャウ師は、以前ゴマン学堂から選出されたゴマン学堂・ロセルリン学堂が共同で運営している「上位総会」(ラチ)の委員として従事された経験もあり、大集会殿の増築工事にも関わられたご経験もあったので、当時の思い出や増築経費の不足分の大部分はダライ・ラマ法王猊下から下賜して頂いた逸話などをご紹介いただいた。引き続き、大集会殿内陣右手にある、護法尊堂にてパルデン・ラモ・レマティ尊、ネーチュン尊などをお参りし、引き続きゴマン学堂旧本堂を参拝することとなった。





ゴマン学堂の旧集会殿は、2002年に現在の集会殿が落慶するまで長らくゴマン学堂の僧侶たちが結集する本堂として使用されていたが、以前からダライ・ラマ法王猊下は冬の間はデプン大僧院にご滞在なさりたいとのご要望があったので、現在はダライ・ラマ法王猊下に既に寄贈し、ゴマン学堂としては維持管理のみを行い、時折法要などの際に借用させて頂いているといった現況説明をさせて頂いた。ご案内して下さったゲンギャウ師はこの旧本堂の建立・増築時にも寺務局員として活躍され、旧本堂の落慶法要の際には、ダライ・ラマ法王猊下と故ヨンジン・ティジャン・リンポチェ、故ヨンジン・リン・リンポチェの御三方が法座を三つ一列に並べられて修法された光景を目の当たりにして、感極まって涙が止まらなかったといった逸話なども紹介して頂いた。

その後宿舎に戻り、ゴマン学堂撮影部「GOMANG STUDIO」の二名が、昨年新調したカメラの寄進の謝意を伝えにこられた。ゴマン学堂撮影部は元々先代のケンスル・リンポチェの元を私が訪問した際に、一眼レフのカメラを僧院に寄贈したことがきっかけで設立されたものであり、撮影技術や現像技樹や加工技術を習得するためにカメラ教室に二人のスタッフは学びに行ったことなどの報告を受けた。ゴマン学堂では撮影部の設立までは、簡単なデジタルのコンパクトカメラしかなく、僧院であるので仏典を学ぶことが最優先であり、広報活動のために撮影を自前で行うことがなく、常にボランティアで学堂を訪問するカメラマンの写真に依存していたが、現在はすべてのゴマン学堂の公式行事を記録するために、撮影を行なっており、近年では重要な行事については高解析度の動画撮影も行い、デジタル・アーカイブスとして保存する体制が整備されている。これらの素材はゴマン学堂の公式な資料映像として極めて貴重な価値を持っているが、その価値に対する評価も低く、機材を購入するための潤沢な資金も不足しているが、ゴペル・リンポチェからは日本支部もほぼ二人で運営しており、お互い頑張りましょう、と励まし合うこととなった。

夕食は、このたびはじめて日本のみなさまにお会いする機会を得られたハルドン・ケントゥル・リンポチェ・テンジン・ワンチェン師とそのご自坊ならびにご家族のみなさまから参拝者のみなさまに夕食のご接待を受けることとなった。ケントゥル・リンポチェのご自坊からは日本からの巡拝者の皆様ひとりずつに、記念品として大変立派に軸装されたタンカ(仏画軸)を授与して頂いた。ケントゥル・リンポチェがゲシェー・ラランパの学位を取得されるまでには今後20年以上の歳月がかかるが、世世代々と仏法を学んでいかなければならない、ということを改めて実感する、世代を超えて仏法を志す素晴らしい師弟の集いとなった。



ガンデン大僧院を参拝し、ゴマン学堂の付帯施設を見学
1月16日午前、一行はデプン僧院のある第二ラマ・キャンプから第一ラマ・キャンプへと移動し、ゲンギャウさんとアボさんのご案内でガンデン大僧院に参拝することとなった。ガンデン大僧院はそもそもゲルク派の宗祖ジェ・ツォンカパ大師のご座所であり、シャルツェ学堂、チャンツェ学堂と二つの学堂があるが、共通する大集会殿、各学堂の集会殿を参拝し、帰路には商店街などがある第三キャンプに立ち寄り宿舎へと戻ることとなった。




残念ながら筆者は、翌日の謁見の準備のため同行できなかったが、その代わりに一連の事務作業が終わると古くからご縁を頂いているラプテン・リンポチェのご自坊を訪問した。ラプテン・リンポチェはゴペル・リンポチェと同じリタン大僧院のご出身で、弊会創始者のケンンスル・リンポチェ・テンパ・ゲルツェン師の直弟子のお一人である。顕密の優れた学識をお持ちのため師の示寂の際にもご遺体の処理から、火葬護摩儀軌などの取り仕切りをすべて行なって頂いた方である。ここ数年間は、現在のダライ・ラマ法王猊下の著作全集の編纂委員の中心的メンバーとして活躍され、近年出版されているダライ・ラマ法王猊下の著作物や伝授録の編纂に深く関わっているお方である。ラプテン・リンポチェはゲシェーになられる試験前にも、筆者たちが東洋文庫チベット研究室でジェ・ツォンカパ大師父子著作集から科文を抜き出して科文集を作成したものを大変活用されたことを20年前ほどにも伺ったが、現在は録音データや映像データから文字起こしをして法王の伝授録を編集し、特に現在編集作業を行なっているジェ・ツォンカパ大師の密教の根本聖典である『秘密真言道次第』の伝授録の作業中の状態を見せて頂いた。これはこれまでダライ・ラマ法王猊下が『秘密真言道次第』された数回分の音声データを伝授録として書き起こしているものであり、そのなかには個人的に法王猊下が伝授されている門外不出の音声データも含まれているものであった。ラプテン・リンポチェは以前ダラムサラの編集室に篭って作業していたが、近年では通信環境も良くなったため、編集室の移転に伴いご自坊へとお戻りになり、編集委員長のヤンテン・リンポチェをはじめとしてネット上でデータのやりとりをしながら、同時にご自坊の弟子の指導も行なっておられるとのことである。ラプテン・リンポチェの御自室には、これらの作業を行うためにチベット大蔵経仏説部(カンギュル)・論疏部(テンギュル)ならびにゲルク派の諸賢の書作集が山積され、リンポチェは洋装本形式の書籍よりもペチャ形式の経本の方が、時には利便性も遥かに高いことなどについても説明して下さった。
16日の中食は、ゴマン学堂からの正式な接待の宴となり、学堂長・寺務長が法王の接遇のため都合が付かないが、その代行として財務担当のゲシェー・テンジン・ケンダー師、次期寺務局執行委員スンチュ・ゲシェー・ケードゥプ・ギャツォ師から手厚く接待をして頂き、参加者全員に本山ゴマン学堂からの記念品が一人ずつ贈呈された。

午後からはゴマン学堂在籍の三大ラマのお一人、クンデリン・リンポチェ・タツァク・ジェドゥン第13世テンジン・チューキ・ゲルツェン師と謁見させて頂いた。クンデリン・リンポチェはジェ・ツォンカパの高弟であるケードゥプジェ・ゲレクペルサン(初代パンチェン・ラマ)の実弟のバソ・チューキ・ゲルツェンを初代と数えるゲルク派の最重要の化身ラマの系譜のお一人で、現在もダライ・ラマ法王のガンデン・ポタンの基金の役員を務められている。近年法王の代理として、アメリカやモンゴル、ロシアなどを訪問され公務を行われているが、弊会としては日本に来て頂いていた故ゲン・ロサン師がリンポチェのヨンジン(侍師)であるため特別なご縁を以前から頂いているお方である。リンポチェは故ゲン・ロサン師を最後の病床まで看病なさり、示寂された後に近年師の故郷ザンスカールのトンデ僧院に御即身拠(クドゥン・リンポチェ)を建立され、故ゲン・ロサン師の愛弟子として、大変な活躍をされている。クンデリン・リンポチェからはダライ・ラマ法王猊下の海外訪問のなかでも最も回数が多いのが日本であることをはじめとして、近年の世界情勢を考えるとダライ・ラマ法王猊下がご提唱されたSEE Learningといった特定の宗教に依存しないよりよい人間形成の教育プログラムの重要性が一層強まっているといったことをご紹介いただいた。

クンデリン・リンポチェのご自坊を後にし、引き続きゴマン学堂の16学寮のうち、我々日本と最もご縁の深いハルドン学寮の御堂を参拝した。現在はセラ・チェー学堂の僧侶たちがデプン大僧院で行われている冬季問答法会に参加するため滞在しており、僧侶たちが次の問答に備えマットレス一枚の上に多くの論理学書を積み上げ学習している様子などを見学させて頂くこととった。その後ゴマン学堂縫製工場や図書館を見学し、図書館では図書館長がご案内して頂き、チベット語経本の所蔵品のなかからは、大変貴重なクンケン・ジャムヤンシェーパの『学説規定本頌』の木版本の版木やゴマン学堂の声明譜などを見せて頂いた。




このようにして午後はゴマン学堂の高僧の方との謁見や付帯設備などの見学を終え、宿舎へと戻り、夕食を済ませ、アボさんのご案内でデプン・ロセルリン学堂集会殿前で行われていた問答大会を見学させて頂いた。


ダライ・ラマ法王猊下と謁見
1月17日午前はダライ・ラマ法王猊下との謁見のため、早朝からゴマン学堂新問答法苑へと向う。ダラムサラから法王猊下と同行して滞在中のスタッフから厳重なセキュリティ・チェックを受け、一行は新問答法苑の待合場所へと案内された。すぎにゴマン学堂寺務局長のゲシェー・モンラム・ギャツォ師がご挨拶に来られ、既に1ヶ月以上も問答法苑から全く外出することも出来ずに、今回のご滞在に関する本山側の責任者として重責を担い、当日でもまだ1万人以上も謁見希望者の対応などに追われている旨の説明があった。日本から巡拝者のグループは第13番目のグループとなり、我々の他には北インドのアルナチャール州の仏教を学ぶ会の学生の集団もおり、総勢400人強の人々と共に謁見させて頂くこととなった。
時間になるとダライ・ラマ法王猊下が、御寝処から階下へと降りてこられ、謁見者たちが事前にお願いした仏画や仏像やお守りなどを開眼加持なさっていかれた。謁見者たちはグループごとに一列に並び、ひとりひとり法王猊下の前へ進み、猊下から手灌頂を頂くこととなった。私たちのグループでは、まずは今回の巡拝者一同を代表し、大本山大聖院座主・吉田正裕僧正からデプン座主就任のお祝いを告げ、今後益々のご長寿を祈念して宮島の伝統工芸品の特製の巨大杓子を献上させて頂いた。またゴマン学堂の日本支部の代表としてはゴペル・リンポチェからは無量寿如来のご尊像一体を献上させて頂いた。これ以外にも事前に日本支部からは法王庁からの調達要請に応え、最新式のエルゴノミクスの車椅子2台を献上させて頂いた。ダライ・ラマ法王からは謁見の記念品として、参加者全員にブッダガヤの大塔にある教主釈迦牟尼如来の御影、加持摩尼粒、赤い紐のお守りである金剛線を参加者全員に授与して頂いた。教主釈迦牟尼如来の御影の裏面には法身の舎利である縁起法頌が記されており、ダライ・ラマ法王ご自身によって開眼善住して頂いたその御影は今後と参加者一同の家宝となるものなった。謁見が追われると一同ゴマン学堂集会殿前にて記念撮影をp行い、宿舎に戻ることとなった。










謁見後中食までは、一部有志で現在グンル学寮にて怖畏金剛独尊の大親近行を修法中のゲシェー・チャンパ・トンドゥプ師を訪問させて頂いた。師は以前に日本別院に滞在されており、当時日本人の皆様から常に清掃して清潔に保つことの大切さや健康的な食事や生活を学び、今日でもそれは役にたっており、その日本の良き伝統を常に弟子たちに教え、ご自身でも日々体操や筋トレを怠らぬように日本での経験のおかげで健康的な生活を送れているとお話し頂いた。ゲン・チャンパ師は、ゲシェーの学位を取得後すぐに日本へ派遣され、日本での在任を終え帰国後は維那を一年務められた後、新型コロナウイルスの感染症拡大期に寺務局長に選出された。当時インドでは非常に厳しいロックダウンが行われ、師は感染拡大対策、消毒作業などの責任者として大変苦労をなされたことなどを改めてお話ししてくださった。現在修法されている怖畏金剛独尊の大親近行は残り一年半程度あり、成満後は引き続き、金剛瑜伽女や秘密集会といった諸尊の親近行を継続される計画にされているとのことであった。

中食は、日頃は日本で活躍されているゴペル・リンポチェがご自坊に招待していただき、豪勢なご馳走を振る舞ってくださった。リンポチェは以前ハルドン学寮の雨漏りする陽当たりの悪い6畳一間の暗い穴倉のような部屋で暮らしておられたが、2019年以降の感染症の拡大に伴い、日本との往来の目処もなく、故郷チベットへ戻られる望みも叶わないこともあり、故郷リタンの本来の支援者の方々からの寄進を受け、ゴマン学堂内で兄であるアボ師と弟子の三人で一生暮らせるご自坊を新築されることとなった。兄であるアボ師は日本に15年以上も住んでいた経験をフル活用され、通常インドの新築の住宅には珍しく、棚やドアなどの細かい部品が寸分違わず取り付けられ、ひとつひとつが日本の家屋のように非常に丁寧に作っておられたのを見て、インドの住宅事情を知る人にとっては驚くべき手仕事であると驚嘆することとなった。


ゴペル・リンポチェは日本からの参拝者のため、ご自身が街で一番美味しいと思われるモモを大きな鍋が一杯になるほど大量に準備して下さり、「後は食べて日本に帰るだけなので多少お腹を壊してもいいので、休み休み沢山食べてください」としきりに皆さんに勧めてくださった。
ゴペル・リンポチェはこれから3月に現在密教学級の試験が控えているので、現在試験勉強に追われているのがそれほど難しくもないので、予定通り、4月には日本にお戻りになり、桜が満開になる頃、4月8日の大聖院での花まつりからはまたお会いしましょうとのことであった。今年2026年は大聖院でダライ・ラマ法王両部曼荼羅伝法灌頂会の20周年の記念すべき年でもあり、しばらく日本を離れていたアボ師も今年は来日予定としており、再会の約束とともにリンポチェのご馳走をみなさんで楽しむことができた。
帰路へ
ゴマン学堂での滞在は実質3日に満たぬものであり、未だ参拝すべき場所、謁見すべき高僧も沢山おられて実に名残惜しい中、夕方には専用車でフブリ空港へ向けて出発し、帰路へと進んだ。フブリ空港までの道中では、長年ゴマン学堂の長老ドライバーとして活躍されているイクニェン師から道中の畑では丁度サトウキビを収穫したばかりで、大きなトラックに過剰なまでにサトウキビが積載されていることの説明を受け、サトウキビの後には引き続きトウモロコシを植え、一年に二種類の作物を畑では作っていることなどを説明して頂いた。また道中路傍には大きな精米所があり、そこでゴマン学堂の給食で使用するすべての米を精米し、1日に300KGの米を炊飯することになることなどの説明して頂いた。フブリ空港からは夜の便でデリーへと向かい、再びデリーのゴマン・ハウスへと戻り、翌18日はマジュヌカティラで一行はお土産品を購入するなどして、夕方はデリー空港へと向かい、深夜便にて翌1月19日の早朝に羽田空港まで移動し、その後広島や沖縄や四国などへと各自国内線を用いて、無事にみなさんあ帰宅されることとなった。
最後に
現在デプン大僧院はゴマン学堂1600名、ロセルリン学堂2500名程度の僧侶が生活し、修行に励んでいる。これらはすべてダライ・ラマ法王のご指導の下、チベット難民にインドでの定住化の取り組みのひとつであり、チベットの伝統仏教の伝統は、現在もデプン僧院をはじめとするインドで復興された伝統僧院で継承され続けている。チベットという国家は、その国体を失ったが、言語・宗教・文化の核心部分は、現在はインドほか世界中に難民となったチベット人たちによって世代を超えて脈々と受け継がれている。
日本とダライ・ラマとのご縁は先代13世の時代からはじまったものであるが、ダライ・ラマ第14世法王の時代からは何度も来日されるようになり、ダライ・ラマ法王のご座所であるデプン・ゴマン学堂は公式な日本支部を設置させて頂き、こうして素晴らしい仏縁を結ぶことができている。こうしたご縁は、日頃から様々な形でご理解やご支援を頂いている日本のみなさまの善意の賜物であり、改めて関係諸氏のすべての方に深く御礼申し上げたい。
今後とも世界平和首都広島の地を中心に、この素晴らしい仏縁を継続していくことで、いつの日かデプン大僧院ゴマン学堂はインドを離れ、本来の地であるラサのゲペル山麓に戻る日が来るだろう。ダライ・ラマ法王猊下もいつの日か必ずポタラ宮殿へとお戻りになられて、日本からのダライ・ラマ法王との謁見希望者もポタラ宮殿で謁見することが出来る日は必ず来るだろう。私たちはすべて、リアルタイムに起こっているチベットの受難の歴史の証人であり、その未来は明るいものであることだけは確かである。如来や観音菩薩の威光を目撃するという本来仏教用語である私たち日本の仏教徒の「チベット観光」はまだはじまったばかりであると思わざるを得ない。




