2025.10.10
སྡེ་བདུན་ལ་འཇུག་པའི་སྒོ་དོན་གཉེན་ཡིད་ཀྱི་མུན་སེལ།

チベット語仏教文献読書会「因明入門」資料

野村正次郎

2025年10月7日(チベット暦8月15日)の満月の日の吉日より、ジェ・ツォンカパ大師の『量七部入門』を原文で読みながら、有志のみなさまと読書会をはじめさせて頂きました。まだまだ不慣れなため、当日のスライドや資料などが十分ではありませんで申し訳ございませんが、ここに復習を兼ねて和訳と考察のポイントを記載させて頂きます。

和訳

和訳はこちらにございます。→ジェ・ツォンカパ『回想・自らを語る』

考察のポイント
  • ジェ・ツォンカパ以前は、古来チベットでは、多くの学者が陳那・法称の著作である『量経』(『集量論』)・量七部には「成仏するための実践次第は示されていない」としていた。
  • ジェ・ツォンカパはこの通説に対して文殊菩薩が陳那に対して直接その著作が未来のすべての衆生の眼になるだろうと語りかけ著述の許可を与えられたことを判断の基準として分析した
  • その分析を通じて、解脱を求める者にとっては、『集量論』の帰敬偈で、世尊が量であることを立証し、釈尊の教説だけが解脱への入り口であるということに確信を得ることができるようになった。
  • その確信によって大乗・小乗のすべての道の核心が集約されており、その内容を論理の道によって引き出すことができるようになった。
  • ジェ・ツォンカパによれば因明/仏教論理学とは何を目指しているのか。
  • チベットの僧院では因明を学ぶことに如何なる学習効果があると考えているのか。それによって如何なる学習カリキュラムが設置されているのか。
和訳

〔本書は〕『七部入門・求道者の意識の暗闇を払拭するもの』と称するものである。

考察のポイント
  • 「七部」というのは何を表しているのか。
  • 「七部入門」と題する本書はどのような門であり、その門の先はどこを目指しているのか
  • 「求道者の意識」とは何を志向している意識なのか。
  • 解脱や一切知を目指さずに、単に知識や教養を得たいと思う者は、本書が対象とする読者と言えるのか?
  • 「意識の暗闇」とは具体的に何のことであり、その「暗闇が晴れる」「暗闇を払拭する」ということはどのような現象を意味しているのか。
  • 「意識」と光、明暗の関係はどのようなものか?
  • 意識/心のもつ志向性について再度確認する。
和訳

十方の勝者・勝子の一切を礼拝せん 智慧の自在者 文殊師利よ 四魔の降伏者 不動明王よ ことばを自在にする弁才天よ 講論編の慧を増大し給わんことを 境・有境・それを証解する方便 この三種類のものを確定してみたい

考察のポイント
  • 「十方の勝者・勝子」というのは何を表しているのか。
  • 「十方」とは四方・四維・上下を表しているが、四方と四維の両方が必要なのは何故か。
  • 「勝者」とは具体的にはどのような意味なのか。
  • 「礼拝」には身口意の礼拝があり、それが具体的にどのように行うべきであるとジェ・ツォンカパ大師は説かれているのか。
  • 「礼拝」とはどのようにすべきであるのか、ということを『菩提道次第広論』にある『華厳経』「普賢行願讃」の七支加行分に関する記述を確認する。
  • 「四魔」とは何か、特に「蘊魔」と「三苦」(苦苦・壊苦・行苦)の関係をもとに考える。
  • 「勝者」以外の仏の十号とは具体的にどのようなものがあるのか
  • ここでは菩薩を「勝子」と表現しているが、世間・出世間の菩薩とはどのような存在なのか。
  • 「四魔の降伏者 不動明王」と表現していることから不動明王がどのような存在であることが分かるのか。
  • 「境・有境・それを証解する方便」という三つ枠組みによって構成するのは何故か
和訳

さて、境、所知、所量、これらは基本的に同義である。境の定義は、分かろうとするものもしくは知らんとするものである。所知の定義は、知が境と為し得るものである。所量の定義は、量が証解せんとするものである。

考察のポイント
  • 「境、所知、所量」などと同義であるものは他にどのようなものがあるのか。
  • 「同義」であるというのは遍充関係としては具体的にどのような状態であるのか。
  • 「所知と所量は同義ではない」とする邪説が基づく典拠となる『量評釈』の記述とその解釈の問題点にはどのような問題点があるのか。
  • 本文で動詞の未来形に由来する名詞を構成していることの意味はどのようなことがあるのか。
  • 「知らんとするもの」「知が境と為し得るもの」といった未来形由来の名詞を「〜されるもの」と受け身を表す和訳をすることにはどのような不具合が生じるのか。「所知障」の事例をもとに考察する。
  • 「ダルマキールティの仏教論理学では、一切の所知を知ることではなく、四聖諦を知ることを説いている」といった俗説があるが、この俗説を採用するとどのような問題が起こるのか。
  • 「量が証解する」ということは具体的にはどのような知がどのように働いた状態を表しているのか。
次回の開催日時

本読書会では、チベット語の文献を原文で読んだことのない方でも多少内容についていけるように工夫していきたいと思います。本書はジェ・ツォンカパ大師が遺された初学者のための仏教論理学ならびに仏教哲学の基礎を纏めてある大変ありがたい著作です。

次回の開催日時は、2025年10月14日(火)20:00-21:30となります。お時間の余裕のあるみなさまのご参加をお待ちしております。


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