2025.11.13
འཕགས་པ་ཐུགས་རྗེ་ཆེན་པོ་ལ་བསྟོད་ཅིང་གསོལ་བ་འདེབས་པ་ཕན་བདེའི་ཆར་འབེབས།

聖観自在讃大悲請願 利楽雨澍

ダライ・ラマ七世ロサン・ケルサン・ギャツォ
「ジョウォ・ワティサンポ」ダライ・ラマ法王猊下のご居室の観音菩薩

ナモー・アールヤ・ローケーシュヴァラ

十方無辺の仏国土に無数の勝者がいる

愛しい衆生に注ぐ大悲は深い海である

そこから出生なさる具徳の名は観自在

君主よ 私たちは皆大宝山と礼拝せん

無垢の蓮華が囲んだ月輪の壇上で輝いている

清浄な両足を青蓮の如くに直立なさっている

世界を照らす明るい満月がやさしい光を放って

すべての人の苦痛は癒されて歓喜に溢れている

触れると雪のように冷いが火焔が魔軍を降伏する

深い闇のすべて霽らすとも曼荼羅を数多戯現する

生死流転を越えても尚 三有に常に生を受け続け

幻の如く出現する君の偉業は賢者でさえ驚嘆する

すべてを通達なされ秋の夜空のように澄明である

有縁の人に応えても大地のように常に揺るがない

世間を覆った無明の闇を霽し陽光で照らしている

瞋恚の灼熱を鎮めて満月のような兎標をしている

分陀利華が乱れる麗しき御影で出現なさり

法螺や水晶の如く白無垢の端正な面貌にて

無窮無辺の供物を配って貧困を救っている

無数の善逝や勝子や憤怒尊の中央で輝いている

火難 水難 劫難 暴君 種々の災難に抗えず

悶え苦しみ悲劇に堕ちた子羊たちを群れごとに

君はやさしい月の光を浴びさせて洗い浄められ

天光の差す最勝なる楽園へと導き給うのである

頭頂で結ぶ御髪の色彩は大空の蒼色と重なっている

阿弥陀仏の紋章をもつ宝冠で美しく荘厳されている

右手は与願印を結び 指先から甘露の滴を落として

輝く真珠を常に落とし餓鬼のすべてを救済している

左手は腰元で威儀を糺し清浄なる御影で佇んでいる

梵天や帝釈天も跪く君が一切の世間の自在者である

輪宝 蓮 弓矢 様々な宝飾で荘厳なさり

千手 千眼 十一面にて影現なされている

時には恐竜の首領や獅子吼の御影でも出現なさる

不空羂索や青頸など様々な御影を自在に示される

ある時は魔軍を降伏する馬頭や大黒の姿となられ

憤怒の形相を示されても大慈は僅かも揺るがない

天空の路ひろがる広い世間界に無数の衆生はいる

その衆生と同じ数 君は自在に出現なされている

どんなに戯れても決して彼らを面倒と思われない

雨雲が雨を降らすかの如く疲れることも知らない

どんな話も決して衆生に無益なものは禁じている

心に滲みてゆく妙なる調は決して淀むこともない

海砂よりも数多の御法を側に来られて教えて下さる

君の言葉は耳に入ると心に響き正しく留まっていく

乾達婆の楽団と合奏する乙女の美しい歌声のように

心を揺さぶれど淫らな思いをすべて打ち砕いていく

雷鳴の如く天空を覆う重低音は深い音で響いている

慄き怯えていたこともいまは名残だけとなっている

いつも誑かされ輪廻を彷徨う人々を解放するため

あらゆる法輪を声高に転じられるその準備として

三世一切の勝者が語られる仏語の仕込を成満する

無上の資財を自在とされた君の御名は一切世間師

自分を愛する人にも時には憤怒形を示されて

殺しそうでも衆生を常に我が子と想っている

僅かな危険を察して御心で遠く退けられている

私すら愛す君の御心が雨に打たれることもない

樟脳 栴檀 香根草の香水は清涼な薫を燻らせる

閑雅で瞬きもせぬ眼差で六道を見守り続けている

感覚や現象に戯れても法界へ鎮め給うのである

最勝の安楽で常に抱擁し離されぬ君を礼拝する

此処其処に炎は燃え上がり火炙りにされる

口は開けられ血の眼が飛び出しそうになる

逃れられない処刑人で取り囲まれてしまい

熱く溶け出す銅の液体で煮られるさえある

穀粒の如く焙煎される灼熱地獄に棲む人々には

甘露の雨を降らせて冷まして癒し給わんことを

骨肉さえ裂ける凍えた寒冷地獄に棲む人々には

そのあたかい手を差し伸べて救い給わんことを

腹は山の如く隆起し喉は詰まっている

手足は枯草の如く細く折れそうである

身体は痩せこけ塵埃にさえ飛ばされる

骨節がぶつかり火傷の激痛が走っていく

流れる河も見るだけで干上がってしまう

飢渇の苦しみのみが永遠に続いている

休憩もない飢餓に喘いでいる餓鬼たちには

食料や衣服や甘露の雨を降らせ給わんことを

一片の食物を求めて奔走し僅かの幸せを感じるそのために

大切な生命さえ捨てて不細工で血色悪い身を晒らしている

そんなにも恵まれぬ畜生でも善なる意思の記憶を想い出し

安らかで幸せに暮らすことができるようなされ給わんこと

眩しく光る宝石の宮殿にいる梵天王の栄光さえ

無惨に崩れ無間の業火で手も足も黒焦げになる

滑らかな絨毯や花園の畔で享楽を尽くしている

天子も塩水を飲み鋭利な鉄荊の列に並べられる

高い地位も永遠ではなく踏み躙られる奴隷と成り果てる

若かりし美貌も一瞬で衰えて秋の終りに咲く花に等しい

この財産はただ尽きてゆき宝飾品と偽装しただけとなる

この自身の寿命でさえ稲妻の如き僅か一瞬の現象である

この世界の向こう岸として遠くに退けてきた

闇路をひとり彷徨うべき刻がいまやってきた

恐しい輪廻のなか煩悩に閉じ込められている

この苦海から私たちを大悲の手で導き給わんことを

白雪の峰が連なるこの国土では牟尼の法流は続いている

然ながら法を行じる者の殆どは持戒の薫香を捨てている

無慚に裸を晒し在家に媚び賢者が禁じる業に励んでいる

嗚呼 正法の陽が山の端に沈むその日は実に近いだろう

力をもつ者が私欲に駆られて諍い下の者を虐げている

下の者は酷使され粗末な食事でさえ得難くなっている

退廃したこんな現状をもしも聖者が放置なされるのなら

往古の誓願は何とされ 民衆は誰に救いを求めるべきか

君の名を加持を受け耳にする人々の怖れが鎮まってゆく

無数の諸仏への奉仕と 君の名の記憶する効果は等しい

こう大仙の真実語が教えてくださった通り祈願し奉れば

主よ 他所を振り向かず無力な有情を救い給わんことを

すべての人々が三宝を篤く敬って奉仕させて頂いている

業果の法則を信解していつも法道を歩もうとはしている

だからどうぞ機や時に応じて寂憤の無量の神変を示されて

無力に流転しここに堕ちた仲間たちにも楽を給わんことを

私も謹んで実相を決する無垢の智慧を修めてゆき

有を厭離して悲心を育み利他行に世世に精進せん

いつかはすべてを敗北させ波羅蜜の大力を獲得し

清浄で歓喜ある法規に従い衆生を永く守れるよう

智慧乏しい私の心の信心の海の潮が満ち溢れ出した

この讃嘆の叫びを連ねた可笑しな白き泡沫の本編を

誦詠し耳にして想いを寄せる人々の罪垢が浄められ

補陀洛最勝最上王 観自在菩薩に摂取されんことを

以上、一切勝者の大悲の影現である聖観自在菩薩を礼讃し大悲を請願する利楽雨澍と名付ける本編は釈比丘法師ロサン・ケルサン・ギャツォが編んだものである。

この翻訳について

本訳本は、チベット暦2152年第17ラプチュン木巳歳9月22日(令和7年11月11日)、教主世尊釈迦牟尼如来が三十三天から三道宝階を降下され再びこの閻浮提の地に降臨なされた釈尊降臨大祭を記念し、中国観音霊場第十四番大本山大聖院西広島別院福寿山燈明寺真光院を拠所とするデプン・ゴマン学堂日本別院において、ダライ・ラマ第三世ソナム・ギャツォ創建、第七世ロサン・ケルサン・ギャツォの出身地にあるリタン大僧院トゥプテン・チャンチュプ・チューリンの僧院長の化身ゴペル・リンポチェ第四世ゲシェーラランパ・ガワン・ニェンダー師による講伝会にて使用するため、篤信の教宝の施主、有志諸氏が訳出開版のため浄志を奉献し、ゴペル・リンポチェ監修の下、ダライ・ラマ第七世著作集第二帙所収本(152b1-155b2)、デプン大僧院勤行集所収本を定本とし、野村正次郎が和訳し、ダライ・ラマ法王第14世ジェツン・ジャンペル・ガワン・ロサン・イシ・テンジン・ギャツォ・ペルサンポ猊下の御卒寿奉祝の一貫として仏法興隆を祈願し、関係各所に寄贈奉納するために開版したものである。ここに各位の積集せる福徳資糧により一切衆生が速やかに執金剛位を成満せんことを。サルヴァマンガラム。

著者略伝

ダライ・ラマ七世ロサン・ケルサン・ギャツォ

チベット暦第十二ラプジュン地子歳(1708年)にカム地方のリタンで父ソナム・ダルゲーと母ロサンチューツォの下に誕生した。幼少期から数々の吉相があり高僧たちにも授記があったため、すぐに先代ダライ・ラマの再臨者であることは明らかであるとされたが、中央チベットでの内紛が絶えなかったため、一旦1716年クンブム僧院へ迎えられ、優婆塞戒を授かった。

1720年、正式にポタラ大宮殿の玉座へと迎えられ、パンチェン・ラマ五世ロサン・イシ師から沙弥戒を授かり、戒名を「ロサン・ケルサン・ギャツォ」とした。その後ポタラ宮殿にて侍講師ガンデン座主ロサン・タルゲー師に師事し顕教を学び、1726年、パンチェン・ラマから具足戒を授かった。この間、中央チベットの政況は極めて不安定であったため、一七二八年には故郷リタン周辺へと避難し、野営地に仮設した経堂や僧坊にて、同行したギュメー管長ガワン・チョクデン(ガンデン座主第54世)、パンチェン・ロサン・イシ師、シャル僧院長ガワン・ヨンテン・ジュンネー等に師事し、聞思修を成満された後、1735年再びポタラ宮殿に無事に戻った。

1751年、43歳の時、宗教・政治の最高指導者となり、チベット初の内閣を組閣し、政治機構を整備し、政治的な安定を構築した。1754年にはポタラ宮殿併設学校を創設し、翌年にはノルブリンカにも新宮を新設し、ポタラ宮殿の麓には仏像・仏画・仏具などを製作する伝統工芸所の創業支援を行うなど、文化的発展にも貢献した。日々真摯に実践に励み、多くの著述を行いつつ伝法を行い、清朝皇帝をはじめとし、ラダック、シッキム、ブータン、モンゴル、満州、ネパールなどの周辺国の王族や豪族からも篤く信仰され供養され、政治・宗教の両方で国際的にも活躍し、1757年、49歳で示寂する。著作集には、各種祈願文や、観想指南の次第・各種成就法、伝法録・伝記など五十三点の著作が残されている。同著作集は、日本に多田等観が請来して以来、その内容目録も『西蔵撰述仏典目録 : 東北大学蔵版』(No. 5823-5876、1953年刊)に所収され出版され、広く知られる。

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