
ある時釈尊は、比丘たちに対して昔のことを回想して、次のように語られた。
往古の昔、カーシ国には深い森があった。そこには雉と兎と小猿と象が本当の兄弟のように仲良く棲んでいた。互いに大変気が合い、常に仲良く楽しく過ごしていた。言い争って喧嘩をすることもないし、相手に傷つけられる恐れもなく、互いに信用し合って過ごしていた。
そんなある時、ただ単に仲良く過ごしているだけでは譲り合ってばかりで物事がうまく進まないことがあるので、誰が先輩であり、誰が後輩かであるかの取り決めをして、後輩は先輩に敬意をもち接し、先輩は後輩を慈しみ導いていくようにするといいということになった。
その森には立派なニヤグローダの樹があったので、雉が「先にここにやって来て、この樹を見た方を先輩として、後から来て見た方を後輩とするのはどうだろうか」と提案すると、それはいい案だということで、他の者たちも同意し、その提案通りにすることになった。

最初に象が「私が最初に昔主に連れられこの森にやってきた時、まだあの樹はちょうどいまの私の背丈くらいしかなかったものです」と言った。すると子猿は「私が主に連れられて来た時も、ちょうどいまの私の背丈くらいでしたよ」と言った。どうやら象よりも子猿の方が古参ということになるようである。それに続けて兎が「私が最初に来た時にはこの樹はまだ葉っぱが二枚しか生えていませんでした。私はその葉の上の水滴を舐めました」と言ったのである。すると雉は「皆さんはそんなに大きくなったこの樹を実際に見たんですか」と聞いたので、他の者たちは「確かに私がここにやってきてこの樹を見た時はそのよう位の大きさでした」とそれぞれ自分たちが見た時の大きさをはっきり覚えているといった。そこで雉は、「私が最初にここにやって来て見た時は、まだこの辺りには種が落ちているだけでした。私がここに糞をしたから、その後生えて来たのがこの樹ですね」と言ったのである。

こうして雉君が最古参であるということになり、古参の順序により先輩・後輩の序列を決めることとなった。この時から、象は他の全員を敬うことになった。子猿は兎と雉を敬うことになった。兎は雉を敬うことになった。時には後輩は先輩を背負って歩くようになり、象の上には子猿、子猿の上には兎、兎の上には雉が乗ったまま、森を歩き回るようになったのである。四人はこれまでのよう仲良くしているだけではなく、自分たちで決めた先輩・後輩の序列を守り、目上の者には敬語を使って丁重に話し、大変威厳のある格好で歩くようになったのである。

そのうちにある日「賢い仲間の皆さんよ、私たちは威儀のある振る舞いをして、敬語で話すことが出来るようになりましたが、さらにもう一歩より善いことをしようではありませんか。どんなことをするといいですかね。」と話し合うことになった。そこで雉が。「私たちが日頃食べている葉や花や実の中には生き物がいることもあります。食べたらその生き物たちを殺してしまいます。もちろんそういった生き物が中にいない場合もあります。ですから今後は生き物が中に住んでいるものは食べないようにして、生き物が中にいないものだけ食べるようにするというのはどうでしょうか」と提案した。一同良案であるとして、それ以降は生き物が中にいる葉や花や樹の実を食べるのをやめることにしたのである。
それからしばらく時が経ち「いま私たちは殺生をやめることが出来ました。そこで更にもう一つ善いことをするのはどうでしょうか。例えばこれからは誰かが私たちにどうぞと譲ってくれたものではない限り、それを自分のものだと思っている人がいるかも知れないので、勝手に食べないようにするのはどうでしょうか」と話し合うになった。するとまた雉が「誰かがこれは自分が食べる分だと思っている草や葉や花や実はある。しかしながら自分のものだと思っていないものもあるのも確かである。だから今後は他人が自分のものだと思っている場合には食べないようにし、誰も自分のものだと思っていないものだけを食べることにしよう」と提案した。すると皆も同意して、四人は、それ以降は他人が自分のものだと思っているものを勝手に食べないようにしたのである。
それからまたしばらく時が経ち「いま私たちは他人のものを勝手に食べるのをやめることが出来ました。しかし一旦発情してしまうと決まった相手以外でも誰彼となく交尾しています。これからはそんなことはやめるようにしませんか。」という話になった。そこでまた雉は「これから皆さんはたとえ発情しても誰彼となく発情して交尾するのをやめることにしましょう。これからは自分たちが決めて周りも認めている相手だけ交尾してもいいということにしようではありませんか。」と提案したので、四人の仲間たちはそれ以降どんなに発情することがあっても自分を律し、決めた相手以外とは交尾することをしないようにした。
それからまたしばらく時が経ち「いま私たちは誰彼となく交尾するのをやめることが出来ました。ですが時々嘘をついて事実に反する言明をしています。これからはそんな言動を慎むようにしてはどうでしょうか」という話になった。そこで雉がまた「それはいい考えだ。何でもかんでも好き勝手に適当な話をするのは善いことではない。今後は好き勝手事実に反する話をするのはやめて、ちゃんと考えて、しかるべき時に正しいことを話すようにしようじゃありませんか」と提案したので皆も同意し、それ以降彼らは好き勝手に戯言を口に出すことを慎むようにして、発言をする前にちゃんと言うべきことか正しいことなのかを検討してからしかるべき時にのみ、事実に即している正しい発言をするようになったのである。
それからまたしばらく時が経ち「いま私たちは嘘を吐くのをやめることが出来ました。しかし私たちが食べている果物のなかには、時には発酵して酔っ払ってしまう成分が入っているものがあります。そんなものを口にしてしまうと意識が朦朧として自制できなくなりそうなこともあります。今後はそのような酔いそうなものを口にするのをやめるというのはどうでしょうか」と話し合うようになった。そこでまた雉が「確かに酔うものが入っているものもありますが、入ってないものもあるのも事実です。今後私たちは酔う成分が入っている実を食べるのをやめましょう。酔いそうにないものだけ口にするようにしましょう」と提案した。一同同意し、それ以降は酔うかも知れないものを口にするのはやめることとして、酔いそうにないものだけを口にするようになった。
それからまたしばらく時が経ち、ある日雉が「賢いお仲間の皆さん。いまの私たちには五つの戒めがありますよね。少なくとも私たちはこれをきちんと守って暮らすことが出来るようになりました。しかしこういった善い行いを自分たちだけで実践するのではなく、みんなで一緒に実践するように周りの人々を説得するようにするというのはどうでしょうか」と提案した。すると皆は「それは実に素晴らしい提案ではありませんか。この戒めを守って暮らす人たちを増やしていこうではありませんか。取り急ぎ誰が誰を説得していくのか決めていきましょうか」と同意して自分たちが実践するだけでなく周りの人も一緒に実践するようにすることとした。
そこでまず子猿が「それではさっそく私は猿の仲間たちにこの戒めを護るように説得していきます」と言ったので、兎はそれに続いて「では私は仲間の兎たちは勿論、他には毛が生えた動物たちを説得していきます」と言い、象は「それなら私は象の仲間をまずは説得して、さらにはライオンや虎や豹たちを説得していくことにします」とそれぞれ自分たちの担当を決めていった。最後に雉が「それでは私の場合にはみなさんが説得することが難しそうな、足がなく地を這って暮らしている蛇のような生き物、人間、四足歩行をしている様々な動物、鳥をはじめとして羽をもって空を飛び回っている者たちを説得していくこととしましょう」と述べて、四人は自分たちが五戒へと導くと決めた相手を説得していったので、カーシの森に住んでいる生き物たちの全員が五戒を護って暮らすようになっていったのである。
こうしてカーシの森林地帯に生息するすべての生物が、暴力で傷つけ合うことがなくなり、上下関係や序列も守られて、正しい行いで満たされていくこととなった。その結果、この森には常に歓喜が溢れており、神々たちもそれを喜んで雨の恵みをしっかりと降らせることとなった。そしてどんな時にでも美しい花がきちんと咲き、樹々には常に芳醇な果実が実るようになった。病気が伝染することもなくなり、貧しく飢えた生き物もいなくなり、その結果言い争いや喧嘩や暴力などがなくなったことで、このカーシの森のある国は、実に素晴らしい繁栄した国となったのである。

こうして国は大変豊かになったので、国王は「こんなに豊かになったのは、きっと私が正しい政治を行なって来たその成果に違いない」と自惚れるようになった。しかし、王妃や王子たちや大臣や家臣たち、街の人々、土地の人々もまた全員が口を揃えて「これはきっと私たちの力である」とそれぞれが自分たちの功績だと主張するようになった。国王は訝しく思い「この国のすべての人たちが自分の力だと思っているようだが、本当のところ一体誰の力なのかだろうか。」と不思議に思うようになった。そこで都からそれほど遠くない森のなかに五つの神通力をもっており、人々から供養され信頼されている仙人がいるということなので。国王は、この仙人の元へと出向いてゆき、自ら両膝をついて礼拝し、仙人に尋ねたのである。
「いま神々がきちんと雨を降らせてくれ、作物もよく収穫できています。こんなに国が豊かににあったのは、私がちゃんと政治を正しく行った成果だと思っているのですが、しかしながら王妃たちや王子たちや大人たちや領主たちや領民たちや普通の人々まで、この繁栄は自分たちの力だと思っています。このような状況になったのは、一体誰の力による影響なのでしょうか。国中のみんなが思っているこの疑問にどうかお応えください。」
すると仙人は言った。「偉大なる国王さま、残念ながらこれはあなたの影響で起こったことではございません。もちろん王妃たちの影響でもありませんし、王子たちの影響でもなく、大臣たち、領主たち、民衆の力ではありません。しかしながらみなさんの国には、四人の立派な動物がいます。彼らのおかげなでいまの状況が起こっているのです」

国王はそう言われたので「それが本当なら彼らを見つけだした方がいいでしょうか」と尋ねると、仙人は「偉大なる国王さま、彼らを探して一体何の意味があるでしょうか。それよりも、彼らが実践している正しい行いを皆さんも実践するようになさったらよいでしょう。彼らが実践していることは五戒と呼ばれるものです。」と答えたのである。国王が「偉大なる仙人さま、五戒とおっしゃるのは、どのようなものでしょうか。何をしたらいいのでしょうか」と続けると仙人はさらに答えていった。
「偉大なる国王さま、彼らは他の生き物の生命を奪うことなどしないようにしています。そして他人が自分のものだと思っているものを奪うことをしないようにしています。交尾すべきではないものと交尾することはありません。さらに適当に事実に反する嘘を述べることもありません。そして自制が効かなくなる酔うかも知れない食べ物や飲み物を口にすることはしないようにしているのです。これが彼らの実践する五つの戒めというものなのです。」
国王は仙人からそう教わってからは、仙人が教えてくれた通りに五戒を正しく守って暮らすようにすることとなった。王にならって王妃たちも同じく五戒を守り実践するようになった。そして王子たちも大臣たちも領主たちも街の人々や村の人々も五戒を正しく守り、実践するようになり、この国はさらに益々発展していくこととなったのである。
カーシ国の人たちが五戒を守ることで国が発展していった話はすぐに諸国の王や王妃や王子や家来や領主や領民や人々の耳へと伝わっていった。他の国の人たちも、カーシ国の人たちと同じように五戒を護り実践するようし、五戒の実践は広がっていき、この世界全体に五戒の実践は広がっていき、世界全体が繁栄していった。

この世界の人々は繁栄し、死を迎える時にも、いまの肉体が滅びても、三十三天の神々へと転生することができた。その結果、神々たちの人口も増加していったので、三十三天の主宰者であり、最高位の神、帝釈天は、この状況を眺めながら、次のような詩偈を詠むことになった
敬い合って丁寧に語るものたち
仙人たちの住処に棲む雉たちは
善行の実践を自分の世界の仲間へと
何とも伝えて教えていったものである
釈尊はこのような逸話を弟子の比丘たちに語られて、次のように締め括られたのである
「比丘たちよ、想像してみるといいでしょう。当時の雉、それはいまの私である。当時の兎、それがいまの舎利弗である。当時の子猿、それがいまの目連である。当時の象、それがいまの阿難である。当時から、私は先輩で、先輩を後輩は敬うことをはじめたことから、最終的にはこの世界の衆生の大部分が三十三天の神々へと転生することができるようになったのである。いま現在もその時と同じように先輩を敬うようにするとよい。先輩を敬うのと同じように比丘たちも古参の者に敬意をもって接し、先輩に奉仕し、先輩を師と仰ぎ、先輩を見倣い、先輩を供養するのなら、水のなかに優曇華の花が育ち咲いていくように善法は増えていくのである」
訳者解題
以上はチベットの子供たち向けにも有名な「仲良しどうぶつ四人兄弟」(トゥンパ・プンシ)の逸話の大人向けのバージョンとも言える逸話をデプン・ゴマン学堂第七十二世管長ハルハ・ゲシェー・ゲン・ガワン・ニマ師(1907-1990)が記したものを同師の著作集から抜粋して和訳したものである。ゲン・ガワン・ニマ師は、弊会の創始者デプン・ゴマン学堂第七十五世ハルドン・テンパ・ゲルツェン師のお師匠のお一人でもあり、同時にクンデリン・ヨンジン・ロサン・ツルティム師やゲンギャウ師のお師匠であり、私たちにとっては師の師にあたる方である。

ハルハ・ゲシェー・ゲン・ガワン・ニマ師(1907-1990)
ゲン・ガワン・ニマ師はチベット人ではなく、現在のブリヤート共和国のブリヤート人としてお生まれになり、七歳の時に出家され、十四歳の時から教義学の学習をはじめられ、1922年からラサのデプン・ゴマン学堂に入門し、1928年にダライ・ラマ十三世法王から具足戒を授かり学問を極めていかれ、1956年頃からインドを何回か訪問し、1958年にインドを訪れた後、1959年に第十四世ダライ・ラマ法王がインドに亡命された時にチベットには戻ることが出来なくなり、そのままインドにおられた。1960年よりはダライ・ラマ法王猊下の命を受けて、ベナレスのサンスクリット大学の教授に任命され、1962年からは法王猊下の命を受け、オランダのライデンの研究所で1972年まで教鞭を取られた。その後退職され、主にスイスなどに滞在され、1977年に再び法王の命を受け、第七十二世デプン・ゴマン学堂長に就任され1980年までその職務を果たされた後、デプン・ゴマン学堂では多くの後進たちを指導され、1990年にデプン・ゴマン学堂で示寂されている。師の供養塔は現在もデプン・ゴマン学堂集会殿に安置されている。また主要な著作は、すべてチベット語で書かており、弊会創始者のハルドン・ケンスル・テンゲルツェン師も校正作業に尽力なされた後、1982年に弟子たちの発願で6巻に纏められて開版され、現在もゴマン学堂出版局にて改訂版として再版された後、保存されている。
「仲良しどうぶつ四人兄弟」(トゥンパ・プンシ)の逸話は律や本生譚(ジャータカ)などの様々な逸話がさまざまに伝わっているが、この仲の良い動物が、ただ仲が良いだけではなく、お互いに先輩・後輩の序列を作り、先輩を後輩が敬い、身体的な相違を超えて、後輩を先輩たちが導いていくこと、みんなで善業を積むことをより高めていこうとすること、自分たちで実践するだけではなく、自分たちの仲間にも善業を積むことを勧めていくこと、それによって社会全体により善い影響をもたらせていくことが如何に大切なことであるのか、ということを表現している。
本逸話の子供向けの簡略版は、現在は小学四年生で学ぶチベット語の国語の教科書の内容であるが、そのセクションの最後には子供たちが考えるべき課題として次のような歌が収録されている。
財産や権力がなくても恥ではない
慈悲の心がないのが恥である
家や車を持たずとも恥ではない
業や因果を知らないのが恥である
漢語や英語を知らずとも恥ではない
自分の国語を知らないのが恥である
現在のチベットでもチベット人たちは自分たちの国語を自由に学ぶ機会を圧政により制限されている。自分たちの言葉であるチベット語とその文化を未来に継承していくため、何とかもがきながらチベットの人々は生きている。「仲良しどうぶつ四人兄弟」(トゥンパ・プンシ)の絵は八吉祥(タシー・ターゲー)紋様と同じように、チベットの民芸品にも多く用いられている実に愛くるしい可愛い紋様である。チベットの人たちがこの模様の入ったグッズを私たち日本人に下さることも多く、我が家にも「仲良しどうぶつ四人兄弟」の模様の入った様々なグッズがある。彼らがこの紋様で表現しているものは、このような背景のある教えであり、私たち人間がこれからも未来へと引き継いでいきたい大切な教えである。日本にはさまざまなゆるキャラなどがあるが、仏教文化圏に流布しているさまざまなキャラクターのなかでもこの「仲良しどうぶつ四人兄弟」は、最高のキャラクターであることは間違いないし、チベットの人たちが教えてくれる未来への希望である。




