2024.01.13

「内面の法」と呼ばれる仏法を、私たちは何故どう学ぶのか

定例法話会より
訳・文:野村正次郎

2023年11月12日、2019年以来しばらく休止していた弊会の主要な事業である定例法話会が再開された。今回からはそれまで東京・京都・広島と三か所で毎月行っていたのを真光院のみとし、その代わりにオンラインでの中継も行うようになった。

Zoomを使ったオンラインでの中継などは、あくまでも関東・関西などの遠方におられる方々のためであり、この数年休止していたこともあり、参加者がどの程度いるのかという不安のなか、四半世紀ちかくも定期的に法話会を行っていたことを継続することが大切であり、デプン・ゴマン学堂から選抜されたゲシェーの方々に直接私たち日本人が法話を誰でも気軽に聞ける機会を提供することは、ダライ・ラマ法王猊下からも決して途絶えないようにしなさい、と命を受けている弊会では、『菩提道次第論』を中心とした定例法話会の開催は弊会の最もコアな事業のひとつである。ちょうど新型感染症の拡大前の2019年の末にはダライ・ラマ法王猊下のご来日もあり、それ以来の機会であるが、さまざまな方々のご支援を受け、なんとか再開することができた。

私たちは三度のダライ・ラマ法王猊下からの法話の機会を頂き、また歴代のデプン・ゴマン学堂の素晴らしい善知識の方々をお迎えし、さまざまな伝法をいただいてきた。これは私たち日本人が「チベット仏教徒」という何か他の宗派に改宗させることを促している訳でもないし、「チベット仏教の布教活動の一環」といったものではない。これらは日本の敬虔な仏教徒の人々が、如来の教えをより近くに感じることができるためのものであり、たとえ今生ではなかなか役に立たないことであろうとも、来世以降聴聞の習気を基にして、速やかに一切衆生利益のために菩提を獲得できるための善資を積集するための機会を提供するためのものである。

再開した法話会では、現在ジェ・ツォンカパの『菩提道次第広論』の冒頭の善知識への師事作法の箇所、そしてクンケン・ジクメワンポの『学説規定摩尼宝蔓』の毘婆沙師の学説規定の箇所から解説を行なっていただいた。そのお話しのなかで、そもそも仏教・仏法とは「内法」「内面の法」というがそれは一体どういうことなのか、ということをご紹介いただいた。この部分は極めて重要であり、仏教の基本であるので、その部分を抜粋してここに紹介したい。

この動画では、仏教とはそもそも八万四千の煩悩の対治としての八万四千の法蘊があり、この煩悩を克服できない限り私たちは煩悩に支配され、問題を起こし、不幸を味わい続けなければいけないが、この煩悩を少しずつでも弱体化させ、煩悩をなくしていくことが仏教の基本であることが明確に説かれている。そしてそのためには善知識に師事し、仏典を解説して頂き、それを各自が自分の心と向きあい、さまざまな思索を巡らせながら克服していくためにどうしたらいいのか、ということを教えてくださっている。ダライ・ラマ法王猊下が仏教とは精神衛生学であると教えてくださっているのも、同趣旨のことであり、私たちが仏教を学ぶ目的が煩悩の克服にあることを明確に示してくれているものである。実に当たり前のようであり、何か特別な秘法な訳でないし、私たちに何かを強制するものでもない。しかし実際にリンポチェが提案するように毎日一時間でも、自らの心に向き合い、如来の言葉にしたがって、自分の心に巣食う煩悩を克服していくような営みを継続できている人間がどれほどこの日本にいるのか、と問うならば、その返答に困ることは確かであろう。

このようにお話しされているゴペル・リンポチェは大体一週間の毎日のご予定表を自分で決められてそれに従って自己管理しながら、生活されている。お参りに来られた方には「毎日そんなに同じことばかりやって楽しいですか?」と聞かれる方もおられるが、「毎日問題が起こるかもしれない煩悩に支配された生活より、はるかに楽しい」とお答えになられている。法話会に参加される方に対して、「そんなに仏教ばっかり勉強して何か役に立ちますかね。それより法力のある方にお願いしてご祈祷をして頂き、普通の儲かる仕事を頑張った方が楽しいことがいっぱいあるんじゃないですかね。変わった人たちもいるですね」と変人扱いし、感心する意見もよく聞くが、仏教ではただお経を唱えたり、祈りを捧げることよりも、如来の言葉を学び、すこしでも実践することの方がはるかに高い功徳を積むことである、とも教えている。

リンポチェが教えてくださるように、仏教とは内面の法なので、外面化して直接何か功徳が物質的な現象として現れることが難しいものである。人々の心は千差万別であり、人々の精神の発展には個人差があり他者がそれを推測することは極めて難しいことである。外面は平静を装っていても心のなかは荒れ狂う嵐の海のような人間も沢山いる。どれだけ様々なことをやっていても私利私欲を克服するのは極めて難しい。幸いなことに私たちの精神は無限に発展する可能性をもっている。身体的には年齢とともに衰退する体力も、精神的には修練を積み重ねていくことで、菩薩道の境地を一歩ずつ歩んでいくことも出来る。仏道の成就までには三阿僧祇劫かかると言われるが、仏典を学び、それを私たちの心に活かしていくこともまた長期計画である。そんな悠久の時間軸のなかに生きる私たちの精神状態を映すものが仏法なのであろう。

11月より2ヶ月4回の定例法話会は、今月と来月はお休みであるが、今回の法話会の内容は徐々に字幕をつけながら、配信していきたい。定例法話会は、春の彼岸過ぎからまた再開する。それまで寒い冬のなか、静かに自分たちの心を日々見つめ直していきたいものである。


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