2022.03.28

チベット問題から考える未来(1)

ダライ・ラマ日本代表部事務所 ツェワン・ギャルポ・アリヤ代表へのインタビュー
聞き手・文:野村正次郎

1960年3月10 日、インドに亡命し難民となったダライ・ラマ法王は、チベット難民に対して談話を発表し「本日(3月10日)は、私たちチベット人の民衆が、誤った考え方で悪しき政策を実行しようとする中共の政治的・暴力的支配に対し、個人として自由を取り戻す目的で、大規模な活動を起こしてちょうど一年が経ちます。この日は、厳粛に記憶するに相応しく、すべての人が記憶に再び呼び起こす必要があります。」と3月10日を記念日とする意義を確認(1)དེ་རིང་ཕྱི་ལོ་ ༡༩༦༠ ཟླ་ ༣ ཚེས་ ༡༠ འདི་ནི་རང་རེ་བོད་མི་མང་ནས་ལྟ་ལོག་ངན་གཡོའི་ལམ་དུ་ཞུགས་པའི་རྒྱ་དམར་གྱི་སྲིད་དབང་གདུག་རྩུབ་ཅན་ལ་ངོ་རྒོལ་དང༌། བོད་སྒེར་ལངས་རང་དབང་བསྐྱར་གསོའི་དོན་དུ་ལས་འགུལ་ཆེན་པོ་བྱས་ནས་ལོ་གཅིག་འཁོར་བའི་དུས་ཚེས་གཟི་བརྗིད་ཅན་རྗེས་དྲན་བྱེད་འོས་པ་ཞིག་ཡིན་པས་ཚང་མས་དྲན་གསོ་བྱེད་པ་དང་ཆབས་ཅིག་བསམ་དགོས་པ་ནི་: “ཕྱི་ལོ་ ༡༩༦༠ ལོའི་གསུམ་བཅུའི་དུས་དྲན་གྱི་གསུང་འཕྲིན།”し、仏法とチベット人の自由の復興ために生命を落とした同胞のための祈りを捧げ、チベット難民はこれから、すべての個人が、自由・正義を共有する国際社会の一員として、他者に強要されなくとも、個々の人間が自発的に、チベットの独自の宗教・文化の体現者として、世界から称賛される品行方正な行いをし、国際社会に貢献するようにすることが、国際社会から支援を受けていることの恩返しとなり、チベット難民のすべてがその重責を負っている、と指摘されている。

今年もダラムサラでは「チベット民族平和蜂起63周年記念日」として、チベット亡命政権(チベット中央政権・Central Tibet Administration)は声明を発表し(2)チベット民族平和蜂起63周年記念日における中央チベット政権内閣の声明、これに呼応する形で我が国でも3月12日にデモが在日チベット人コミュニティーによって企画された。2011年ダライ・ラマ法王は、政治的権限のすべてを民主的に選出された主席大臣に委譲し引退し私人となられたので、それ以降は3月10日にダライ・ラマ法王が声明(3)1961年より毎年発表されていたダライ・ラマ法王の声明は『ダライ・ラマ 声明 1961-2011』(小池美和訳、集広舎、2017年)として上梓されている。を発表されることもいまはない。

とはいえチベットの激動の歴史は今日も継続中であり、2008年7月5日に行われたチベット側と中国統一戦線工作部との対話以降、チベット問題には何らの進展も見られない。中国共産党によるチベット人への弾圧は多岐にわたるものであり、西蔵自治区以外のチベット人の居住する全地域(ウツァン・カム・アムド)で今日も継続している。一方、米国議会では「チベット支援法」(4)H.R.4331 – Tibetan Policy and Support Act of 2019, https://www.congress.gov/bill/116th-congress/house-bill/4331を法整備された、チベット問題を米国の対外政策の一課題であると正式に位置付け、マサチューセッツ州でも毎年3月10日を「TIBET DAY」(5)2022 TIBETAN NATIONAL UPRISING DAY PROCLAMATION: URLとするなどチベット問題の改善のための支援を近年強化している。

残念ながら日本政府はまだそのような公的な支援を行なってはいないが、日本とチベットの交流は先代ダライ・ラマの時代の河口慧海・多田等観・青木文教から継続するものであり、現在のダライ・ラマ第14世法王もノーベル平和賞受賞者・仏教の指導者として、私人としては日本でもひろく受け入れられている。しかしながら我が国では宗教や政治について明確な表現をすることをタブー視する傾向があり、これまでも中国政府に忖度し(6)たとえば弊会では2006年にダライ・ラマ法王が呼びかけられ広島に3人のノーベル平和賞受賞者をお迎えし平和サミットを組織し、会場として教育機関や公的機関に呼びかけたが、中国本土との関係や中国人留学生の受入などに忖度し、ダライ・ラマ法王だけ来ないで欲しい、学校などの会場とは無関係であるように見せて欲しい、という要望を伝えられたこともある。また民間企業の貸会場でも、日本国の法令遵守をしていても、ダライ・ラマ法王の行事には会場提供できない、と一方的に予約がキャンセルされるなどのことがこれまでも多発してきた。チベット問題については欧米の態度と比較すれば、極めて弱腰であり、ダライ・ラマ法王やチベットの人たちがアジアのリーダーとしての日本人に寄せる期待に充分応えられていないのも事実であろう。

いま世界的なパンデミックも少しずつ落ち着いてきて、今後私たち日本人、特にチベットの仏教やダライ・ラマ法王の教えに関心を寄せていた人が、今後このチベットの問題についてどのような姿勢で対峙すべきかを改めて考え直しておくのには、よい機会であると思われる。現在のロシアによるウクライナ侵攻はかつて中共によるチベット侵攻とも似ている部分もあり、世界の現状に鑑みて、チベット問題の未来について、この度、チベット亡命政権の日本代表であるツェワン・ギャルポ・アリヤ博士、ゴペル・リンポチェ、そしてチベット史・アジア史の専門家である石濱裕美子早稲田大学教授に取材させて頂き貴重な意見を伺うことができた。

本記事はそのうちの日本代表ツェワン・ギャルポ・アリヤ博士へのインタビューを文章化したものであり、極めて詳しく有意義なお話を聞かせていただけたので、ここに共有したい。

1 .   「3.10・チベット民衆蜂起記念日」とは

ダライ・ラマ法王の暗殺を阻止するためにポタラ宮殿前で立ち上がったチベットの人たち
— 3月10日の「チベット民衆蜂起記念日」ですが、この日はどういう日なのか、知らない方にも分かるように簡単に教えてもらえますか。

代表:

3月10日は「チベット民衆蜂起記念日」(བོད་མིའི་རང་དབང་སྒེར་ལངས་གསུམ་བཅུའི་དུས་དྲན་)といい、毎年チベット人がチベット問題の平和的解決を願い、様々なアピールをする日です。この日を中心とし、平和的なデモ行進をしたり、チベットの現状について抗議声明を出すなど広報活動を積極的に行なっています。もちろん現在チベット本土では、中国当局の監視体制が厳しくデモ行進などはできませんが、世界中に散在するチベット人がこの日に1959年3月10日にラサで起こった民衆による蜂起を記憶に呼び起こし、いまだに解決できないチベット問題の解決を願い、声を上げる日となっています。

チベットは歴史的には独立国家です。現在の状態になったのは、1950年頃から中国共産党がチベットへ侵攻してきたことに由来します。1951年5月23日には中国中央政府とチベット政府との間で「17ケ条協定」(7)中央人民政府と西藏地方政府のチベット平和解放に関する協議: ダライ・ラマ法王は、インドのネルー首相からも、「17ケ条協定」に基づいて平和的解決を探るよう仏跡巡礼の際に個人的にアドバイスをもらい、そのままインドに亡命することなく、チベットに戻っている。この時の経緯についてはダライ・ラマ法王の自伝『チベット・我が祖国』に詳しく記されている。が半ば強制的に締結させられ、この協定に基づいて、中国政府は「チベットを解放する」という名目で、人民解放軍を進軍させ、チベットへ軍事侵攻してきました。この協定は、チベット側の本意に反していましたが、当時の中国政府の軍事力は強大で、チベットが独立国家状態を保つために防衛支援をする国もありませんでしたので、チベットを侵略するのは簡単にできたのです。

1951年から1959年までのチベット政府は17ケ条協定を守り、できるだけ中国共産党との対立を避けようとしていました。しかし人民解放軍は、チベットを支配するだけではなく、チベット人のすべての権利を剥奪しようとし、チベット人を隷属させようとし、チベットの自然資源をもすべて略奪していきました。彼らは僧院を破壊し、一般市民を虐殺し、チベットという国家そのものを滅亡させようとしたのです。中国政府の意図は明らかでしたが、チベット政府はチベット人に向けて、中国側に抵抗せぬよう呼びかけていました。何故ならば、チベット人の生命の保障と安全な生活こそがチベット政府にとって最優先事項だったからです。もちろん一部の人たちで、中国政府の支配に抵抗して人民解放軍に立ち向かった者もいましたが、ほとんどのチベット人はチベット政府の方針に従おうとして、中国政府による支配に嫌々耐えていたのです。しかし人民解放軍の残虐行為は一層エスカレートし、最終的にはこの状態には耐えられないと民衆が蜂起し、ダライ・ラマ法王の暗殺を阻止しようとラサで声を上げて抵抗運動をしたのが1959年3月10日のことになります。

1959年の神変祈願大祭でゲシェーの問答を披露するダライ・ラマ法王

中国政府側はもちろんダライ・ラマ法王の暗殺計画などない、と言っていました。彼らは1959年のチベットの正月の祈願大祭(モンラムチェンモ)で、ダライ・ラマ法王のゲシェー・ラランパ(博士)学位取得(8)ダライ・ラマ法王は6歳の時に14世として化身認定され、1940年1月14日に正式に即位するが、それ以降も通常のゲルク派の僧侶として学ぶべき五大聖典をティジャン・リンポチェ、リン・リンポチェというお二人のヨンジン(個人教授)から学んでいる。ゲシェー・ラランパの学位はゲルク派の最高学位であり、その学位の取得の際には、ラサの中心であるラデン・トゥルナン寺(大昭寺・ジョカン)で行われる正月の神変祈願大祭(チョトゥル・モンラム・チェンモ)で教義問答を披露しなければならない。この問答の披露が終わったら正式に「ゲシェーラランパ」となる。この儀式はチベットの文化的な文脈では、ダライ・ラマの化身が名実共に政教一致の最高指導者となられたことを意味している。の祝賀会を開催したいと、ダライ・ラマ法王を招待しました。この時に中国政府は「祝賀会へは必ずお一人で出席してください。護衛官を同行しないでください」と通告し、ダライ・ラマ法王も出席の意向を伝えられました。しかしこれ以前にもダライ・ラマ法王の暗殺計画の噂はありましたし、チベット人の高僧が中国側から接待を受けたのに出向き、そのまま帰ってこなかったということもありましたので、このダライ・ラマ法王の招待が暗殺計画の実施であることは明白だったのです。そこでチベット人たちは何とかダライ・ラマ法王の出席を自分たちの生命をかけてでも阻止しようとポタラ宮殿の前に集結し、暗殺計画を阻止しようとして、中国に対しても強く抗議を行ったのです。これが1959年3月10日に起こったことです。

中国政府にとってダライ・ラマ法王の暗殺を阻止しようとしたチベット人の抵抗運動は武力制圧の格好の機会でした。彼らは武力行使でチベット人たちを黙らせようとしましたが、チベット人側も、それに応じて「もうこれ以上中国政府と協調できない」「このままダライ・ラマ法王が暗殺されるのは耐えかねる」「もはや中国政府の支配下では、チベット人の未来はない」そういう悲痛が一層強まったのです。集まったチベット人たちは中国軍に激しく抵抗しました。ポタラ宮殿に爆弾が落とされて、ラサの市内は銃声や爆撃音が止まない状態になりました。ダライ・ラマ法王はこのままでは自分のせいでチベット人の生命が失われてしまう、暴力の連鎖はもう止まらない、そう思われて、インドへ亡命されることをご決断され、ポタラ宮殿を出立されます。ラサでの戦闘が全く止む気配もないなか、秘密裏に法王はインド国境の手前まで辿りつき、そこで中国政府と締結した「十七か条協定」は無効である、ということをチベット政府として正式に宣言しました。その後、インドへと亡命された後すぐに国際社会に向けて、チベット政府は亡命しているがここに継続している、という宣言をされます。1959年3月10日の民衆蜂起はこれら一連の出来事の発端となった事件であり、チベットの民衆ひとりひとりが明確な意思表示を行った、という意味で非常に重要な日だとと考えることができます。

それ以来、私たちチベット人は、毎年3月10日を「チベット民衆蜂起記念日」として、自由と人権などを訴求して、いまもなお続く中国政府の不当な支配と圧政に対して抗議活動を行い続けています。この日本でも、毎年デモ行進が在日チベット人コミュニティの主催で開催されますし、日本の他の地域でも集会などが催されています。

— 1950年から10年近くもチベット人によるゲリラ戦が行われ、その都度敗北しながら、チベットは侵略されていき、最終的に1959年の3月に至ったと言われています。1959年以後とそれ以前のチベット人の抵抗運動にはどんな違いがあると言えるでしょうか。

代表:

まずチベットの軍事力は極めて弱小でした。1950年のチャムドでの戦闘の時には、4万人もの人民解放軍に対し、チベット人の兵力は8千人しかしかいませんでした。大体チベット人の戦闘員ひとりに対して相手にしなければならない人民解放軍の戦闘員は5人以上です。さらに持っている武器も圧倒的に人民解放軍のものの方が優れています。チベット側は実際にすぐに敗北しましたので、チベット政府としても、なるべく犠牲者がでないよう協調路線を探っていたのです。チベット政府の協調路線に納得しないチベット人たちはゲリラ化しましたが、所詮兵力では劣勢ですのですぐに負けてしまいます。

1959年以前に抵抗していたのは、ある程度のトレーニングをした戦闘員ですが、1959年3月10日以降にラサで戦ったのは、一般市民で、何の訓練もなく、武器もない者たちが決死の覚悟で抵抗をせざるを得ない状況になったのです。これ以降の死者は数えきれないほどいますし、1959年3月10日以降中国側がチベットに対して行った行為は残虐極まりなく、一般市民の大量虐殺(ジェノサイト)(9)1948年12月9日、国連第三回総会決議260A(III)にて全会一致で採択され、1951年1月12日に発効された「ジェノサイト条約」「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約 」Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocideでは、ジェノサイトの定義としては、(1)集団構成員を殺すこと、(2)集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること、(3)全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること、(4)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること、(5)集団の児童を他の集団に強制的に移すこと、と定められているが、(1)中国政府がチベット人を殺戮したこと、(2)中国政府がチベット人にダライ・ラマを分裂主義者であると批判するよう強制し、反抗した場合に拘束・拷問すること、(3)チベット人僧侶などに銃器を持たせてお互いに殺させたこと、(4)一人っ子政策のためにチベット人女性を強制連行し麻酔や消毒もしないまま避妊手術を行い死亡させたこと、(5)児童に毛沢東語録を携帯することを義務付け、反抗するものを愛国愛教教育と称して親元から話して再教育施設に軟禁することなど、ジェノサイトに該当する行為を行っている。この条約を批准したのは、中華民国(現在の台湾)であり、中華人民共和国として正式にこの条約を批准しているわけではない。Cf. The Genocide Convention: https://www.un.org/en/genocideprevention/genocide-convention.shtmlにほかなりません。

2.   国際社会はチベット問題をもっと深刻に捉えるべきである

— 1959年3月10日の「チベット民衆蜂起」以降、国際社会はどのように反応しましたか。

代表:

チベット政府は、中国の脅威への懸念を理由に、歴史的に友好関係にあったインドやイギリスに支援を継続的に求めていました。しかし最終的にチベットという国家を防衛するために軍事的に支援してくれた国はありませんでした。その結果チベットは完全に占領され、現在もなお中国の領土の3分の1として支配下にあります。

インド政府はダライ・ラマ法王とチベット政府、チベット人を大量に難民として受け入れ、チベットの文明が継続するために最大限の支援をしてくれました。1959年4月にダライ・ラマ法王が亡命されるとすぐにムスーリーでチベット亡命政権が樹立され、祖国を逃れてきたチベット難民は国際社会から手厚く人道支援を受けることもできました。いまのチベット亡命政権はかつてのチベットという独立国家の回復を目指している訳ではなく、ただ中華人民共和国の憲法で定められている範囲内での実質的な自治(10)「全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案〜ダライ・ラマ法王特使による中国統一戦線工作部提出資料」を要求しています。そしてこの問題を対話による平和的解決の実現のための努力を続けており、これは国際社会からもひろく支援されています。

— 実質的にチベットという独立国家が滅亡したのは国際社会にどんな影響を与えたと思いますか。

代表: チベット問題は、私たちチベット人だけの問題という訳ではありません。国際社会から見れば、チベットという国家が滅亡したことは、隣国に中国の軍事的な脅威が高まったことを意味しています。このことはヒマラヤ山脈の南側のインドやネパール、ビルマ、ブータンなどの国にとって極めて深刻な問題です。かつてチベットが独立国だった時に起こらなかった問題が、チベットという独立国家の滅亡によって現在起こっています。今も中国は領土の拡大を常に計画していますし、実際に中国との国境地域では衝突が絶えることはありません。中国軍は少しずつ国境線を拡張しようとし、ブータン国境を越えて、軍事施設を建設したりしています。チベットが中国によって占領状態に今日もあることで、南アジア全体に紛争の危険が発生しているのです。

— なるほど。確かにチベット高原はアジアの中心部分にありますので、これは国際社会も本当は見過ごしてはいけない問題ということになりますね。

代表:

そうですよ。これはたとえば現在の香港の状況も物語っています。数年前まで民主的に運営されていた香港は、いまは影も形もありません。中国政府の一帯一路構想に基づいて南シナ海でも不穏な動きが頻発しています。中国政府の勢力拡大は、他の東南アジアの諸国に対する脅威ですし、より一層危険な状態になっていると言えます。もしこれから中国軍が台湾に侵攻すれば、日本にとっては中国の脅威がさらに接近するということになる訳です。チベットの事例のように一度平和の均衡が失われ国家の運営ができなくなってしまえば、それを取り戻すのには大変な苦労が必要になりますし、時間もかかります。歴史的に見てもチベット問題は、単に私たちだけの問題ではなく、国際社会が憂慮すべき国際問題だと思います。

——— 現在のロシアのウクライナ侵攻もひどい状況になっていますが、これについてどう思われますか。

代表:

中国によるチベット侵略とロシアによるウクライナ侵攻には類似点が多く見られます。もしもこのままウクライナが完全に占領されてしまえば、ヨーロッパ全体が常にロシアの脅威と隣り合わせとなり、ヨーロッパが常に不安定で危険になるのは確実でしょう。

チベット問題にしろ、ウクライナ問題にしろ、このような問題は、他国と協調しようともせず、軍事侵攻が可能である国民の声も反映されることのない独裁体制の存在が問題だと思います。プーチン政権も、習近平政権も、基本的考えは同じです。彼らの政権の特徴は「独裁政権」であることで、反対意見は暴力によって抹殺され、独裁政権を維持し、勢力拡大をするためには、人命が失われても構わないという考えに基づいて運営されています。反対意見や抗議の声を独裁政権は徹底的に情報統制し、一般市民を自分たちに都合のよい虚偽の情報で扇動しています。もしも違和感を感じたり、抗議の声を上げたり、政策に反対するものがいれば、武力によって制圧しその声を抹殺するというやり方は、毛沢東時代から現在の習近平政権まで全く変わりません。ロシアのプーチン政権もこれとほぼ同じことをしています。

独裁体制は独裁者に主権があり、国民に主権がない状態です。その状態では民主的方法によって公正な政権運営をすることなど不可能です。独裁政権の主宰者は、自国民が自由に幸せに暮らせ、国際社会のなかで協調し、国際法を遵守しながら自国を運営することよりも、自分たちと自分たちのグループの権力の維持・勢力拡大の方が重要なのです。国民の生活よりも、世界の平和よりも、自分たちの利益の追求や勢力の拡大の方が重要な独裁者が、武力をもって他国に危害を加えることができる状態は、国際社会の秩序を脅かす最大の脅威であると思われます。

——— 新型コロナウイルスの感染拡大前から香港では弾圧が行われていました。武漢からの世界的な感染爆発が起こるなか、台湾近郊や尖閣諸島への中国の軍事力の拡大に、近年日本でも脅威に思う人が増えています。中国側はいつも国家分裂や内政干渉を許さない、自分たちは祖国統一をしているだけだと言いますが、彼らのこういった発言についてどう思われますか。

代表:

中国共産党の独裁政権が「祖国統一」をいくら口実にしても、単なる言い訳に過ぎません。彼らの考えは、武力行使による占領と支配、勢力拡大にあります。彼らが「チベットを解放する」といってチベットを侵略し占領したことは歴史的事実ですし、最近の香港情勢でも、彼らは民衆を抑圧し脅迫することで統治しようとしているのは明らかです。中国政府は国民一人一人に主権がある民主国家を運営しようとしているのではなく、独裁政権の勢力拡大を優先しています。ですので、国際社会はこの中国政府の真意を決して見誤ってはならないと思います。

そもそも、日本のような国と、中国のような独裁政権の国の目指す方向性は完全に逆のものであるといっていいでしょう。日本はこれまでも国際社会の一員として、隣国である中国などとも友好関係・協調関係を構築しようと努力してきました。国家の体制としては高度な民主主義国家です。その国家の基本方針を大切にしています。しかし現在の中国の指導部の考えは、あくまでも一党独裁政権の維持と権力拡大にあり、どんなに偽装し友好的態度を示してきても、そもそも目指す方向性が異なる限り真の協調関係を築くのは困難でしょう。(11)たとえば中華人民共和国はジュネーブ協定を批准していないので、自国民を弾圧したり、有事の際に一般市民を殺しても国際法違反にはならないなどの問題点がある。

いまの尖閣諸島や台湾近隣の海域は、大変危険な状況です。しかし、これは中国という一国家の責任でもありませんし、台湾や日本の責任でもありません。そして中国の一般大衆の責任でもないし、台湾の人たちや日本の人たちの責任でもありません。みんなが平和の均衡が崩れた危険な不穏な海域を望んでいる訳でもありません。ここに迫っている危険な問題を起こそうとしているのは、中国共産党の一党独裁体制であり、それを率いる独裁者のグループです。これらの危険な勢力と問題があることは明らかな事実ですし、私たちはそうした危険勢力が悪意をもって更なる問題を生み出さないように、国際社会のすべての人が責任感をもって、この問題に正しく関心をもち、この問題を放置してしまうことなく、なるべくはやく平和的に解決するための努力を怠らないことが大切だと思いますし、そのためにすべての人がそういう問題を懸念事項としていつも考えている必要があると思います。

3.   日本との出会い

——— 代表が日本と関わることになった経緯やこれまでのお仕事などを教えてください。

代表:

私は北インドのウッタラーカンド州のムスーリ(12)ムスーリは最初にダライ・ラマ法王が亡命後に居留された場所であり、ここでチベット亡命政権は樹立される。その後、ダライ・ラマ法王とチベット亡命政権は現在のヒマチャール・プラデーシュ州ダラムサラーへと移転される。にあるチベット難民キャンプで育ちました。難民学校で高校まで卒業し、1985年に成田山新勝寺が支援していたチベット亡命政府から留学生派遣事業があり、その一人として5人のチベット人留学生と一緒に日本に来ました。来日後1年間は日本語学校で日本語を学び、その後2年間千代田ビジネス専門学校で専門的な勉強をしました。専門学校では好きなことを学んでよかったので、私は国際貿易と経済を専攻しました。他の留学生は、映像関係、接客業、コンピュータエンジニアリングなどを学んでいました。合計3年間の日本留学の後、またインドに戻り、大学に通った後に亡命政府の公務員となりました。私と一緒に来た留学生の全員が留学後、チベット亡命政権や関連機関へと就職しました。

公務員になってから最初は財務省(Department of Finance)の部局の勤務となり、その後はチベットに関する出版物を発行するパルジョル出版局(Paljor Publications)へ異動になりました。出版局では長く勤務しましたので、最後はディレクターにもなりました。その後でダラムサラの財務省本部へと転属し、2005年に日本代表部事務所の事務官に任命され、再来日し6年間ほどおりました。その後でまたインドに戻って、ニューデリーの代表部(Bureau of His Holiness the Dalai Lama)の事務局長として、チベット人難民の旅券の発券やインド政府との調整などの業務にあたりました。その後、ダラムサラへ異動になり、内務省(Home Department)、情報国際省(Department of Information & International Relations)で勤務し、情報局長としてチベット政策研究所(Tibet Policy Institute Section (TPI))の業務も兼務しました。

ここでは、主に中国政府が発表する報道の真偽を検証したり、さまざまなチベットの最新情報について精査して、亡命政府としての情報発信を行なっていました。中国政府や中国政府系の報道機関は、チベットの歴史・文化・政治・社会制度などについても意図的に事実を歪曲し情報発信しています。彼は極めて大量の情報を恣意的に発表していますので、背景や事実をきちんと検証されていない不確で意図的に歪曲された情報が、そのまま事実として第三者の人たちに知られることは憂慮すべき事態になります。私2年間そこで情報局長としてはたららき、その時に書いたレポートや記事は昨年2021年に書籍としてまとめることができました。纏め出版せれました。それがHARNESSING THE DRAGON`S FUMEであり、現在これは和訳『龍の毒霧を晴らす』として出版される予定となっています。

今回代表として再来日する直前には、亡命政府の情報発信チャンネルとしては、ウェブサイト、インターネットテレビ、各種の報告書、月報、関連機関への情報配信などがありますが、特に亡命政府運営のTibet TVの毎週配信されているTIBET NEWS THIS WEEKの日本語版も整備し、最初は自ら日本語でニュース・キャスターとして登場したりもしましたが、2020年にルントク前代表の後任の日本事務所の代表に任命され、また来日していまにいたっています。

——— 高校卒業後すぐに日本に来られた時、何か違和感を感じましたか?

代表:

1985年にはじめて日本に留学生として来ましたが、それ以前に日本についてはある程度知識があり、日本は伝統的に仏教国でもあるので、他の国に比べると親近感をもっていました。実際に日本に来てみると、チベットと同じように古い仏教の伝統を大切にしていることはすぐに分かりましたし、私たち留学生の滞在先が成田山だったので、毎日境内の掃除をし、お堂で読経し、仏前にお供えをするといったチベット人の一般的な生活と全然変わりませんでした。日本の方々は格好も私たちによく似ていますので、実は自分たちがチベット人であること以外には、日本で違和感を感じることはありませんでした。驚いたことといえば、日本人の方々が魚や、海老やイカやタコなどを普通に召し上がっていることですね。チベット人の大部分の人たちは魚をあまり食べる習慣がありませんし、足が沢山生えている海老とか烏賊とか蛸はどうしても「虫」の仲間だと思ってしまうので、感覚的に食べ物として考えることがなかなか難しいです。格好も生活もチベット人と変わらない日本人が、そんな食事をされているのは、ちょっと恐ろしい印象を受けました。もちろんこれは殆どのチベット人が感じること、私だけが特別でもないですね。

——— 代表はチベット語と日本語の教科書(13)『チベット語と日本語・英会話の本』English-Japanese-Tibetan Conversation. New Delhi: Paljor Publications, 2002. ISBN 10: 8186230262 ISBN 13: 9788186230268を出版されていますね。あの本を使って私たちの広島におられた僧侶の方々も最初日本語の勉強をされていました。代表が2005年に事務員として来日された時には、うちの僧侶の方々が「あの教科書をつくった人だ」とおっしゃっていたのが印象的でした。チベット人向けの日本語の教科書というのはかなり珍しいもので、それ以前には殆どないと思いますが、あの教科書はどういう経緯で出版されたのですか?
チベット語と日本語・英会話の本(English-Japanese-Tibetan Conversation)

代表:

私たち留学生は3年間日本で勉強しましたが、留学を終えインドに帰ると、日本語を使う機会は殆どありませんでした。時々日本からのゲストが来る時は通訳として活躍できるチャンスもありますが、そんなに多くはありません。せっかく日本語を覚えても普段から使わないと、どんどん忘れます。そこで、なるべく日本語で話せる機会をつくるため、日本に行く予定のチベット人に日本語を教えるようにし、1990年頃に新潟県・赤倉町のチベット支援者の方がチベット人若者5人に旅館サービスの研修生として受け入れて下さいました。その研修生らに日本語を教える機会がありました。私たちも日本語を忘れないためのいい機会となりました。その時に教科書として作ったものがあの本です。初版では間違った表現なども多くありましたが、徐々に訂正したものがいまのものです。

4.   日本人によるチベット支援の意義

———  「問題が発生する原因が整っていればその問題が発生することが回避できないので、問題を予見して対策を怠らないようにする」というのは、いつもダライ・ラマ法王が教えてこられたことですね。チベットの日本での代表として「チベット民族蜂起記念日」と関連し、いまの日本や日本人、そしてこれからの日本と日本人にどんなことを期待されていますか。

代表:

日本でチベットの問題に関心を示してくれ、平和的解決のための活動を支援してくださっている方は徐々に増えています。これはチベットにとっては大変有難いことですし、日本のみなさまのそのような傾向は、日本の未来にとっても必ずよいものとなると思います。

日本の国民の代表である国会議員のなかでもいまは超党派の正式な議員連盟(日本チベット国会議員連盟(下村博文会長)は2016年に正式に発足。)ができています。この議員連盟には100名以上の超党派の議員が参加して下さっており、チベット支援を表明してくれています。最近もウイグルなどの人権状況に合わせ、人権問題に関する国会決議(14)新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議案(第208回国会、決議第1号) を行なってくださいました。これは一般の日本人の多くの方々がチベット問題に対して関心をもってくださり、支援してくださっていることの一つの大きな成果ですし、これからもみなさんがこの問題に取り組んでくださると思えば大変心強く思います。

第二次世界大戦の後、日本は常に国際社会のなかで協調しながら経済発展をし、世界平和のために貢献しようとし、指導的な立場を発揮できるよう努力されて来られました。今日日本は誰しもが認めるアジアのリーダーです。日本人のみなさまは国際社会から信頼され、尊敬されています。そのような方々が、私どものチベット問題に公式に支持を表明してくださっているのは、国際社会のなかでも非常に重要な意味があることです。ですので、現在のウクライナ、ウイグル、チベットなどの問題だけに止まらず、そのような信頼を得ている人たちがリーダーシップを発揮し、国際問題に関して明確な意思表示をしてくださることを私たちだけでなく、他の国の人たちは期待しています。これまで日本のみなさまがこの重責に応えて下さっていることは、国際社会のみんなが感謝していることだと思います。

日本のみなさまにおいては、これからも、一人一人の人間の人権の尊重、信教の自由、民主主義、平和の実現といったものは国際社会が一丸となって大切にしないといけないことであるとご理解いただき、その姿勢を「チベット民族蜂起記念日」のような機会に継続的に表明していただけるようにお願いしたいです。残念ながら日本に住んでいるチベット人は非常に少ないです。日本人のみなさまが私たちと一緒になって意思表示をしてくださることで、国際社会がより平和で良いものへとするのに一緒に貢献できることをいつも願っています。

5.  パンデミックと戦争

——— この数年間の世界的なパンデミックで、いまはまだ以前のように海外との往来も自由ではありません。さらに戦争になって世界の状況は大きく変わりつつあると思います。いまの世界の変化を代表は個人的にどのように見ておられますか。

代表:

いま起こっている問題はどうして起こったのか、ということをまず考えることが私は大事だと思います。まず新型コロナウイルスは中国の武漢からはじまったと言われています。中国政府が最初疫学的調査に協力的ではなかったことが世界的なパンデミックの原因であるという意見もあります。中国の人たちには良識ある人たちも多くいますが、国内は完全に言論統制され、監視体制も厳しく、報道の自由もありません。世界的なパンデミックを阻止するために、もっとはやく中国政府がこの問題に対策を講じていたのならいまのような状況にならなかった筈です。

中国の独裁体制自体の問題が、世界的な感染拡大の発端であることだけは間違いありません。そして中国だけではなくプーチンの独裁政権もいま問題を起こしています。中国の独裁体制は他の国への感染拡大を防止するために協力的だったとは言えません。むしろ彼らはインドで感染が爆発しているなか、インド国境でも軍人を殺したりしています(15)2020年中印国境紛争。チベットにも大変多くの軍隊を派遣し、チベット全体を軍事基地にしようとするプロジェクトをさらに進めました。

観音菩薩の宮殿であるポタラ宮殿の前では人民解放軍が威力を発揮している

中国政府は世界的なパンデミックの責任を感じて、国際社会に対して何か貢献しようとしたかというとその逆です。より軍事力を強化し、尖閣諸島や台湾などへの侵攻を着々と準備しています。さらにはインドやネパールにも軍事的な侵攻をしようとしている兆候も明らかです。

本来であれば、中国政府はいま、国際社会と一丸となって、変異株も含めて世界的に拡がってしまった感染症に責任を感じて、自分たちが間違っていた部分は素直に謝罪し反省し、国際社会と協力してなるべく早くこの感染症の問題が終息するために率先して努力しなければならないはずです。そのような状況にあるにも関わらず、この混乱に便乗し、自国の軍事力を強化し、領土を拡大しようとし、自分たちだけが利益を得ようとしています。

チベット本土では、たとえば四川省のダクゴなどでチベットの人たちが個人的に寄付をして作った釈迦牟尼像や弥勒像などを去年の12月に破壊しました。世界平和や感染症の終結を祈って毎日お祈りをする時のマニ車まで破壊しました。(16)「まるで文化大革命のような弾圧」: 中国当局、チベット東部ドラクゴで空高くそびえる仏像や45台の巨大マニ車を破壊

世界中でオミクロン株の爆発的な感染者が増加し、各国がその対策に追われ、海外の状況にまで目を向ける余裕がないので、チベットへの弾圧を一層強めているのです。

中国から見たらいまが絶好のチャンスです。世界中が混乱しているからこそ、こっそりとやっても大きなニュースになりません。特に今回の感染拡大などに便乗し、中国の情報統制はさらに激しくなり、以前はチベット本土にいるチベット人とも電話やSNSを通じてコミュニケーションが比較的取れていましたが、いまはそれも遮断されている場合が多いです。最近のチベット本土では、海外と連絡を取り合うだけで国家分裂を企んでいると言われ、逮捕されて刑務所に入れられるケースも増えています。中国政府は常にチベット人たちに対して猜疑心を抱き、チベット人の一挙一動を監視しています。ですからチベット本土の最新の状況を知ることすら、簡単ではなくなっているのです。こんな状況が続いているため、すでに焼身抗議をした人間は150名以上もいます。つい先日、2月25日にもチベット人の人気歌手、ツェワン・ノルブがポタラ宮殿の前で焼身抗議をして生命を落としてしまいました。“Tibetan singer Tsewang Norbu confirmed dead due to extreme burn” International Campaign for Tibet

彼らが何故焼身抗議をしなければならないのかというと、まずは心のなかにどうしようもない不満があり、かつそれを正式に訴える場所もなく、誰もその不満を理解してくれる人がいないこと、そして不満を爆発させて、暴力に訴えても無意味であるばかりではなく、チベット人に対する圧政がより酷くなってしまう、といった理由から、自分自身の身体に火をつけて、決死の覚悟で訴えているのです。

ツェワン・ノルブの場合には、若手のチベット人人気歌手で、チベットの文化や文明の大切さを訴える歌をこれまでも沢山歌ってきました。しかし中国政府の監視下において、本当の気持ちを歌う訳にもいかないし、それをちゃんと分かって希望を聞いてくれる相手も何処にもいません。自分たちの置かれている境涯は結局こういうものだ、自ら生命を断ってでも、その思いが世界に届くならいい、そう思って焼身抗議を行ったのです。

彼が歌ってきた歌の歌詞にははっきりと書かれていませんが、ダライ・ラマ法王への思い、チベットの現在を嘆く思い、チベット民族への愛、そういうものが詰め込まれています。ラブソングやラップという形で言葉では明確には分からないようにして、歌ってきました。しかし常に彼の歌の内容は監視されており、自分たちの素直な思いすら歌えない状況になっていたのです。本来ならば自分たちが大切にしているものがいかに自分たちにとって大事なものなのか、そういったことを歌で表現する自由は保障されなくてはならないものです。あらゆる角度から言論の自由や表現の自由を抑圧している現在の中国政府の政策は、決して良いものではありません。

6.  世界平和の実現のためには良い人間が必要である

——— 今回のロシアによるウクライナ侵攻の状況のなか、核兵器の使用が懸念されています。日本でも核武装や核共有について議論した方がいいという意見もあります。チベットの人たちは、チベット問題を解決するために、現在、対話による平和的解決、それも中国からの分離独立を求めるのではなく、チベット全域を特別行政区のような、名実を共にする自治権の獲得を目標とされていますが、現在の世界情勢の変化のなかで、こういった問題についてどう思われますか。

代表:

核兵器をはじめとする非人道的な兵器が開発されたのは、科学技術の発展によるものです。そのような兵器だけではなく、様々なものが開発され、私たちの現代文明の多くのものが科学技術の発展の恩恵によってもたらされた物質文明です。現代教育も、科学技術を担う人間を育てるために行われます。しかしこれらは「賢い人間」を育てるためであり「良い人間」を育てるためではありません。歴史的には、かつては近年のように「賢い人間」はいまのようにいなかったかも知れませんが、「良い人間」が人類を発展させてきたのだと思います。

現代の教育は、より物質文明の発展に寄与できるための知識を身につけ、その知識を身につけた後に、それを経済活動へと活用し、より効率的に金儲けができるようになる人間を「優秀な人間」としてきたのです。現代社会で「成功者」としてイメージされる人間像は、豪邸に住んでいるとか、車を沢山もっているとか、物質である財産が沢山ある人を「成功した人間」と言っています。そしてこのような風潮のなかで、両親が子どもたちを育てる時にもなるべく、自然科学や技術などを身につけることができるよう高度な教育を受けさせて、よりそれを有効活用できるビジネスの知識や資格を身につけ、子どもが成長して金持ちになることばかりを期待しています。ですが、こういった教育が目指している人物像、それはいまの習近平やプーチンなどの富と権力を独裁している人物像とあまり変わらない、ということには注意する必要があると思います。「私は金持ちになりたい」「私は権力を奮いたい」という考え方、これが習近平やプーチンのような人物を生み出しています。

ダライ・ラマ法王はこういう考え方は間違っていると常々おっしゃっています。ダライ・ラマ法王が提案されているSEE learning(Social Emotional Ethical learning)という教育法(17)SEE Learning program. Emory University’s Center for Contemplative Science and Compassion-Based Ethics.があります。社会的で倫理的で感情豊かな思いやりのある人間を育てることを目標としています。全世界の人がこの社会でより幸福な人生を歩めるために責任感をもてることを目指しています。昔のように自分たちの国が良くなるために他の国が犠牲になる、といった考え方ではありません。私たちチベット人の親の世代は、まずは子どもたちへの教育方針を変えていかなくてはならないと思っています。これは仏教の縁起の考え方、人間と人間が相互に依存しているだけではなく、人間と動物、人間と自然環境、これらのすべてのものが相互に依存し、まずは私たちがより幸せな生活をするためには、私たちが依存しているものにしっかりと敬意を払いながら暮らしていかなければならない、という考えに基づくものです。

たとえばチベットでは伝統的な文化として、山に神々に捧げるためのサンを焚く供養をし、自然に泳いでいる川魚を取って食べるのは控えてきました(18)弊会創始者のケンスル・リンポチェ・テンパギ・ャルツェン師の故郷でラサ近郊のキナク村では古くから川魚を食べる習慣があったが、これは極めて稀であり、キナク村でも川岸の反対側では全く魚を食べなかったとのことである。チベットの文化には伝統的に「魚・豚肉・卵の三つ」(ニャパーゴスム)を食べると頭がおかしくなるという言い伝えがある。。森林も伐採しません(19)仏教では、水の通り道である樹木などの根や茎には、龍(ナーガ)が生息し、草木を伐採することにより龍(ナーガ)が憤慨し、さまざまな厄災を起こすと言われている。龍の怒りを癒すために龍に捧げ物をして供養して運気を向上するための祈願法などが存在する。このような背景があるので、伝統的にチベットでは林業に従事する者は極めて稀である。。これは人間と動物だけではなく、それが住んでいる自然環境世界に対しても敬意を払い、大切にしながら暮らしているからです。私たち人間や動物の幸福な生活も自然環境に依存しているからこそ、それに敬意を払い、暮らさなくてはならないのです。

たとえば今回冬季五輪の開催にあたり、雪や氷を人工的に作り出したことが話題になりましたが、私たち人間の知性や科学技術は、このような不自然な現象を作り出すためにあるのでしょうか。私たち人間が知性や科学技術をこういう使い方をしていった結果、核兵器は開発され、一度に大量の人間を殺すことができるようになったのです。

ダライ・ラマ法王はいつも「もちろん人間の知性や科学技術の発展は、素晴らしいことです。しかし知性や科学技術を使うのはあくまでも人間ですので、知性や科学技術も必要ですが、それを使うより良い人間が必要です。」とおっしゃっています。立派なナイフがあって、それを悪い人間に与えれば、人殺しをするのにナイフを使うでしょう。しかし良い人間に立派なナイフを与えるのならば、大変美味しい料理を作って、多くの人を喜ばすのに使うかも知れません。知識や道具の使い手は人間ですので、より良い人間がいなければ、いくら物質的に発展しても意味がないと思います。

ですので、社会的にも協調し、道徳的な正しい倫理観をもった人間を増やすことは非常に大切であり、ダライ・ラマ法王もアジアでも高度に発展した民主社会を築いている日本やインドが率先し、より良い人間を作ることにリーダーシップを発揮し、その結果よりよい人間に満ちたよりよい平和な世界を築いていけるよう、みなさんにも期待なさっておられるのです。

日本は世界のなかでも経済大国ですが、経済的基盤をより良い人間が活用することにより、世界はより豊かでより幸福でより平和なものとなります。経済発展や科学技術の発展はより豊かでより幸福な世界を築きますが、経済発展や科学技術の発展だけを目指すだけでは人間は豊かで幸福な世界を築くことはできません。それらをよいことに活用できるよう、良い人間を増やしていくことが大事だと思います。

仏教と関連していえば、小乗・大乗の違いというものがありますよね。小乗とはあくまでも自分たちだけが解脱して幸せになればいいという考え方です。これに対して大乗というのは自分たちだけが幸せになっても意味がない、すべての生きとし生けるものが幸せにならねばならない、という、より大きな視点をもった考え方です。これと同じように自分たちだけが発展し、他のものはどうでもいいと自分たちだけの利益を追求していれば、もちろん金持ちになり、幸せになれる人間もでてきますが、社会全体として、人間全体としてすべての人が幸せで豊かに暮らすようにはなれないのです。

7.  日本の仏教徒がこれからできること

——— そうですね。大乗仏教の精神というのはこれからの人類全体を考えると非常に重要な役割をもっていますね。最後に私たちの仏教を学んでいる人たちに何かメッセージがあれば教えてください。

代表:

すでにみなさまはチベットの素晴らしい先生たちから教えを受けて、それを実践しておられると思います。これは素晴らしいことです。ダライ・ラマ法王がいつもおっしゃるように仏教は宗教としての側面、思想、科学という三つの要素を兼ね備えているものです。

この三つの要素をもつ仏教を学んでおられるみなさまは、仏教を学ぶ過程で身につけることのできる、論理的な物事の考え方、現実を正しく分析する科学的で客観的な視点というものを活用して、世の中をもっと安全で平和で豊かにするために貢献できることがたくさんあります。日本の仏教徒のみなさまがリーダーシップを発揮することで、世界がより平和になり、安全で豊かなものへと変えていくことができると思います。

チベット仏教は歴史的にも中国・モンゴル・満州などの地域で民族紛争が起こりそうになった時に、平和的な解決や調整に貢献してきました。チベット人が仏教を大事にしてきたことは、チベット人に大きな利益をもたらしてきただけではなく、周辺国の人々にもよい影響を与えてきたのです。特にモンゴルにはサキャ・パンディタをはじめチベットのラマたちが何度も行き、外側の世界にいる敵ではなく、自分たちの心の中にいる敵を駆逐できる者こそ真の勇者である、と説いてきました。日本の仏教徒の方々もこうした取り組みをされるといいと思います。

日本には「武士道」という考え方があります。武士道では忠義というものを大変重んじています。自分たちが大切にしているものを生命懸けで守り抜く、という精神です。この武士道の精神を社会全体に応用して、この社会や世界を何としてでも平和で安全に守り抜こうとする真の武士道の精神を継承した日本の仏教のあり方というものがあると思います。

社会全体の利益、自分たちが住んでいるこの人類全体の利益のために勇敢に立ち向かう勇者の姿、これが大乗仏教の菩薩の精神です。日本の伝統的な武士道の精神で、一切衆生の利益のために勇敢に励んでいる姿、これが日本の大乗仏教徒の姿ではないでしょうか。日本にはたくさんお寺もありますし、そこにお参りしている人もたくさんいます。日本のお寺を中心として、そこに関わる人たちが、もっと外側の世界だけはなく、精神を鍛錬して、平和のために貢献する志を培い、「功績を成し遂げる」こうしていくことが本当の「成功者」であり、これが菩薩道へとつながると思います。こういった道を日本人の方々が歩まれるならば、日本人独特の世界平和に貢献できる勇者を育てていけるのではないかと私は期待しています。

六波羅蜜よりなる菩薩行とは般若経で「甲冑を着用した行」と呼ばれ、日々の精進によって一切の衆生の利益を目指す行であるとされている。
——— なるほど。武士道の国で「成功者」とは世界平和に貢献できる勇士という発想は代表が日本のことをよくご存じであるからこそのアドバイスですね。ありがとうございます。しかし日本人がなかなかそこまで強大な中国に対抗できるほど力があるとも思えませんし、むしろ非力であるとも思うのですが、どうでしょうか。

代表:

チベット民族蜂起記念日をはじめとするチベット問題は、特定の国の政治的問題ではありません。世界中の人が私たちの活動を支援してくれ、チベットの問題を解決することは国際社会全体の取り組むべき課題であると考えてくださる方もたくさんいます。この問題は強者が弱者を蹂躙してはいけない、ということに対する抗議や反発の声を表しているものであり、そのこと自体は国際社会が一丸となって取り組まないといけない問題であることは確かでしょう。そしてこの「強者が弱者の人権を侵害することはよくない」と声を上げるのが、チベット民族蜂起記念日となるのです。

私たちチベット人は、暴力ではなく、誠実に平和的な解決をもとめてこの日に声を上げています。習近平体制の独裁国家は非常に軍事的にも強力です。私たちチベット人でこの声をあげている者たちは所詮難民ですし、チベット人が軍隊を持っている訳でもありません。ですのでダライ・ラマ法王と私たちチベット人は本来恐れる必要など全くないはずです。

しかし中国政府は常に私たちを分離主義者であると避難し、チベット人の存在を恐れています。私たちに超能力がある訳でもなく、仏教的にいえば刹那滅で、私たちも滅びつつあり、死にゆく存在に過ぎないのです。私たちも非力ですが、利他の精神を大切にし、よい心を持ちましょう、よりよい人間として行動しましょう、と正しいことを訴えているつもりです。私たちはダライ・ラマ法王の教えに基づいて、できるだけ世界の人々に役立つようにあろうとし、役立つことはできなくても他者を決して暴力で害さないように志しているのに過ぎません。私たちチベット難民が世界に発したいメッセージはこのような正義と自由であり、それだからこそ中国政府にとっては脅威であり、この方法こそが本当の世界平和の実現へと人類を前進させる唯一の方法であると私たちは確信しています。

——— 分かりました。一滴の水滴も最終的には巨大な海のようになり、決してなくなることはないというのはよく菩薩の祈りについて話されていることですね。とりあえず誰にでもできる私たち日本人がダライ・ラマ法王とチベット難民のみなさまの活動を支援するためにはまずどんなことからはじめたらいいと思いますか。やはり継続的にチベットを支援していることを証明するブルーブック・プロジェクトへの登録などからはじめるのがいいでしょうか。

代表: 

チベットの活動を支援するための簡単な方法がいくつかあります。

(1)私たちは、日本の兄弟姉妹に、チベット問題に関する情報を近所の人々や子供たちに伝えてくれるようお願いしたいと思います。これは、私たちのホームページやFacebookページをフォローし、情報を共有することで可能です。情報は、チベットの歴史、宗教、文化、そして現在の状況についてでも構いません。

第二に、みなさまの地元の国会議員や地方の議員にチベット問題を提起し、正式な場で議論してもらうことです。そうすることで、チベット問題が国会や地方議会で注目されるようになります。一般の市民のみなさまからこの問題を提起すれば、国会議員や地方議員の方々も関心を持っていただけますし、きちんとした議論が正式な場で行われるようになります。

ブルーブック・プロジェクトは、チベット亡命政権を通して亡命チベット人社会を資金面で支援するプロジェクトです。難民チベット人でしたら、グリーン・ブックというものがあり、これが亡命チベット人であることの身分証明証となっています。ブルーブックはチベット支援に関心をお持ちの外国人を対象に発行されているものであり、チベット亡命政権の公式なサポーターであることの証明書の役割ももちますので、これに寄付をして参加してくださることは大変ありがたいことです。

私たちチベット亡命政権は、中国政府を打倒するために活動している訳ではありません。中国政府が行っている誤った政策を是正し、そのことでチベット問題を解決し、世界平和に貢献しようとしているのです。もしも日本のみなさまが、この活動に賛同し、ブルーブック・プロジェクトへ参加してくださるのならば、それはチベット問題の解決を通じ世界平和に貢献したいという意思表示と考えることができます。私たちチベット人と一緒になって、チベット問題の早期解決を目指すことで、この問題が解決した時には、共に世界平和に貢献できたことになるでしょう。是非ご検討頂ければありがたく思います。

私たちの事務所は、サポーターや会員からの寄付金によってある程度維持されています。チベットハウスの会員は、年会費5000円、入会費3000円です。チベット問題やチベットハウスのイベントに関する情報を提供します。また、一般寄付は、現金、郵便、銀行口座で受け付けています。明細は当事務所のホームページご覧ください。チベット・ハウスには熱心な寄付者がおり、その方々にここで心よりお礼を申し上げたいと思います。

チベットご支援について →
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトへ

8.  インタビューを終えて

以上が、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所ツェワン・ギャルポ・アリヤ駐日代表にお聞きした内容の全貌である。代表は日本語が流暢だが、今回は敢えてチベット語でインタビューさせて頂き、それを翻訳し記事にまとめた。彼らが大切にする母語チベット語で自由に語っていただく方が、その熱い想いがひとことひとことに込められているからである。この翻訳記事がチベットの人たちの不退転の決意とその思考の根底にある利他の菩薩道の論理が伝わればよいと思う。

チベットの人たちは基本的に非常に遠慮深く、具体的に日本人にこれをして欲しい、といったことを話されないことは少ない。筆者もこれまでダライ・ラマ法王や主席大臣の通訳をさせて頂く時にこのことは痛感したことであり、二つの文化の間で、もどかしく思うことも多くあった。しかし彼らの目指すところは極めて明確であり、論理的であり、非暴力を貫き通そうとする強靭な論理と倫理観は、やはりインドから伝わる本格的な仏教の正当な継承者であることに由来する。

チベットの人たちが望んでいる実質的な自治が実現し、再び自由と平和が復興するのは、一朝一夕にできることではない。しかし彼らがそれを目指して進んでいる限り、私たちダライ・ラマ法王の謦咳に触れた日本人は、これから何をすればいいのか、常に自問自答しながら、チベットの人たちが自分たちの自由意志で声をあげたように、私たちひとりひとりが私人として何らかの明確な意思表示をしていくことは、来るべき人類のため、仏法の未来のために極めて重要なことではないか、と思われる。

3.10・チベット民衆蜂起記念日に関する基礎資料

木村肥佐夫訳の『ダライ・ラマ自叙伝・チベットわが祖国』はダライ・ラマ法王ご自身が亡命されるまでのことを綴られたもの。山際素男訳の『ダライ・ラマ自伝・』は邦訳は似たタイトルですが、原著はFREEDOM IN EXILE(亡命世界での自由)が亡命後の取り組みなどが詳しく書かれています。また『声明』では3.10のダライ・ラマ法王の声明が収録されています。

世界平和のために、いまできること →
ゴペル・リンポチェより日本のみなさまへ

1 དེ་རིང་ཕྱི་ལོ་ ༡༩༦༠ ཟླ་ ༣ ཚེས་ ༡༠ འདི་ནི་རང་རེ་བོད་མི་མང་ནས་ལྟ་ལོག་ངན་གཡོའི་ལམ་དུ་ཞུགས་པའི་རྒྱ་དམར་གྱི་སྲིད་དབང་གདུག་རྩུབ་ཅན་ལ་ངོ་རྒོལ་དང༌། བོད་སྒེར་ལངས་རང་དབང་བསྐྱར་གསོའི་དོན་དུ་ལས་འགུལ་ཆེན་པོ་བྱས་ནས་ལོ་གཅིག་འཁོར་བའི་དུས་ཚེས་གཟི་བརྗིད་ཅན་རྗེས་དྲན་བྱེད་འོས་པ་ཞིག་ཡིན་པས་ཚང་མས་དྲན་གསོ་བྱེད་པ་དང་ཆབས་ཅིག་བསམ་དགོས་པ་ནི་: “ཕྱི་ལོ་ ༡༩༦༠ ལོའི་གསུམ་བཅུའི་དུས་དྲན་གྱི་གསུང་འཕྲིན།”
2 チベット民族平和蜂起63周年記念日における中央チベット政権内閣の声明
3 1961年より毎年発表されていたダライ・ラマ法王の声明は『ダライ・ラマ 声明 1961-2011』(小池美和訳、集広舎、2017年)として上梓されている。
4 H.R.4331 – Tibetan Policy and Support Act of 2019, https://www.congress.gov/bill/116th-congress/house-bill/4331
5 2022 TIBETAN NATIONAL UPRISING DAY PROCLAMATION: URL
6 たとえば弊会では2006年にダライ・ラマ法王が呼びかけられ広島に3人のノーベル平和賞受賞者をお迎えし平和サミットを組織し、会場として教育機関や公的機関に呼びかけたが、中国本土との関係や中国人留学生の受入などに忖度し、ダライ・ラマ法王だけ来ないで欲しい、学校などの会場とは無関係であるように見せて欲しい、という要望を伝えられたこともある。また民間企業の貸会場でも、日本国の法令遵守をしていても、ダライ・ラマ法王の行事には会場提供できない、と一方的に予約がキャンセルされるなどのことがこれまでも多発してきた。
7 中央人民政府と西藏地方政府のチベット平和解放に関する協議: ダライ・ラマ法王は、インドのネルー首相からも、「17ケ条協定」に基づいて平和的解決を探るよう仏跡巡礼の際に個人的にアドバイスをもらい、そのままインドに亡命することなく、チベットに戻っている。この時の経緯についてはダライ・ラマ法王の自伝『チベット・我が祖国』に詳しく記されている。
8 ダライ・ラマ法王は6歳の時に14世として化身認定され、1940年1月14日に正式に即位するが、それ以降も通常のゲルク派の僧侶として学ぶべき五大聖典をティジャン・リンポチェ、リン・リンポチェというお二人のヨンジン(個人教授)から学んでいる。ゲシェー・ラランパの学位はゲルク派の最高学位であり、その学位の取得の際には、ラサの中心であるラデン・トゥルナン寺(大昭寺・ジョカン)で行われる正月の神変祈願大祭(チョトゥル・モンラム・チェンモ)で教義問答を披露しなければならない。この問答の披露が終わったら正式に「ゲシェーラランパ」となる。この儀式はチベットの文化的な文脈では、ダライ・ラマの化身が名実共に政教一致の最高指導者となられたことを意味している。
9 1948年12月9日、国連第三回総会決議260A(III)にて全会一致で採択され、1951年1月12日に発効された「ジェノサイト条約」「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約 」Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocideでは、ジェノサイトの定義としては、(1)集団構成員を殺すこと、(2)集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること、(3)全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること、(4)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること、(5)集団の児童を他の集団に強制的に移すこと、と定められているが、(1)中国政府がチベット人を殺戮したこと、(2)中国政府がチベット人にダライ・ラマを分裂主義者であると批判するよう強制し、反抗した場合に拘束・拷問すること、(3)チベット人僧侶などに銃器を持たせてお互いに殺させたこと、(4)一人っ子政策のためにチベット人女性を強制連行し麻酔や消毒もしないまま避妊手術を行い死亡させたこと、(5)児童に毛沢東語録を携帯することを義務付け、反抗するものを愛国愛教教育と称して親元から話して再教育施設に軟禁することなど、ジェノサイトに該当する行為を行っている。この条約を批准したのは、中華民国(現在の台湾)であり、中華人民共和国として正式にこの条約を批准しているわけではない。Cf. The Genocide Convention: https://www.un.org/en/genocideprevention/genocide-convention.shtml
10 「全チベット民族が名実共に自治を享受するための草案〜ダライ・ラマ法王特使による中国統一戦線工作部提出資料」
11 たとえば中華人民共和国はジュネーブ協定を批准していないので、自国民を弾圧したり、有事の際に一般市民を殺しても国際法違反にはならないなどの問題点がある。
12 ムスーリは最初にダライ・ラマ法王が亡命後に居留された場所であり、ここでチベット亡命政権は樹立される。その後、ダライ・ラマ法王とチベット亡命政権は現在のヒマチャール・プラデーシュ州ダラムサラーへと移転される。
13 『チベット語と日本語・英会話の本』English-Japanese-Tibetan Conversation. New Delhi: Paljor Publications, 2002. ISBN 10: 8186230262 ISBN 13: 9788186230268
14 新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議案(第208回国会、決議第1号)
15 2020年中印国境紛争
16 「まるで文化大革命のような弾圧」: 中国当局、チベット東部ドラクゴで空高くそびえる仏像や45台の巨大マニ車を破壊
17 SEE Learning program. Emory University’s Center for Contemplative Science and Compassion-Based Ethics.
18 弊会創始者のケンスル・リンポチェ・テンパギ・ャルツェン師の故郷でラサ近郊のキナク村では古くから川魚を食べる習慣があったが、これは極めて稀であり、キナク村でも川岸の反対側では全く魚を食べなかったとのことである。チベットの文化には伝統的に「魚・豚肉・卵の三つ」(ニャパーゴスム)を食べると頭がおかしくなるという言い伝えがある。
19 仏教では、水の通り道である樹木などの根や茎には、龍(ナーガ)が生息し、草木を伐採することにより龍(ナーガ)が憤慨し、さまざまな厄災を起こすと言われている。龍の怒りを癒すために龍に捧げ物をして供養して運気を向上するための祈願法などが存在する。このような背景があるので、伝統的にチベットでは林業に従事する者は極めて稀である。

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