2021.10.08
གུང་ཐང་བསླབ་བྱ་ནོར་བུའི་གླིང་དུ་བགྲོད་པའི་ལམ་ཡིག་

如来の境地を目指して学ぶべき五大聖典

仏典の学習法『参学への道標』を読む・第25回
訳・文:野村正次郎

中観と論理とを統合した見解

阿毘達倶舎論と波羅蜜の修習

教説の所蔵している律の行法

この一部が欠けても三学は整わない

それ故 五大聖典を不足なく学びなさい いざ

25

ゲルク派の総本山ではダルマキールティの『量評釈』、チャンドラキールティの『入中論』、弥勒の『現観荘厳論』、ヴァスバンドゥの『阿毘達磨倶舎論』、グナプラバの『律経』の五大聖典を二十年以上もかけて学んでゆくが、それらをすべて学ぶことは、戒・定・慧の三学処をすべて不足なく学ぶためであり、どれか一部でも欠けてしまえば、それは釈尊が説かれた私たちが身につけるべきことをきちんと身につけることができない、ということを本偈では説いている。

これらのテキストはすべて、ナーランダー僧院の学匠が著した著作であり、中観学・論理学・阿毘達磨・般若学(波羅蜜学)・戒律学というこの五つの学問のすべてをバランスよく学ぶこの伝統は、インド仏教の学問僧院の伝統を継承したものであり、これはシャーンタラクシタがはじめてこのような伝統をサムイェー大僧院にてインドからチベットへともたらした僧院仏教の伝統である。そして今日までこの伝統が失われることなく継続しているのは、チベットの仏教の伝統のみである。

もちろんチベットの僧院仏教の黎明期にはダルマキールティの著作としては『正理滴』が現在の『量評釈』の代わりに中心的に学ばれ、『入中論』ではなく、ナーガールジュナの『根本中論』や、シャーンタラクシタの『中観荘厳論』やその高弟のカマラシーラの『中観光明論』などが、学ばれていたが、後伝期に活躍したインドの学者やチベットの翻訳官たちがさらに補強し、十三世紀頃までには当時インドにあった関連文書のすべてを国家事業としてチベット語に翻訳し確定し、その後十五世紀初頭に開創された、セラ、デプン、ガンデンといったゲルク派の総本山で講伝が開始され、その学習法もその頃には確立し、今日にいたるまで六百年以上も継続し、現在インドに復興されているチベット難民キャンプでは少なくとも一万人以上もの僧侶がこの五大聖典の暗誦と講読の授業を受けながら、毎日数時間以上内容について問答を行いながら、学問研鑽に励んでいる。

戒・定・慧の三学処は、仏教に基づいて解脱と一切智を得るためであり、そのためには慧学処を形成していくためには、中観学として学ぶべき龍樹の『根本中論』をはじめとする六部の論書、その註釈であるチャンドラキールティの『入中論』『明句論』、ディグナーガ、ダルマキールティの『集量論』とダルマキールティの『量評釈』『量決択』『正理滴』を学ばなくてはならない。定学処を形成していくためには、般若経の註釈である『現観荘厳論』や弥勒の五部法と無着・世親兄弟による『瑜伽師事論』をはじめとする弥勒関係の二十の著作群と世親の『阿毘達磨倶舎論』とその註釈群を通じて、声聞・独覚・菩薩の三乗の修習法に精通していなければならないのであり、学ばなくてはならない。戒学処を形成していくためには、グナプラバやシャーキャプラバの説一切有部の律に関する註釈を律そのものと対照させながら学んでいかなければならず、これらの五大聖典の学習、すなわち顕教の戒・定・慧の三学処をすべて不足なく学んでいなければ、大乗の一部である秘密真言乗を実践するための器の条件すら満たすことができないのである。

『阿毘達磨倶舎論』には仏教の伝統の継承とは、ただ仏典の講釈と実践以外には何もない、僧院に入門して袈裟を纏っただけでは不可能である、ということを述べている。いまから15年も前になるがダライ・ラマ法王を広島に招聘したときにも、法王から最後にいただいたお言葉は、私たち仏教に関わるすべての人が仏教をもっときちんと学ぶべきだ、ということにほかならない。龍樹などの傑僧を輩出したナーランダー僧院に伝統を最初に継承したのは、チベット仏教よりも漢字文化圏の国の方が先であり、チベットやモンゴルの仏教徒から見れば、中国や韓国や日本の仏教徒は自分たちよりも先輩にあたる。特にチベットでは現在も政治的な状況から、宗教弾圧が中国共産党政府によって行われており、十分な学習環境の基盤が整っていない。チベット仏教の法王は、私たち日本人に諸先輩方はどうぞ仏法の護持発展のために、仏法をちゃんと学んでおいてください、どうぞよろしくお願いします、と常に私たち日本人に呼びかけてこられた。

私たち日本人はそんなダライ・ラマ法王のお言葉にどれだけ応えられてきただろうか、そしてこれから私たちは未来に向けて、仏法の護持発展のために、どれだけのことができるだろうか。河口慧海、多田等観、青木文教、寺本婉雅たちは二十世紀の幕開けの頃、チベットへ入り、日本にチベットの仏典と文明を招来し、ダライ・ラマ十三世と親交を結び、徐々に日本とチベットとの交流関係ははじまった。その後第二次大戦を経て、チベットは国を失い、ダライ・ラマ法王は祖国からインドに難民となり、チベットの仏教はいまも「国を失っている難民の仏教」にほかならない。

チベットの難民たちは、インド政府の庇護のもと、僧院を復興し、現在も五大聖典の学習に1万人以上の学僧たちが精進している。モンゴルやロシアでも90年代の自由化以降は仏教復興のために、戒律を復興し、チベット難民と同じように僧院の伝統教育を受けながら、チベット語をマスターして、五大聖典の学習に精進している。ゴマン学堂ではそのようなモンゴル人の留学僧は、2000年以前には50人以下であったが、現在は300人以上もの在籍している。日本という国家は敗戦により占領下の時代も一時的にあったが、いまは何不自由なく暮らせている。

この数十年間の間、ダライ・ラマ法王は何度も来日され、既に何度も顕密の素晴らしい教えを授けてくださってきた。私たち日本人は、釈尊やナーガールジュナの先輩の弟子として、この二十一世紀の仏教徒として、何を学んで、どうあるべきかが問われてきた。そろそろ私たち日本人も意を決し、本格的に五大聖典を学んで、自分のための墓石ではなく、粗末なものでもいいがこの日本の次世代のために、仏典の講釈と実践とが両立するナーランダー僧院の伝統の礎を築いておいたよいと思われる。

五大聖典を20年以上かけて暗記と問答で学んでも、仏になるには三阿僧祇劫必要なので一瞬である


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