2021.05.25
སྟོན་པའི་མཛད་རྣམ་སྙིང་བསྡུས།

転法輪

釈尊の行状(14): 八万四千の法蘊と三万三千の怛特羅の転法輪
文:野村正次郎

釈尊は、36歳の4月15日に成道の相を示され、最初の週は菩提樹の下にそのまま留まられていた。そして第二週には三千大世界の端まで歩いて行かれたが、第三週には再び戻られて菩提樹を瞬きせずに凝視されていらっしゃった。

第四週目には東の海と西の海の端から端まで歩いて行かれた。菩提樹の下で釈尊の成道を邪魔しようとたが敗北した退散した魔物がまたやってきて、釈尊にそのまま涅槃に入ってもらえもないものか、と申し出てきた。しかし釈尊は「私はこの世界に仏法僧の三宝の声を響かせ、無量の菩薩たちに授記するまでの間は、私は決して涅槃には入らない」とお答えになられたので、魔物は最早このお方を邪魔しようとしても決してできない、ということを再認識しがっかりして落胆して悲歎にくれて地面にうなだれた。

第五週目には強風と豪雨が起こったので、釈尊は竜王の家へと赴かれてそこで過ごされた。竜王たちは毎日7重に蜷局を巻いて釈尊が雨風で襲われないいように守った。彼らが釈尊の身体に触れるとその瞬間に無量の快楽を経験できたので合掌し右繞し釈尊を礼拝した。

第六週目にはニヤグローダの樹が生えている場所と赴かれた。外道の修行者たちが釈尊の様子を伺うために訪ねてきて「先週の暴風雨の間安楽にお過ごしでしたでしょうか」と挨拶してきたので、釈尊は「法を聞くこと見ることを悦びとする者にとって、寂静こそが安楽である」とおっしゃった。

第七週目にトラプシャとバッリカという賢い商人の兄弟が通りがかり、蜜と砂糖黍を供養しようとした。すると四方から四天王がやってきて四つの黄金の鉢を釈尊に献上しようとした。釈尊は沙門の用いる品としては不適切であるとして受け取られなかった。そこで毘沙門天は釈尊が石でできた鉢ならば受け取られるだろうと察したので、四天王たちはそれぞれ石でできた鉢を四つ献上しようとしたので、誰かひとりから受領すると他のものが悲しむので、釈尊は四天王のそれぞれから四つの鉢を受け取ったがひとつの鉢へと変化させて四天王を喜ばせ、商人の兄弟からも供養を受け、この商人も釈尊に帰依することとなった。

それから、釈尊はターラーヤナという樹の下に座して、法輪を転じることに弱気になられた。自分が説こうとしている法はあまりにも深淵で、難解であり、非常に微細な議論であり、どんな者に説いてもきっと理解できないようなものではない。むしろ自分はこのまま法輪を転じることなく、沈黙したまま森のなかでひっそりと暮らした方がよいかもしれない。このような心境を語られた。

すると梵天はこの釈尊の心境を聞きつけて、このまま釈尊が法輪を転じられないならば、衆生は堕落しきってこのまま世界は滅亡してしまうので、釈尊には何とか法輪を転じてもらわなければならない、と思い、梵天の家来たちとともに釈尊にどうか法輪を転じてください、としきりにお願いをしてきた。釈尊は沈黙を保ったまま梵天の望みを了解した旨を表情で表したが、梵天は釈尊がすぐに法輪を転じられようとされないので、再度お願いし、世界の神々の支配者である帝釈天にも釈尊に転法輪のお願いをするように促した。帝釈天はそれに応じて釈尊に、この暗黒の世界に智慧の光明をどうか灯してください、とお願いした。しかしながらそれでも沈黙を保たれたままであった。

そこで梵天は、帝釈天に如来にお願いするのに作法がなっていないことを注意して、自ら右肩の衣を脱いで、右の膝を地面につけて、釈尊の正面から、合掌して「どうか釈尊よ、説法をしてください。この暗黒なる世界に智慧の灯明をどうか灯してください」と三度お願いした。

三度目に梵天は「このマガダ国はこれまで不浄な法が横行しています。間違った考えで間違った学説が流布されているのです。釈尊よ、どうか不死の門を開いてください。無垢なる如来の法を人々はきっと聴聞するでしょう」とお願いした。

すると釈尊はすべての衆生の方を見つめて、衆生のなかには真実を必ず知り得る者たち、必ず知り得るかどうか不明な者たち、誤った思想をもち知り得ない者たちという三種類の者がいるが、これまでも見捨てられてきた誤った考えをもった者たちのことが大変不憫に思われて、「確かにマガダ国の人たちは聞く耳ももっているし、信仰心も篤い。暴力を好まず、宗教に熱心である。彼らのためにこの不死の甘露の法門を開きましょう」と遂に法輪を転じられることを承諾されたのである。

釈尊は最初の説法の対象として誰がよいのかを思案された。まずは出家したかつて弟子入りした非想非非想処の実現方法を教えていたラーマの子ウドゥラカがよいのではと考えられた。しかしながら、ウドゥラカは既に七日前に亡くなっていた。そこで、無所有処を得ていたアーラーダ・カーラーマはどうかと考えられたが、アーラーダ・カーラーマも已に三日前に亡くなっていた。そこで釈迦族からやってきた五人の従者が苦行を終えた時に、自分に失望して去っていったが、彼らに説くのがよいと考えられ「私はヴァーラーナシーへ行こう。カーシ国へと行って、眼が見えなくなってしまった世間の人々に無比なる光明をもたらそう。」とおっしゃって、菩提の場を去り、ヴァーラーナシーへと向かい、ガンジス河の岸辺まで辿りつかれた。ガンジス河の渡し船で先導が船代を寄こせと言ってきたが、釈尊は私には船代などもない、とおっしゃってガンジス河を飛び越えて渡られて、ヴァーラーナシーへ托鉢をされながら入っていかれた。

釈尊は托鉢を終えると仙人の落ちた場所、鹿野苑にいた五人の従者たちを訪ねていった。五人の従者たちは釈尊が近づいてくるのを知り、「彼は堕落した。断食をやめてたくさんの食事を食べている。彼に話しかけてもいけないし、彼を立ち上がって迎えてもならないし、歓迎すべきではない。ただここに居たければいるがよいとしよう」と言い出したが、釈尊が近づくにつれて彼らは如来の威光に耐えかねて立ち上がり、意に反してはいるものも合掌して歓迎し、旅路の御足を洗い清めて、座を敷いてしまい、「長老ガウタマよ、よくいらっしゃいました。歓迎申し上げます」と思わず言葉がもれたが、釈尊はそのまま座につかれた。

五人の従者たちは釈尊が以前よりもはるかに美しい姿をしていたので「長老ガウタマ。あなたのお姿は輝いています。肌も大変美しくきっと殊勝なる智見を現証されたのでしょう」と申し上げた。釈尊は彼らに語られた。

「君たちは如来を長老と呼ぶべきではない。あなた方は長く苦しんでおられる。私は如来であり、現等覚した仏である。自然生の智慧を証解して、私は一切を知るものとなっている。これは誰かの他の師についたわけではない。」

釈尊がこう説かれた瞬間に、五人の従者たちの頭髪は剃髪され、三衣一鉢の具足戒を受戒して百年経過した老年の比丘と同じく、威厳正しい者へと変化した。カウンディニヤをはじめとする五人の従者たちは過去の誤解を懺悔して、最初の仏弟子となり、如来を自分たちの教師であると仰ぐ気持ちと崇敬の念が起こった。

梵天はこの様子を見て、最初の僧伽ができたことを大変喜んで、過去にこの世に出現した三人の如来たちに献上した、太陽よりも明るい黄金の輪宝を献上し、釈尊に説法を勧請しようとすると黄金色の皮膚をした番いの鹿が二頭やってきて輪宝をじっと眺めてそこに静かに座った。すると宝石でできた法座が千席突如として現れて、釈尊は最初の三つを右繞されて四番目の席へと着座される、6月4日の吉日に初転法輪である四諦法輪が転じられ、五人の従者たちは阿羅漢果を得て、八万の神々たちは真実を直観し、この地は六種類に揺れ動き、18の吉祥なる兆しが現れて、それに呼応して、百千万の仏国土で同時に様々な場所で法輪が転じられ、多くの衆生たちが阿羅漢果を一度に得ていった。シャーリプトラやマウドガリヤーナなども後にこの法座へと加わっていき阿羅漢果を得ていった。

釈尊は成道された後、十二ヶ月後には、シュリー・ダーニヤカタカ(チベト語では「パルデン・デプン」という)においてチャンドラバドラ王をはじめとする9万6千人の弟子たちに時輪根本タントラを説かれ、それと同時に王舎城の霊鷲山の上で、菩薩たちを中心として、第二の転法輪、無相法輪たる仏母般若波羅蜜を説かれた。

釈尊はその後申年の御歳39歳の時、母君摩耶夫人のために三十三天へと昇られて帝釈天や梵天たちの欲界の神々や、色界の神々の意向を叶えるために三ヶ月間、神々、龍たち、夜叉たち、ガンダルヴァなどの様々な衆生のために説法されるために三十三天にて夏安居を過ごされたが、その年の9月22日には再びこの人間界へとお戻りになり、サンカーシャーの地へ宝石でできた階段で降下された。

こうして釈尊は成道後、45年間にわたり、八万四千の法蘊と三万三千の怛特羅を説かれて、無数無辺の衆生たちを教化なさり、彼らを輪廻からの解脱へと導いていかれたのである。

以上がサカダワの15日の早朝釈尊が現等覚された後、すべての衆生たちの煩悩を打ち砕き、生まれること、老いること、病いに斃れること、死んでゆくことということを超越し、涅槃寂静である解脱の境地へと至る救済そのものである法という宝を説かれた行状である。釈尊の行状のなかでも最も大切なものが、仏法を説かれたということである。

釈尊の十二行相のタンカ(転法輪は左の上方)

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