作成日: 2009-08-27 最終更新日: 2009-08-27 作成:事務局

【修道論研究会報告】

8月27日、集中講座の第1回です。238ページから247ページ

第二静慮以上の者に、分別と観察はないことになる。なぜならば、分別と観察を離れた禅定を心相続に持つ者であるからである。

という他説に対し、
1)地に含まれるという方法ではないが、全体的にみるならば、ある。
2)仏についてはある。なぜならば、全部の静慮をもっているから。
3)聖者についてはある。なぜならば、分別と観察が障にならないから。なぜならば、高い地に属しているから。
4)凡夫についてはある。なぜならば、分別と観察が障にならないから。なぜならば、第四静慮者に凡夫がいるから。

第四静慮者に凡夫がいる?初静慮者以上は、聖者ではないのか?と質問しました。

先生は、「第四静慮者にも凡夫がいる。外道のものであるからである。外道のものは、第四静慮を獲得しても、煩悩を断じていないから、聖者ではないからである。聖者であるためには、三乗の道に含まれていないといけないからである。」
先生曰く「あるということと、遍充とを混乱させてはいけません。」

わたしは、タクセルを聞けるけど、タクセルができません。やっぱり、弱いなあ。

つづいて他説が「菩薩聖者が、欲界に生まれてくるのだから、欲愛を持っている。」に対して、欲愛によって、欲界に生まれるのでなく、慈悲や願によって、生まれてくるのである。

うーん。すばらしい!議論に慈悲や願が出てくる。うれしい。うれしい。幸せ。幸せ。
今日もとっても幸せで帰ることができました。