作成日: 2009-08-27 最終更新日: 2009-08-27 作成:事務局

【修道論研究会報告】

昨日『サムスクチェンモ』p.228-238の講読をゲシェー・チャンパ先生からいただきました。獲得対象としての四静慮四無色定の入定の規定より本質から、他者の学説を否定する部分にあたります。
まだ、自説をならっていないので、不安なのですが、いちおう報告をアップします。

禅定が心所であるという自説を否定して、心心所の両方に可能性を主張する他説にたいして、心所であることを主張します。

「上界に生まれることを引き寄せる静慮というのが、因の静慮である」とする他説にたいして、“上界に生まれるということが果の静慮である”ことをふまえて、上界に生まれるための因としての禅定であると主張します。

“聖者の心相続に粗の相の静慮や見がある”という他説にたいして、出離があるゆえに、ないことを主張します。ここは、法話みたいで、とっても楽しかったです。他者のために、聖者は、粗の対象を見たとしても、粗の相を自分のなかに持たない。とってもいい話でした。

次回は、未至定の階梯のなかで、観察と分別を捨ててから、次の段階へ入るわけですが、だからといって、聖者に観察と分別がないというわけではないという議論です。原則と例外が巧みに語られる、思い込みを妨げる議論で、楽しみです。では、原則と例外をどう分けるのか、そこが一番問題になってきます。楽しみ楽しみ。

次回から、9月一杯『サムスクチェンモ』は、集中講義にはいり、原則週3回のペースとなります。
読了に向かってがんばります。

諸先生方、間違っていましたら、どうか訂正をお願いします。