2025.08.15

世世代代の師弟関係を考える

日本のお盆の期間に示寂された師の恩を追念する
野村正次郎(弊会代表理事)
2006年にダライ・ラマ法王猊下を広島にお招きし開眼法要を終えられご説法を聴聞されるケンスル・リンポチェ(前列右)と一番弟子であったゲン・ロサン師(前列左)、ケンスル・リンポチェの侍従であったゲシェー・ペマ・ワンゲル師(後列左)、ゴマン学堂の前経頭ゲシェー・ゲレク・ギャツォ師(後列右)。

2025年8月13日は弊会の創始者であるデプン・ゴマン学堂七十五世管長ケンスル・リンポチェ・テンパ・ゲルツェン師のご命日にあたる日でした。先生が2012年に静かに息を引き取られたのが日本のお盆であったことにはまず特別な意味があるのではないかと当時も思ったし、先生がいまの日本でのデプン・ゴマン学堂の活動の本拠地となった世界最初の被爆地である広島に滞在してくださったことにも特別な意味があるのだと思う。先生が始められた日本での拠点では、ゴペル・リンポチェと月一回の諸天を燻浄して、十方の如来・菩薩・本尊・護法尊・諸天たちを供養する法要があり、先生の法恩を追念して、ジェ・ツォンカパ大師の『縁起讃』などを諷誦した。お盆でもあったので、施主の方々の願意も先祖供養のものが多かった。

私は先生と、東洋文庫にお勤めされていた時に出会わせて頂いたが、東洋文庫からお帰りになられる時も「私が日本を離れてもみなさんが仏教を学ぼうとすることを続けていけば大丈夫ですよ」と励ましていただいた。その時にケードゥプエジェが師ジェ・ツォンカパ大師の涅槃後にでも何度も師のことを思い出して、ジェ・ツォンカパ大師から教えを授けてくれた、というエピソードを教えてくださった。その時には、一体それがどのような現象なのか、はっきりとは分からなかったが、いまは少しだけその意味が分かるようになった気がする。

2012年に先生が息を引き取られた時、翌日インドのゴマン学堂のご自坊へとかけつけることとなった。広島ではゲンギャウ師たちにお勤めを頼み、バンガロールの空港からそのままタクシーでゴマン学堂まで駆けつけたら、さきほどちょうど先生がトゥクダムから出られました、とゲシェー・ペマ・ワンゲル師が教えてくださった。先生が使われていた仏間では、ケンスル・リンポチェ・ロサン・テンパ師や日本にも来てくださっていたゲン・ロサン師たちが金剛薩埵を本尊とした高僧のための特別な儀式を行なってくださっており、ご自坊の隣の旧ゴマン学堂の本堂では、毎晩ジェ・ツォンカパの『了義未了義・善説心髄』が唱えられた。このテキストは先生がインドにお戻りになられた時に訪ねていった時に教えていいただいた聖典であったので大変感慨深いものがあったち、先生の枕元には、ジェ・ツォンカパの『菩提道次第広論』がおかれていた。

先生の葬儀のやり方についてはお弟子さんのおひとりのラプテン・リンポチェが詳細に研究しながら金剛阿闍梨となられたケンスル・リンポチェ・ロサン・テンパ師と打ち合わせしながら執り行われていった。火葬のための特別な護摩壇がご自坊の前には新しく作られていき、毎晩ゴマン学堂の僧侶のほぼ全員が『善説心髄』唱えて下さっており、実に壮大で荘厳な葬送の儀式でもあったため、チベットの高僧というのは、自らの死をもってしてでも弟子たちに必要なことを学ばせる素晴らしい教育者であると改めて思ったものである。

先生の出棺までは毎晩『了義未了義・善説心髄』が読誦された
先生の火葬護摩の日にはゴマン学堂の僧侶全員が旧本堂に入りきらないお見送りすることとなった

先生が亡くなられた後、ダライ・ラマ法王猊下に、謁見させて頂く機会があり、今後のことなどを相談させていただいた。先生は生前、自分の化身を探すかどうかは法王に委ねたいという仰っていたのを伺うと、「それは必ず何処かにいらっしゃいますが、探すのはもう少し後でいいですね」ととお答えになり、「それよりも先生が作られた会は、しっかりと本山と日本の伝統仏教と連携しながら、両方の伝統を守りながらしっかり仏教の教理を学び、実践していくことが大切さです」と改めて強調された。特別にメッセージをくださった。

先生がご不在となったご自坊では、侍従であったゲシェー・ペマ・ワンゲル師がそのままご自坊をお守りしながら、故郷ザンスカールのカルシャ僧院の僧院長に就任され、先日ダライ・ラマ法王猊下がご滞在された夏のザンスカールの御座処を建立する事業を開始されることとなったが、その落慶のために法王猊下をお迎えするために数度謁見していくうちに、先代の先生の再臨者をこういう風に探したらよいというお話があり、秘密裏に捜索が開始され、最終的には213人の候補者のなかから、最終的にバイラクッペの出身の当時小学3年生であったテンジン・ワンチェンという名前の者を「再臨師」(ヤンシー・リンポチェ)として化身認定しなさいと法王猊下から認定していただき、法王猊下からはご両親は学校の先生なので、しばらくは学校にそのまま通い、すぐに出家しなくてよいだろう、とのことであったが、ご本人は、すぐに出家してゴマン学堂で化身ラマとして修行したいということで、2022年10月にはすぐに出家され、翌年の3月には、ダライ・ラマ法王猊下から沙弥戒を授かることとなられた。2023年のサカダワ大祭からはデプン・ゴマン学堂に入門し、先生のご自坊(ラブラン)へと再び迎えられることとなった。ヤンシー・リンポチェは入門してすぐに『現観荘厳論』『入中論』『阿毘達磨倶舎論本頌』の暗記を開始されることとなった。

学年末試験を受けられるヤンシー・リンポチェ

2024年末には、カルシャ僧院の僧院長の大役の残務であるザンスカールの法王の御座処を無事に完成された後、先生の侍従であったゲシェー・ペマ・ワンゲル師はご自坊に帰られたが、残念ながら体調を壊して、本年チベット暦正月十五日には、デプン大僧院で神変祈願大祭が行われているなか、師匠であるゲンギャウ師らに見守られるなか息を引き取ることとなった。ゲシェー・ペマ・ワンゲル師は先生が日本に来られている時にはずっとご自坊をお世話してきて、先生からはよく怒られたが、先生とその後継者である当代の再臨師を捜索し、ダライ・ラマ法王猊下に化身認定していただき、故郷のザンスカールには、ダライ・ラマ法王猊下がいつでもご滞在できるように大変立派な宮殿を建立され、為すべきことの殆どを完遂して亡くなられることとなった。

ゲシェー・ペマ・ワンゲル師が送ってくれたダライ・ラマ法王猊下の夏の宮殿。「ここに日本にあるような綺麗なお庭を作りたいので、日本の造園業者でザンスカールに来てお庭を作ってくれて奉納してくれる業者を探してくれませんか」と頼まれたが、残念ながら実現できなかった

今年のサカダワ大祭には、ヤンシー・リンポチェを正式にデプン大僧院、ゴマン学堂、ハルドン学寮などにお披露目するための「向法流式」(チューシュク)を近しい弟子たちやご家族が準備して行うこととなり、先日その儀式のすべてが無事に完了することとなった。日本ではゴペル・リンポチェがいまご滞在されており、参加することができなかったが、ザンスカールからゲンギャウ師が駆けつけて、それらの儀式も無事に執り行われ、先日7月には、ゲシェー・ペマ・ワンゲル師たちが完成させたダライ・ラマ法王猊下のための夏のザンスカールの宮殿に法王猊下もいらっしゃり無事に落慶式も終わり、ヤンシー・リンポチェもご自坊の僧侶たちと一緒に参加されることとなった。

無事に向法式を行なったため、ヤンシー・リンポチェも今後は僧院の給食当番などの一切は免除され、学問に専念されることができるようになられたし、先代の先生と同じく控えめなご性格ではあるが問答も着実にしっかりできるようになり、着実に伝統の継承者として同級生のオンギャルセ―リンポチェや少し先輩のタクツェル・リンポチェやご自坊の仲間たちと共に立派なラマへと育っていかれている。

「向法流式」を終えられたヤンシー・リンポチェとご自坊の僧侶たち

それと同時進行で日本でも先代の先生が「いつかアボの弟のラマが立派なゲシェーになった日本で教えるようになったらいいね」とおしゃっていた通り、現在ゴペル・リンポチェは広島に滞在され、今年のサカダワ大祭には、受戒会を行なってくださり、先生が日本別院としてはじめられた法話会や各種法要もしっかりと継承して下さっている。

日本ではお盆を迎え、先祖代々に報恩の供養を行う時期であるが、このお盆の日を選んで示寂の相を示して下さった先代の先生は、再びダライ・ラマ法王猊下に選んでいただき当代の先生となり、私たち残された弟子たちも明日をも知らぬ生命を維持しながら「次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩」を頂いて「弟子向、尽未来際」三宝に出会い、十善を実践し福徳の資糧を積集しながら、ナーランダー僧院の伝統を教えていただきながら智慧の資糧を積ませて頂けている。

チベットでは高僧は火葬もしくはそのまま保存して供養塔とするが、一般的には鳥葬であり、墓地というものは直接ないが、今日の日本では先祖や故人は供養塔に納骨する。日本の墓標の多くは如来の法身を永遠に記憶するために作られた供養塔であり、そこにお招きした如来たちの智薩埵の眷属として、家族で亡くなった先祖代々の者の肉体の一部を奉納しているのである。如来たちは三世十方に現実に存在しており、如来たちやその眷属の一人となった私たちの先祖や親族の方々も、私たちが彼らを思い出し、念じるだけで、忽然と衆生を救済するために、この地上のぁらゆる場所にあらゆる姿となって化現することができる。この現象を「ご先祖さまが還って来られる」と表現をしたものが、いまの日本のお盆の信仰のかたちなのであろう。

お墓参りに行き、お墓を掃除し、手を合わせて拝んでいる対象は三世十方の如来であり、自分たちがいま持っているこの肉体の出自である家族の墓所に如来や菩薩たちの不可思議なる力で助けられて、私たちがいまここにいることを再認識することが盆参りであり、それは如来の法身を拝んでいるのである。しかるに多くの家族や近隣の家族やご縁のあった家族たちが葬られている墓地というものは、決して不吉な場所ではなく、如来たちやその眷属となって先達となってくれた先祖たちが仏法へと導いてくれる吉祥な場所にほかならない。日本に来て下さる先生方はこのようなことを教えて下さっており、同時にたとえ煩悩に満ちた凶悪な心で拝んだとしても、如来の身口意の所依は、そのモデルとなっているものの力によって、無限の善業を積むことができる、とダライ・ラマ法王猊下も日本でも大変有名な『法華経』を引用されて、かつて教えてくださっている。

チベットの先生たちが、教えて下さっていることは、「チベット仏教」や「チベット密教」や「チベット仏教哲学」なのではなく、私たち日本人が世世代代と大切にしてきた価値観であり、当たり前のように普段からやってきた古典的な仏教的風習に込められている思いにほかならない。先代のケンスル・リンポチェがお盆にお亡くなりになり、当代の再臨者として再び仏道修行に励んでいるその姿が、私たちが特に失いそうになってしまいそうな大切なことを教えてくださっている。諸天を燻浄する毎月の法要で唱えている廻向文にはこのようなものがある。私たち日本人はこのお盆休みという心に少しだけ余裕のある期間に、世世代代の師弟関係というものと考えつつ、このような祈りをすこしだけ共有できるといいと思う。そしてこのような活動を長年支えて下さっているすべてのご縁のある方々に改めて深く御礼申し上げたい。

父母である一切衆生が安楽であれるように

すべての悪趣の者たちが居なくなるように

たとえどんな場所に菩薩たちが居られるとも

そのすべての祈りが実現していきますように


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