2021.05.22
སྟོན་པའི་མཛད་རྣམ་སྙིང་བསྡུས།

入菩提道場

釈尊の行状(11):三千大千世界の中心にある如来となる場へ
訳・文:野村正次郎

4月14日の午前にナイランジャラー河の畔の村でスジャータによる乳粥の接待を受け、そのまま釈尊はこれから魔を退けて現等覚しようと決意されて「菩提の場」(ボーディマンダ)へと進まれた。その一歩一歩の歩みは、最高に優美であり、無垢であり、大地を響かせ、山をも振動させ、これまでにこの世界に降臨した三人の如来と同じ歩き方であり、すべての魔軍を無力化し、すべての衆生を安心させ、涅槃の都城へと進んでゆく歩みであった。

釈尊が菩提の場へと進んでいかれるその道を、風雲の神々たちが掃き清め、雨雲の神々が薫り高き香水で聖言して濯ぎ、美しい華を散らした。三千大千世界の全ての樹木は菩提場の方へと頭を垂れて、須弥山をはじめとする全ての山が菩提場の方角へ敬礼した。ナイランジャラー河から菩提場へと至る道には七種類の宝石でできた欄干ができ、黄金の砂が敷かれ、五千人の天女たちが美しい音楽を奏でていて、その中心を釈尊が歩くとさまざまなところで大地が揺れうごき、釈尊から放たれるその光線は世界を満たしていった。神々たちは、釈尊がこれから全ての衆生を法の恵みで満たすため、菩提の場へと向かわれていると言うことを声高々と歌いあげ、三千大千世界の梵天が、この世界を掌のように滑らかで平坦な大地へと瞬間的に変化させた。三千大千世界のすべての海は一切の波も立たなくなり静謐な水となり、この地上は完全に仏国土となり、世界中の山も見えなくなった。十六名の天子たちは菩薩が如来となる場を守護し、菩提の場の周囲は七重の宝石の欄干に囲まれ、七重の樹木の並木ができ、天界や人間界の様々な樹木の全てがそこに出現し、十方のさまざまな世界から福徳と智慧の二資糧を積集している菩薩たちが、この菩提の場へと出現し、この無量なる功徳で荘厳された場を見たら龍や夜叉やガンダルヴァや阿修羅たちはこれに比べると自分たちの宮殿が墓地のように見窄らしい場所であることに気づいて、驚嘆した。この美しい覚りの場は、それを見る者が決して厭きることもない無限の功徳で荘厳されていて、釈尊がそこに座し無上正等覚を現証しようとされているその場所は、三千大千世界のすべてのダイヤモンドの中心であり、決して破壊することのできない堅固な金剛を本質とするものとなった。

釈尊が菩提の場へと歩まれるとき発せられた光明は、すべての悪趣の苦しみを枯渇させ、恐怖しているものたちは安心し、病に悩んでいる者たちの病は寛解し、財もなく貧しさで苦しんでいる者には財がもたらされ、この釈尊が菩提の場へと歩かれているそのときに死んだり、悪趣へ転生したり、輪廻へと再生してくる者の全てが全くいない状態になった。このときに全ての衆生はお互いに思いやりに道、全ての衆生がお互いに親兄弟のような気持ちになって、この世界は愛と思いやりに満ち溢れた。

これまでこの世界に降臨された三名の如来が無上正等覚を証得された時と同じように、釈尊もまた草で作った座布に座られようと思われて、道の右側でスヴァスティカという名の男が卐状に草を刈っていたのに声をかけられ、「その草を頂けないだろうか。その草は今日大いなる目的を実現することになります。これから悪魔の軍勢をすべて滅ぼして、この上のない安寧なる菩提を得ようとしているところです。あなたが私にその草をくだされば、あなたのこれまで積んできた福徳も無量となり、あなたも将来ブッダとなるでしょう」と座布を敷くための草を得た。

釈尊が菩提の場の中心へと近づくにつれ、八万本の菩提樹がそこに出現し、その菩提樹のいくつかは天界に至るまでの高さを持っており、八万本の菩提樹の下にはそれぞれ蓮華の座が設けられ、その下には香の座が、またさまざまな宝石でできた座が設けられたものもあった。

釈尊はそのすべての獅子が支える座に坐して、遊戯三昧と呼ばれる三昧へと入定されたらすぐに八万本の全ての菩提樹の下の座には、三十二相八十種好を具足し荘厳されている八万人の釈尊が出現し、八万の獅子座を設けたそれぞれの菩薩に、それぞれ自分が準備した獅子座に坐し給われたという思いが生じて、すべての地獄、すべての餓鬼、すべての動物たち、すべての神々、すべての人間たち、生きとし生けるもののその全てのものたちが、菩提樹の下で金剛宝座へと坐られた釈尊の姿をはっきりと目撃することとなった。

以上が、現等覚しようと決意された釈尊が「菩提の場」へと進まれて、八万本の菩提樹の下の八万の金剛宝座の上に、八万の菩薩を化現されて坐につかれた行状である。

しかしこのような現象を目撃するのには心が狭隘で汚れて疑念を持つ衆生たちの心を満足させるために、釈尊は草を手にして菩提樹へ近づき、菩提樹を七回右繞して、草の先を内側に根本を外側にして自ら草の座布を敷かれてその上に東向きに結跏趺坐し「この座の上で私の体が朽ちてなくなり、骨も皮もなくなっても、今まで多くの転生を繰り返し多くの劫の間、得ることが極めて困難であった、菩提を得るまではこの座から決して身動きするまい」とおっしゃった、ということのみがすべての者たちに目撃情報として記憶されるようになさったのである。

釈尊が座された菩提樹の下の金剛宝座は、クルックチャンダ(拘那提仏)、コーナーガマナ(拘那含牟尼仏)、カーシャパ(迦葉仏)というこれまで閻浮提で最勝化身を示現し、人間として現等覚された三代の如来が成道された宝座であり、釈尊はこの宝座で現等覚した第四番目の如来であり、次にこの金剛宝座で成道するのは弥勒仏であるが、この金剛宝座は、未来永劫に渡って決して壊れることのない者であり、平時は我々には見ることができない、三千大千世界の中心で世界で最も固い場所である。法座の上に卐状に華が散らされ敷かれるのは、私たちもダライ・ラマ法王を広島にお迎えし両部曼荼羅の伝法灌頂を開壇したとき、デプン・ゴマン学堂の職衆たちがダライ・ラマ法王の玉座の上に華を誂えてお迎えしていたように、今もこの法座の上に高僧が座につかれる前の正式な準備としてしなくてはならない習慣となっており、怖畏金剛尊の息災護摩を手法する際にも阿闍梨の法座の座布の上には同様に卐状に常に散華した上で、金剛阿闍梨が座につかれることとなっている。

金剛宝座がこの閻浮提で現等覚して転法輪をする者だけのために誂えられるように、ダライ・ラマ法王の玉座もまた、歴代のダライ・ラマ法王のためだけに誂えられたものであり、決してダライ・ラマ法王以外の誰もそこに座ることができないが、その玉座は次にダライ・ラマ法王が来られるその日まで、そこに永遠に置かれるべきものであり、現在も私たちがお迎えした宮島大聖院にはダライ・ラマ法王だけが座ることのできる玉座が置かれており、私たちのこの会でも普段は置き場所がないので片付けているがダライ・ラマ法王が大悲胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を成就された時にご使用になって少し小さめの玉座が今も宝物として保管されている。偶然にもその少し小さめの玉座は、大工さんが安定が悪いと言うので二つ同じものを作ってくださったので、二つも玉座があることとなった。デプン・ゴマン学堂の僧侶の方々の話では、その玉座に座ることができるのは、ダライ・ラマ法王とその化身もしくはダライ・ラマ法王の本体である観音菩薩、や出世間の菩薩もしくは、如来だけであるとのことであり、その法座にはダライ・ラマ法王や菩薩や如来たちが実際に来られなくても、智薩埵を瞬時に派遣することができようであるので、私たちはチベットの全ての僧院を参拝するときには、そこは如来たちが来られる場所であると思い、ダライ・ラマ法王の玉座を参拝する必要がある。

釈尊が現等覚の場へと向かわれた時に出現した巨大な八万本の菩提樹や八万席の金剛法座はいまはそのように多くの数があると衆生たちにとっては不便であるから普段は見えないように片付けてあるのであり、決して消滅しているわけではない。それだけではなく、私たちが家のちいさな仏壇で釈尊の仏像に毎朝お供えをする際に、そこに釈尊御本人をお迎えしているが、その時にも八万席の金剛法座をそこに観想によって誂えて八万の如来を菩薩衆とともにお迎えすることも可能なのであり、八万四千の如来を勧請し、八万四千の法蘊を説かれる如来をそこに観想するかどうか、と言うのは私たちひとり一人の個人の自由意思である。

釈尊の宝座は様々な衆生が荘厳している

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