2021.05.20
སྟོན་པའི་མཛད་རྣམ་སྙིང་བསྡུས།

死を超克するために出家する

サカダワ大祭・仏伝の紹介:第9話 在家から出家へと転身されたという行状
訳・文:野村正次郎

出家への要請

釈尊はシダールタ王子として結婚し皇位継承者を授かり、将来の王としてなすべきことの全てを達成した。しかしこれはあくまでも在家の王としての役割であって、ここに生まれてきたのは王となるべく人物として為すべきことを為していくことではない。ここに生まれてきたのは仏になるとはどのようなことなのかを実際に人々に示し、そのなり方を神々と人間たちに見せるためである。神々たち釈尊のこの使命を知っているからこそ、釈尊が王宮生活を続けていることを危惧するようになった。

神々たちはまずは楽器の奏でる音楽にそのメッセージを託し「いま苦しみ喘いでいる衆生たちを見て、彼らの庇護者とならん。彼らの救済とならん。彼らの拠り所とならん、彼らを利益する主とならん。彼らの家族とならんことを。」このように楽器の音色は響いた。

また女たちはこんな歌を口にしはじめたのである・「壺の中に入った蜜蜂はその中だけを飛び回る。この三界は無常であり、秋の雲にも似たものである。生物は生まれてきては死んでゆく。それは芝居を見るかのようである。生物の寿命など天空に稲妻が光るようにほんの一瞬である。それは高く聳えた山から水が流れるように疾く、直ちに消え去るのみである。菩薩よ。どうか過去世に立てた祈願を思い出してください。この城からは出ていかなくてはなりません。」神々たちは菩薩の出家を急かせてこんなことまでしたから、釈尊もそろそろ出家の時だと思った。

四門出遊

浄飯王は王子が王位を継承することもなく、出家してこの城から去っていく姿をある晩夢にみた。転輪聖王となってもらえなくなくなることを危惧した浄飯王は、王子が決して外に出かけないように夏でも雨季でも冬でも楽しく過ごせるための新しい宮殿を造営した。そこには素晴らしい音楽を奏でる采女たちを配備し王子が快楽に耽るように仕向けたが、それに釈尊はそれほど満足しなかった。そこで一度外の森の方へと出かけさせ、森の中で出家者と暮らすよりもこの城の中で暮らすことの方が有意義であると諭すために敢えて森を徘徊させ、決して忌まわしいものを見ることもなければ、この世を厭って出家しようとは思わなくなるのではないか、と期待して試しに門から森までの道すがらの全てを綺麗に掃除し、従者たちに囲ませながら釈尊を城から外遊しても良いこととした。

王子の一向はまずはじめは東の門から城を出て、森の方へと向かって行った。すると神々たちが老いて衰えみすぼらしい男に化現して、杖をついてふらふらと歩き、王子の一向にわざと出会うようにした。王子は連れていた御者に尋ねて言った「御者よ、あの痩せて細った老人は肉も血も乾燥していて皮と筋しかない。髪も白く、歯も抜け放題になっている。杖にもたれて辛そうによろめきながら歩いているではないか。彼は一体どこの誰なのだろうか。」御者は答えて言った「王子様、あれは誰というほどの者ではございません。ただ老いて衰えて、家族からも身離されているので身寄りがあるわけでもありません。もはや何の役にも立ちませんので森に枯れ木が捨てられているように、放置されただけの者です」と。王子は「こんな不条理なことはない。この現象は特定の種族や特定の衆生にのみ起こることだというのか」と問うと御者は答えた。「王子様。老いるということは特定の種族や特定の衆生に起こることではありません。もちろん王子様の御両親や御子息やご親戚の皆様に同じように起こることです。生きている限りこのことからは逃れられないのです。」すると王子は「わかった。すべての者が老いていくのならば、こんなところで徘徊しているわけにはいかない。馬を引け、城へ戻ろう」といって、城へと戻ったのである。

また別の日に南門から外出すると、病で水疱ができて腹は膨れて喘いでいる者がいた。王子は同じようにその者が誰かを御者に聞き、誰でもない者であることを御者が答え、この病という現象がどんな人にでも起こることかを確認すると城へと再び戻っていった。また別の日には西門から外出すると、道端で人間が死んでいる者が運ばれており、家族が悲歎にくれて泣いていた。王子はまた同じように死んでいる者がいった誰なのかを御者に聞き、死ぬというこの現象がすべての者に起こる現象であることを確認し、城へと戻っていった。

王子はこの東の門、南の門、西の門から森へ向かう途中であった話を周囲の者にも語った。老いるということ、病に苦しむこと、死んでいくこと、これこそが私たちが抱えている最大の問題である。このすべての者が共通して抱えているこの問題を何とか解決しなくては、私たちに平安や幸福がやってくることなどあり得ない。この大問題に向き合わなければならない、そう周囲の者たちにも語った。

ある日北門から出かけて森の方に進んでいった。今度は森へ神が化身した落ち着きのある、心身を正しく律している比丘がいた。王子は御者に尋ねると御者はその者が性愛を断じて、正しく暮らすものであると答えた。王子は自分自身の進むべき道はこれであり、自分が出家して遊行者として暮らし、老いていくこと、病に伏せること、死んでしまうこと、この全ての人が共通して抱えている問題を解決しようとすることは自分自身にも役に立つことであるし、それは他のものたちにも役にたつことである。これこそが話私が望んでいることである、と述べて御者とともに城へと戻ることにした。

出家

七月の初秋の八日の真夜中に、星は燦々と輝いていた。王子はすべてのものが抱えているその問題を解決するために究極の菩提を目指さなければならない、という決意を確固とした。

「私は王子としてここですべての吉祥なることを成就してきた。この成果が霞んでしまわないうちに、ない。それは老いること、病むこと、死ぬことというこの問題を解決することである。今この私の決意は決して揺らぐことのないものである。そしていま既にこの目的のために従事すべき時なのであり、如何なる延期も相応しいことではない。あの駿馬カンタカを準備して、私のもとへと連れてきなさい」とおっしゃりカピラヴァストの城を出発して、解脱の城市へと出立される決意をした。

王子がこのような決意をしたので梵天、帝釈天、四天王などをはじめとし、夜叉たちや食香や龍たちが供養し、釈尊の出立を阻もうと浄飯王が配備した全ての王子の周囲の全てのものをまずは神々たちが眠らせた。神々は王子が乗る馬を囲み傘や勝幡を化現させた。王子は駿馬カンタカに跨り城市の門に近づいていくと帝釈天がその門を開いて王子は城の外へと誰にも気付かれずに出たのである。

王子は森の方へとどんどんと進んでいった。駿馬カンタカはよく走り、四王天たちもその足取りが止まらぬよう、しっかりと支えていた。釈迦族の王国を抜けて、クロードゥヤ国を通り、さらにマッラ国を通りすぎて、最終的にマイネーヤ国のアヌヴィネーヤ村と呼ばれる六由旬先まで辿りついた。この時にちょうど東の空からは日が昇りはじめていて、薄く染まった空が明るくなり、終には夜が明けた。この世が明け手のひらの模様が見え始めるとき、王子は出家者として守るべき戒律を自ら授かろうとしたが、職衆として龍・夜叉・食香・阿修羅などがやってきて菩薩となるのを手助けした。

もはや決して戻るまい、そう心に強く誓い、従者であったチャンダカには「私はもう決して戻らない。これでお別れだ。この馬に乗って、装飾品や着物のすべてを持って帰りなさい。これらの品は父や妻たちにどうか渡してくれ」そう馬に乗せて全て持ち帰るように命じた。チャンダカは号泣しながら「王子様よ、どうかそんなことを仰らないでください。私をお供にお連れください。これまで何万人という妃や家来に囲まれて過ごして来られたじゃないですか。いまから突然、森や草原を巡っておひとりで暮らされるなんてあり得ません。一体どうしてそんなことをなさるのでしょう」と言った。

菩薩は泣いているチャンダカに声をかけ「すべて生き者は生まれてくる時はたった一人で生まれてこないといけない。死んでいく時もたった一人で死んでいかなくてはならないのだよ。ここはたった一人で苦しまないといけない。輪廻というのは誰も友達も仲間もいない。だからお前はもう帰りなさい。これでお別れだ」そう言って全ての装飾品を外して、着ている者も最後の一枚だけ残してそれ以外の全てをチャンダカに渡し、カピラヴァストゥの方へと引き返させた。生涯を供にしてきた従者チャンダカとも別れ、もはや犀のように孤独な者となれたのである。

ひとりになって、自ら頭の上で結っていた頂髷を剣で斬り落とした。近くにいた猟師が汚物を拭くためくらいにしか使えない襤褸切を縫い合わせた布を着ていたので、どうかその着物と私の着ているこの着物を交換してください、と申し出て、物乞いによって孤独な遊行者に相応しい衣を得ることができた。この襤褸切はサフラン色に染まっており、この布を全身に巻いて着衣とした。そしてさらに頭髪をすべて剃り落とし、全て帝釈天に与えて、完全なる森と草原に住む修行者、森と草原を栖として、大地に眠る正しい遊行者となることができた。

釈尊がするとすぐに神々たちは「菩薩は出家された。これから仏陀となり給われ、法輪を転じて衆生たちを輪廻の大海から解脱させて不死の界へと導くだろう」と歓喜の叫びを上げた。その声は色究竟天処まで響き皆が「青年シッダールタ王子が遂に出家された」と騒ぎ歓喜に沸いたのである。

以上が俗世間の城をでて、解脱の街へと出立されようとした、というエピソードである。

このエピソードにもあるように釈尊は転輪聖王が有することになる栄華と権力のすべてを吐き捨てるように捨ててしまった。全ての権威や名声を捨てただけではなく、最後に僅かばかり身につけていた装飾品の全てを捨て、すべての心地よい着衣をすて、完全なる乞食となり、老いること、病むこと、死ぬこと、というこの全ての者が共通している問題を解決するために、厭世の無名のただの修業者となったのである。このことは、後の所化たちのために、こうするべきである、ということの御手本をお示しになられているのである。

そしてこの出家のご様子の全ては、過去に出現された全ての如来が行なったことであり、今現代に生きている私たちもこの釈尊の行状を見習い、常に心に浮かべ、決して忘れるべきではない。私たちが修行をするのは、少なくとも生老病死というこの全ての生物が苦しんでいるものを克服するためであり、死を克服するためには、この世で自身が持つ全ての執着を意識的に捨てなくてはならないのである。釈尊の四門出遊から出家に至るまでの行状は、このことを教えるためにほかならない。

髷を斬り落として修行者となる釈尊
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