2020.10.19
གུང་ཐང་བསླབ་བྱ་ནོར་བུའི་གླིང་དུ་བགྲོད་པའི་ལམ་ཡིག་

すべての学問は文殊菩薩を出自としている

仏典の学習法『参学への道標』を読む・第1回
訳・文:野村正次郎

すべての勝者の慧の集成 文殊師利よ

袈裟の舞踊に遊戯する ツォンカパよ

一切の悉地を授ける閻魔を慄かす者よ

分けることもできない御三家の蓮台へ

跪かん 大慈により摂取されんことを

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グンタン・テンペードンメの『水の教え』は、この世間でどのようにあるべきか、ということからはじめ、仏の境地に至るまでどのように学んでいけばよいのか、ということを、水というひとつの譬喩を使いながら説いたものであった。それは私たちが仏教に関わり、どのようにあるべきか、とことを教えてくれているものである。『水の教え』は僧俗を問わず、現在ではチベットの高校生たちが学んでいる古典であるが、グンタン・リンポチェのことばは大変分かりやすく、大変有名なものである。前回はひとつのテキストのみを冒頭からずっと読み解いていたが、前回の連載の続編としては、いくつかのジャンルのテキストを並行しながら紹介してみたいと思う。続編としての連載については、ゴペル・リンポチェから、所謂「修身」「人法」と呼ばれる処世術を説いたものがいいとのご提案も頂いたので、『水の教え』の連載の続編としては、処世術のみ留まらず「ラプチャ」(学ぶべきことのアドバイス)を主に扱ったものを取り上げてみたい。特に「グンタン・ラプチャ」と呼ばれる、グンタン・リンポチェが書いたものは、大変有名であり、ゴマン学堂に関係する僧院だけではなく、ゲルク派全体でよく読まれているものであり、ゲルク派以外の他のチベット仏教の宗派でも同じように大切にされている教訓ばかりであるので、これを取り上げたいと思う。

チベットの仏教の特徴は、完全出家主義であるということがまずは挙げられる。地方などで生まれた若い子どもたちは、物心ついてカラスを自分で追い払えるくらいの年齢になった時に出家し、僧院で暮らし始める。僧院に入るとまずは文字を習い、文語の基礎を習いながら、僧院の本堂でほかの僧侶たちと一緒に法要の時に唱える勤行集を一冊暗記しなくてはならない。というのも、僧侶たちは法要の際に経本を見ながら読経することをよしとしない習慣があるからであり、地方の小さな僧院などではこの各僧院で定められている勤行集を一冊暗記することが最低限の僧侶の学習課題となっている。ちょうど日本でいえば、小学校の義務教育のようなものにあたり、完全出家主義のチベットの仏教において、僧侶である限り、勤行集を暗記していることは当然のこととされている。チベット文化圏全体には、大体ひとつの集落には小さな僧院が二、三あるのが普通であり、どんなに小さくても老僧から小僧までの様々な世代の僧侶が40-50人くらい共同生活を営んでいる。ほとんどの僧侶はあまり難しいことは分からないまま出家し、ただひたすら勤行集を暗記すれば、先輩の僧侶たちと一緒に法要に参加することができ、会衆として一人前になり、僧院のある街の家庭などにでかけていき、先輩たちと一緒にさまざまな法要を行えるようになる。

勤行集をマスターした僧侶たちは、さらに様々な活動をしていくが、その勤行集をもとにさらに様々な法事ができるようになるための密教の儀式について学ぶためにまずは灌頂を授かり、先輩の指導を仰ぎながら、さまざまな法要を行える僧侶としてスキルアップしていくことを目指す僧侶もいるが、単に法要だけではなく、仏教の教理をもっときちんと学ぼう、と思い、仏典を師僧から講読してもらいながら、教理の学習に励もうとする人たちも大勢いる。このような教理の学習も通常は地方僧院ではじめられるものであり、中央チベットのセラ、デプン、ガンデンなどの本山ともいえる学問僧院で学ばなければ一人前の僧侶になれない、という訳ではない。しかしながら、小さな規模の僧院では、その僧院のある街の人々から依頼される法要も多くあり、それに対応していくことだけでもかなり業務的に忙殺されるし、地方僧院で仏典の講読を行なってくださっている師僧たちも教えることに限界がある。また教理の学習をするためには、教理を一緒に学ぶ仲間と議論したり問答することが極めて重要であるから、教理の学習を極めようと思う学究の徒は、その地方僧院から本山へと留学し、そこで数十年間の伝統教育プログラムに従って、学問を究めることを目指して中央チベットの本山の門を叩くために、地方から中央へと集まっていくこととなるのである。これはちょうど日本では中高生の間は親が住んでいる地元で生活しているが、大学生くらいになると都会の専門性の高い大学などで勉強しようと親元を離れて学ぶことをはじめるのと似ている。 

チベットは日本の国土の七倍もの大きさがあるので、地方から中央に行く場合には移動距離もかなり遠いものである。たとえばゴペル・リンポチェやアボさんたちの出身のリタンからラサまでは車でいっても1,400km以上離れて、これはちょうど稚内から東京に行くくらいの距離であり、グンタン・リンポチェたちが活躍したラブランからラサまでは2,000km以上離れており、これはちょうど札幌から福岡まで行くくらい離れている。

日本でも地方都市から首都圏に志をもって学問のために、上京したのなら、そう簡単に帰れる訳ではないように、チベットでも地方都市からラサへと学問のために上京した限り、そう簡単に地元に戻るわけにもいかない。上京した限りにおいては学問を極める必要があり、もちろん人間であるので途中で挫折しかけ、様々な苦難に直面することは当然のようにある。都会のつらい生活のなかでも地元のことを思い出し、もう一度頑張ろう、初志貫徹しなければならない、と奮起するために、地元の人たちの期待を思い出すのは、日本でも多くあるが、これはチベットでも同じであり、たとえばアムドで生まれ育ったジェ・ツォンカパは中央チベットへと行く時に、師僧であったトンドゥプ・リンチェンから、あなたはこのように学びなさいと言われる教訓を授けてもらい、その通りに学問を究めたというのは有名である。

これと同じようにグンタン・リンポチェも学問を究めようとして地方から中央へ行く者たち、親元を離れて僧院での暮らす者たちに学問を志して生活する上で、どうしたらよいのか、ということを教訓にまとめて弟子に授けた言葉が、これから読んでいくこの詩篇『顕教と密教の仏典の学習法の教訓・宝石の島へ行くための道標』である。

このテキストは在俗の生活を捨てて出家し、教理を学んでいく、ということはどうあるべきか、というその指標と心構えを説いており、特にゲルク派の本山で暮らしているチベットの僧侶たちのメンタリティと理想とするものをよく表している。

もちろん私たちは僧侶ではないので、このように僧侶向けに書かれたテキストの通りに実践することはできないが、たとえば今生では無理でも、来世以降は彼らのように若い時から出家し、仏典を聞思修して、一切相智を目指して暮らせるための習気として、このような学問に対する心構えを知るということは重要なことであると思われる。なのでこのテキストをこれから少しずつみなさんと読み進めてみたいと思う。

本詩篇の冒頭にあたるこの偈は、文殊菩薩に対する礼拝を説くものであるが、文殊菩薩、宗祖ジェ・ツォンカパ、そして外の本尊(イダム)である怖畏金剛を区別できない一体のものとして、身口意で礼讃する偈である。語句はわかりやすいので特に説明を必要としないだろうが、このように如来たちや本尊と師資相承のラマを一体のものとして、彼らを救いの拠り所として、帰依し礼拝するということは極めて重要なことである。というのも仏教を私たちが学ぶ、ということは、釈尊から伝わる広大な教えの流れを自分自身の問題として、学ぶということであり、単に知識や歴史や情報を学ぶこととは異なっていることであるからである。

仏教を学ぶ知的な生活は、文殊菩薩と無関係ではない。宗祖ジェ・ツォンカパや地獄の主である閻魔大王を戦かせる怖畏金剛もまた文殊菩薩の忿怒形である。まずは彼らを一体のものとして観想し、彼ら以外にはこの輪廻から救済してくれる者はこの世にはいない、ということを追想する。

学問をしようとする私たちを守ってくれるのは文殊菩薩であり、学問の成就のためには文殊菩薩の力を借りる必要がある。私たちの学問探究のはじまり、それは妙なることばで思想の物語を語ってくれる文殊菩薩への深い帰依の心と共にはじまるべきものである。何故ならば、すべての学問はそれ自体が、すべての一切衆生の無明の闇を智慧の剣で打ち破る文殊菩薩そのものを出自とするものであるからなのである。すべての学問はさまざまな人々の助けがあってできるものではあるが、あくまでも個人的な私的な営為に過ぎない。仏教の学問へと参学するその道標は、文殊菩薩という学問そのものへ向くことからはじまる。


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