2019.08.06

『縁起心頌註 善逝意趣荘厳』試訳(1)

チャンキャ2世ガワン・ロサン・チューデン

師と釈世尊と無区別な方の御足へ如何なるとき頂礼し帰依せん。
大慈で摂取され給わんことを。

断証の功徳を究竟しているお方
無辺の衆生をすべて解放する
そのための甚深広大なる偉大なる善説
その法雨を降らせ給う釈迦牟尼如来に帰命する

勝者 勝子 その弟子たち
これを実践し高き境地へと導くもの
それは甚深なる縁起そのものである
私は正信をもってこれに帰命しよう

縁起を所詮の核心としているもの
略示されたこれは「縁起心髄」と名高い
この無上にして最勝なる教説を
尊者に注釈を依頼されたのでここ識す

 この書物では、我々の教主、無上正等覚者釈迦牟尼王の所説の宝珠「甚深縁起心頌」と呼ばれるもの、すなわち「ye dharma…」のチベット語訳を解説したい。これには、本頌が如何に説かれたのか、本頌の意味を解釈する、この解説に対する疑念の払拭、これに基づいた加行の解説、附論として真言の文字数とその伝搬の様子、という五がある。

甲初 本頌は如何に説かれたのか

 初には、何処で誰に説かれたのか、誰がどのように請問したのか、如何なる所依によって説かれたのか、この法の利徳の解説、聴衆が歓喜礼賛した様子の解説、という五つがある。

乙初 何処で誰に説かれたのか

 何処で説かれたのか、ということの設定は有る。三十三天を拠所とし、五賢従者の一人アシュヴァジット等の大声聞たち、聖弥勒・観音・金剛手等の諸菩薩、大梵天・ヴィシュヌ(那羅延天 nārāyaṇa)・大自在天・帝釈天などの多くの天の多くの眷属の会衆が説法対象であるからである。このことを述べるために『聖縁起大乗経』では、

 一時、次のように私は聞いた。世尊は、三十三天にあるアラモニガの岩盤の上で、アシュヴァジット等の大声聞衆、そして聖弥勒、観音、金剛手等といった不可思議なる功徳で荘厳された菩薩衆、さらには、娑婆世界の王である大梵天、ヴィシュヌ、大自在天などの諸天衆、天王帝釈天、乾闥婆王五髷者、これらの者たちと一同に会して居られたのである。

と説かれている。

乙二 誰がどのように請問したのか

 請問者は誰で如何に請問したか、ということは有る。聖者観自在、彼は恭敬して跪いて、その会衆として集まっている諸天が供養塔を建立することを喜びとし、供養塔を建立する福徳により、極めて広大な果を得たいと願う者たちの願いが叶うために、彼らに法を説示してください、という請願するためである。このことを述べるために『同経』では、

 すると菩薩摩訶薩観自在は座を起こし、上衣は片方の肩にかけ、右膝を妙高山の頂上へ跪き、世尊をガラヴァデの方角へと合掌礼拝し、世尊に次のように請願した。

 「世尊よ、この諸天は供養塔を建立せんとする者ばかりである。この曼荼羅を会衆とするいまこの時、何卒、梵天の福徳を増広させ、諸天、魔、梵天世間、沙門、婆羅門といった九生、なかでも比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷たちの福徳が極めて多く増大するために、世尊よ、どうか彼らに法を説示し給われんよう請い願わん。」

と説かれている。

乙三 如何なる所依によって説かれたのか

 如何なる所依によって説かれたのか、ということは有る。我々の釈尊、世尊如来阿羅漢正等覚、釈迦牟尼仏によって説かれたからである。このことを述べるために『同経』では、

 これを受けて、世尊は縁起の偈頌を次のように説き給われた。

ye dharmā hetuprabhavā  hetuṃ teṣāṃ tathāgato hy avadat་.
teṣāṃ ca yo nirodha  evaṃ vādī mahāśramaṇa.

諸法は因によって生じたものである。
それらの因を如来は説くのである。
またそれらの滅をも〔説くのである〕。
偉大なる沙門はこのように説いている。 

と説かれている。

乙四 この法の利徳の解説

 この法の利徳の解説は設定できる。この真言呪は、仏の法身舎利として知られるが、この義を如実に観る者、即ち、証解し如実に実践するのならば、究竟的には、如来を観ることになる、即ちその境位を得ることになるのである。

 暫定的には、この真言文を文字で記し、最小でもアムラの果実程の大きさの供養塔に入れておくことで、その行為を為す者は、後生で梵天世間へと転生するだろうし、更に後生で浄住処の諸天と同分の者へと転生する、といった福徳を得る等、不可思議なる功徳がもたらされるからである。このことを述べるために『同経』では、

 「観自在よ、以上である。この縁起は如来の法身である。縁起を観る者、彼は如来を観るだろう。観自在よ。善男子・善女人・信仰をもつ者、彼らは不住処の方角で、アムラの実ほどの大きさ、命樹は針ほどの大きさ、天蓋はバクラの華ほどの大きさ、そのような供養塔を造り、この縁起法界の偈頌を中に入れておくがよい。そうすると梵天の福徳を生じるだろう。今生で臨終を迎えるとき、死から退き、臨終後には梵天世間へと生まれるだろう。そしてその後にも更に、死から退いて、浄住処の諸天と同分劫の者へと生まれるだろう。」

と説かれている。

乙五 聴衆が歓喜礼賛した様子

 聴衆が歓喜礼賛した様子は有る。世尊が前述のように語られたのに対して、聖者アシュヴァジットなどの声聞、菩薩、天などのすべてのものが、歓喜随喜して、世尊の所説を大いに讃嘆なされたからである。このことを述べるために『同経』では、

このように世尊は説かれたので、これらの声聞たち、菩薩たち、一切の眷属たち、天、人、阿修羅、乾闥婆をはじめとする世間は歓喜し世尊の所説を讃嘆した。

と説かれている。

(続く)


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