2011.09.19

仏教にしかない考え

「私たちの心はもともと汚れているのかと言えばそうではない。それは私たちがずっといつまでも怒り続けることができない。だから怒りは心の本性ではなく一時的にくっついている汚れだということがわかる。だからそれと同じように、執着も一時的な汚れであるから、努力すればなくすことができるんだ」

確かに私たちは時々怒ることはあっても24時間365日怒り続けることは出来ません。

「全ては独立自存の存在としてない。全て原因に拠ってなりたっている。例えば秋の収穫が、春の種まきを因としているように。原因があるからこそ結果がある。そのように我々に見えているものが見えている通りには存在しないことを理解し、道を進んでゆくことによって輪廻に執着することがなくなる」

秋に稲刈りが出来るのは、春に種を蒔いたから。物を買うことができるのは、それを作る人や売る人がいるから。全ては原因によってなりっている。

「我はあるのかないのか。もし我があるとすればそれだけで成り立つようなものでなければならないがそんなものはない。全てには原因があるから」

私たちが普段揺らがない、堅固な存在であると捉えている我。それが私たちの苦しみを生み出す。

「私たちは今仏教を勉強していますね?だからせめて、理由はよくわからなかったとして、仏教にしかない考え方は「無我」だと言ってください」

そう語られてから、『菩提道次第小論』の講義が始まりました。

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