2011.06.05

故郷を捨てて

「この本をいつも持って、読んでください」

そう言って、ゲンギャウさんは一冊の本を私に手渡し、インドに旅立っていかれた。

現在ゲンギャウさんは北インドのマナリに滞在中。あと数日中には故郷へ移動されて、3ヶ月の瞑想修行に入られる。南インドから一番年少の弟子であるイシが随伴し、ゲンが瞑想に入っておられる間のお世話を務める。

当初、親戚のいるマナリか故郷のザンスカール、どちらで瞑想に入るか迷っておられたが、吉祥天女の占いををされたところ、ザンスカールの方がいいという卦が出たそうである。

ゲンギャウ先生から手渡された本。それは一種の格言集のような本であった。ゲルク派やカギュ派など宗派を問わず、数々のラマが残された名言が載っている。

「私もいつも時間がある時読んでいました」

とゲンギャウさんがおっしゃった通り、本はなかなかくたびれている。本を開くと、黄色の鉛筆でゲンが付けられたマークがそこらかしこにある。その黄色に彩られた言葉の中に、

『故郷は魔の牢獄である』

というものがあった。

誰の言葉だろうと見てみると、チベットの聖者ミラレーパの言葉だった。ミラレーパは、幼少に父をなくし、母と妹と三人、親族から虐待を受ける。その結果、母に乞われて呪術を学び、親族と村人たちに復讐を果たす。人を殺してしまったことを後悔したミラレーパは、仏教の教えを師マルパより授かって、ひたすら修行に専念した。そんなミラレーパにとって、故郷は苦しみの地であり、彼のうたった詩の中にも、故郷を捨てることを勧めるものが多くある。

故郷を捨てること。それは非常に難しい。そして輪廻を離れようと真に望むことは、更に難しい。

先月の奈良での法話会の最後に、

「先生方は厭離は簡単なのでしょうが、私たちには難しいです。どうしたらいいのでしょうか?」

という質問が出た。
その質問を聞かれたとき、ゲンチャンパもアボさんも笑われて、

「私たちも厭離の念を四六時中抱き続けることはできないですよ」

と答えられた。厭離、それは世俗を厭い、そこから離れようする心。釈尊は生きることは苦しみであると説かれた。輪廻が苦しみであること。それを正しく理解することから、帰依も生じてくる。

だが、日々の生活の中で、厭離の念を常に持ち続けるなど非常に難しい。私たちは、その時々に感じる幸せにすぐに執着してしまう。

黄色く塗られた言葉。それはきっと、ゲンギャウさんの葛藤の言葉。


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