苦しみであることを知ること


作成日: 2011-05-29 最終更新日: 2011-05-29 作成:野村 正次郎

本日は、ゲン・チャンパによる定例法話会がありました。広島での定例法話会は日本別院がはじまる前から行っているもので、この2ヶ月間通訳もしていませんでしたので、久しぶりでした。会員の方には遠くから来られている方も沢山おられ、頭が下がる思いです。

私も最近は自分の仕事も忙しくしていますので久しぶりに御寺に来ましたが、ケンスル・リンポチェにはじまりゴマン学堂のさまざまな先生たちがここで法話会をずっと続けてこれたのも、会員の方をはじめ善意の方たちのおかげで改めて思うところのある会となりました。

今日の定例法話会は雨もしたたる日でしたが、新しく来られた人もおられ静かな会となりました。

今日のテーマは般若心経にある苦・集・滅・道という四聖諦がテーマでした。ゲン・チャンパはおっしゃいます。

「四聖諦というのはとても大切な教えです。大乗仏教と小乗仏教との両方で基礎となる教えなのです。私たちは苦しみを望まないで、幸福を実現しようと思っています。だからこそ、一体何故苦しみが起こるのか、どうやったら苦しみを無くすことができるのか、それを説いたものが四聖諦なのです。」

「四聖諦はまず苦しみという事実を知りなさい、ということを教えています。これは病気の人が私は病気ではないと思わずに、すべての人が自分が病気であることを自覚することにあります。そしてその病気は何で起こっているのか、断じるべきその病気の要因、それが集諦です。では病気の原因と病気であることが分かったからといってそれでいいでしょうか。それではだめです。その病気が治療可能なのかどうかを考えることが必要です。そこで病気の原因である煩悩が、心と一体のものなのかどうか、それを考えた時に煩悩はあくまでも客塵と呼ばれるように心とは別のものであること、それを知ることで、煩悩を離れて苦しみがなくなった状態、つまり滅諦というものがあることが分かるのです。そしてそれを実現するための無我を理解する智慧、それが道諦ということになります。」

何十年もチベットに関わっているとこういう話は何度も何度も聞いたものである。しかしチベットの僧侶の方たちの語り口というのは、ああそうなんだよなと再び一緒にこうしたブッダの教えを思い起こさせるところに魅力があるわけです。法話をする方も、それを聞く方もなるほどそうだよなと思うということが大切なんですね。

苦諦については、苦苦・壊苦・行苦と話が進みます。苦諦についてはダライ・ラマ法王のDVDにもあるお話と同じです。今日の法話では、特に苦苦というものを説明するときに、これらの苦しみは代替可能なものであるというところに視点が進みました。

まず物質的な苦痛は、薬を飲んだりして物質によってその苦痛を代替することができる。暑いという苦しみは涼しさで代替することができる。精神的な苦しみもまた同じであり、精神的な苦しみも楽しいことなどで代替することができる。これが苦苦の特徴らしいです。そしてその代替して起こった快楽、それが壊苦であるということになるわけです。

壊苦とは通常我々が快楽であると思っているもののことを指しています。通常の人間はこれは幸福であると思っているわけです。しかしこれが苦しみであるというところにまず苦諦のはじまりというか、視点を変えなければいけないところがでてきます。

今日はゲン・チャンパは車のたとえを使って説明します。

「車がないときには車が欲しいと思います。新しい車を買ったらとても幸福感を感じます。夜寝ていても、おお新しい車がうちにあるな、なんとも便利でいいな、明日は車をぴかぴかに磨こう、などと思うでしょう。ですが、タイヤを盗まれるんじゃないか、道路に駐車しておけば傷がいくんじゃないか、と心配になることもあります。また駐車場やガソリン代の維持費などという新しい苦しみがやってくるのです。寒いときにあたたかいところに行けば、そのうち暑くなります。これらの快楽と思っている現象はその数量に比例して快楽が増えるわけではないんです。苦しみはそれに対してどんどん苦しみになります。これは何故かというとその快楽が実は苦しみだからなんです。ほんとうに満足できるものではないし、苦苦を代替する方法によって快楽だと錯覚しているだけなんですね。」

さらに「行苦」に説明はつづきます。

「こうした現象が起こるのは、苦しみや快楽の味わっている我々の心が業と煩悩に支配されてできたものだからです。業と煩悩に支配されてできたもののことを行苦といいます。行苦の代表的なものは私たちの身体や心です。五蘊盛苦といわれるものはこれです。普通は自分の身体が苦しみだとか思いませんよね。でも苦しみというものを考えて行けば、こういう身体そのもの、輪廻するものそのものが苦しみだと分かるわけです。」

途中でお茶がでてゲン・チャンパはすこしゆっくりお話されます。

「苦しみを知るべきである。というのは苦しみを具体的に考えて、ああこれは苦しみだなと思うということです。私たちは新しいものが欲しいしそれを手にすると幸せな気持ちになっています。でもそれは苦しみを新たに手に入れただけなんだ、そう思えるようになるまで苦しみを知ることが苦諦を理解するということなんですよ。なかなか難しいでしょ。でもゆっくり考えるとブッダの教えというものは、ああそうだな、確かにそうだなと思えるような素晴らしいものですね。」

最近我々は関東や近畿などでも法話会をしておりますが、なかなか人の輪は増えて行きません。そう私が嘆くと、お坊様たちはでも毎回まじめに聞きにきてくださる方がいて赤字にならない限りつづけようといつもおっしゃいます。「たったひとりの人でもその人は菩薩かも知れません。我々が仏教の紹介をすることで菩提心が起こるきっかけになるのならば、仏典では無量の功徳があると説かれているじゃないですか。見た目は重要ではないんですよ。心を伝えるということは、もっと大事なことなんですよ。」そういつも励まされ、しかられる。

来月はゲン・ロサンがいよいよ来られる。ゴマン学堂を代表するゲシェーであり、現在のチベット仏教の最高の知識人であり、人格者のおひとりであるゲン・ロサンのお話は、正直言ってあまり普段から仏教をまじめに学んでいない人間には、もったいない。でもそういった巨匠が転じてくれる転法輪は、ものでは計れない価値がある。昨年の集中法話会のときも通訳しながら身震いがする思いがした。通訳や解説をつとめている我々はまだまだ人間として未熟であるが、彼らが日本人の我々に伝えてくれようとしていることが、なんとか伝わればいいなと思う。