2010.10.17

笑い話

「ゲンチャンパの笑い話知ってる?」

ゲンチャンパと同郷で、デプン・ゴマン学堂でも同じグンル学寮の小坊主さん。腕白で荒っぽくて、ゲンの若い頃を想像させる。
その小坊主が、さもおかしそうに笑いながら話しかけてきた。

「昔ゲンはな、勉強が頭に入らないって言って、壁に頭をがんがんぶつけて回ってたんだぞ」

そう言って、床に座っておかしそうに頭を振ってみせる。

「まあ、今はゲシェーの学位もちゃんととって、弟子を教えてるけどな」

と、先生をけなしておいても、やっぱりどこか誇らしげ。

しかし、ゲンチャンパが壁に頭をがんがんぶつけるなんてあるだろうか。僧侶はよく読経をするとき頭や身体をゆらゆら揺らす。だからそれが勢いあまって壁にぶつかっていたのを、おもしろおかしく話しているんだろう。

…と思っていたが、ある日ゲンが『七十義』の講義中に、

「昔は、よくこうやって頭を壁にぶつけたなぁ」

と言って笑いながら頭を前後に振った。以前小坊主がしたのと全く同じ動作である。

「『俱舎論』の暗記をしていたときだ。内容が難しくて、朝覚えたことを夜になればもう忘れてしまう。自分に腹がたって腹がたって、壁に頭をがんがんぶつけてたんだ」

確かに、暗記や勉強がうまくいかなくていらいらすることはある。その自分に対する怒りを、ゲンは自分の身体を痛めつけることで治めようとしたのだろう。怒りの対象が自分の頭だから、頭を壁にぶつける。ある意味、とてもわかりやすい。

「だがある日、ふと思ったんだ。『「 俱舎論」はヴァスバンドゥのようなインドの偉大な学者が著されたものだ。それを自分なんかが、そうそう簡単に理解することができるもんか』って」

まあ確かに、そう言われればその通りである。インドの賢者が著された論書。難解であり、理解しがたいからこそ、チベットでも多くの解説書が著されてきた。

「だから、『今日覚えることが出来ればよし、覚えれなくともよし。時間がかかって当たり前だ』と思ってから前よりも気が楽になって、頭に入ってきやすくなったし、覚えれないからといって癇癪を起こすこともなくなったんだ」

と朗らかに笑うゲンチャンパ。

仏教は難しい。そう思っている人は多いが、きっとそれは正しい。釈尊以後、多くの賢者がその生涯をかけて仏教の諸問題を議論してきた。それを一朝一夕で理解しようと考えるのは無理があるし、むしろ傲慢というものだろう。そのように考えて気持ちをゆるめることは、ゲンチャンパのように真面目に仏教を勉強しようとして、根を詰めすぎてしまっている人の考えに益がある。

だが、そこから反対に「仏教は難しいから自分には無理だ」という考えを起こすと、今度は懈怠になってしまう。そんな時は、少し頭を壁にぶつけてみるといいかもしれない。

こころを強くしめすぎず、ゆるめすぎずに。

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