12月になり、そろそろ年末が近づいてきました。これからの年末年始には神社や寺院などを参拝する機会も多くなります。そもそもお寺をお参りしたり、巡礼するということは、どういうことなのか、そしてどのような気持ちでお参りすればいいのか、チベット仏教の総本山デプン・ゴマン学堂からやってきた僧侶の先生方にお話を伺いました。
「チベットの僧院を参拝するときでも、日本の寺院を参拝するときでも心得ないといけないことは変わりませんよ。どんな小さなお寺に行くときでもこういう気持ちをもったらいいですよ。」この記事は以前お正月にたくさんの方が初詣でお参りに来られているときに、ケンスル・リンポチェとゲンギャウにお話を伺いながら、ケンスル・リンポチェのご指導のもと、ゲンギャウと事務局でまとめたもので、これまで無料で配布としていたものに写真を追加したものです。

1.参拝の準備
動機が大事
人生のなかではさまざまなシーンで寺院を参拝する機会があります。その時にもっとも大事なことは「何のために参拝するのか」ということです。一般的に寺院を参拝するのは「善い行い」です。しかしそれが「善い行い」となるには、まず「正しい動機」をもつことがもっとも重要です。
正しい動機とは
寺院は宗教施設です。有名だからとか、文化財があるからとお参りするなら、効果はほとんどありません。まずは私たちがいま生きて恵まれているこの環境に感謝し、死んだ後にも再びこの恵まれた環境に生まれることができることを願う気持ちが大切です。更に深く考えれば、この世にいるすべての生きものは様々な苦悩を味わっています。彼らをはじめとし、家族や友人、そして亡くなった方だけではなく、この世のすべての生きとし生けるものたちのこれからをお参りしようと決意します。
供物の準備
どんな小さなものでも構いませんが、お供えは必ずもっていくことにしましょう。チベット人であれば、本尊にお供えする「カタ(白い布)」や灯明に使うバター、ロウソク(または灯明料)は最低限もっていくようにしましょう。できれば線香や果物などをもっていくとよいです。お供えは寺院の近くで売っていることもありますが、自分で準備していく方が功徳が高いと言われています。


2.本堂の参拝
入る前に一礼
寺院の門や御堂に入るときは、まずは合掌して一礼します。なぜならば、そこから先は聖なる空間だからです。人の部屋に入る時にはノックして入るのと同じように敬意をもって中に進むことが大事です。お堂の中に入るということは、そこから先は仏様のおられる場所に入るという緊張感を持たなくてはなりません。他人の家に呼び鈴も鳴らさずに勝手にズケズケと入るのが良くないのと同じように、お堂が門や扉が開かれていても、きちんと一礼をしてから入るようにしましょう。一礼をすることによって自分の慢心した良くない心を抑えることができます。
本物の仏様たちをイメージする
寺院の門や御堂に入ってからは、単なる彫刻や絵画ではなく、そこに本物の仏様たちが無数に居られるとイメージすることが大切です。そのイメージができるようになるまで心を落ち着かせてみましょう。また仏様をえり好みするのはよくないことです。仏像や仏画などを通じてそこに本当に仏様がいらっしゃるということは容易に想像できるようになっています。仏像や仏画はそのようなことをみなさんが出来るために作られたものであり、それらを作ってくださった人々やそれを守り続けている人たちへの敬意を失ってはいけません。

まずは御本尊を礼拝
誰かの家にいったら、はじめにその家の中心となる人物に御挨拶をするように、まずは御本尊からちゃんとお参りしましょう。この時も単に体で合掌礼拝するだけではなく、心と体とことばの三つを使って、礼拝することが大事です。お供え物もまずは御本尊からお供えします。礼拝をするということは手を合わせるだけでは不十分です。身体による礼拝としては出来れば五体投地をし、言葉による礼拝としては仏様たちを讃える礼讃文を唱えたり、ご真言を唱えたりします。そして心による礼拝とは、煩悩を完全に克服し、生死流転を超越し、すべての衆生たちにその方法を説いている仏様たちの功徳を心に想うことです。
お供えの心得
仏教で説かれている供養には三種類があります。それは(1)財物を献上すること、(2)行動・言動によって奉仕すること、(3)教わった通りに実践すること、です。正しいお供えとはこの三つのことを揃ってしなくてはなりません。
そのうち第一の財物を献上するという供養は、誰かに贈り物をするのと同じことです。自分が要らないものを捨てずにあげることではありません。ですので小銭は要らないので賽銭箱に投げ込んでおく、というのはお供えとは言えません。大切な人に贈り物をする場合には、相手を見下して投げて渡したり、丁寧に包装したりせずに、直に渡すのは良くないのと同じように、たとえ小銭をお賽銭をする場合でも、丁寧にお金を入れたり果物やお菓子などをお渡しする必要があります。
そして相手に喜んでいただくことが大切です。どんな小さなお供えでも、仏様たちに喜んでいただけるように気持ちをもってお供えしましょう。また御賽銭をする時にはケチケチした気持ちは絶対に起こしてはいけません。もしケチケチすれば何もしないことと同じになってしまいますので、気をつけましょう。またお供えをしたら、そこに居られる仏様たちに喜んで頂いたとイメージしましょう。仏様に喜んで頂ければ功徳を積むことができます。
さらに物を差し上げるだけではなく、行動や言動によって奉仕することもお供えのひとです。境内をお掃除したり、そのお寺の功徳を人にも話したりすることも供養の一つです。お寺にゴミを捨てたり、空き缶やペットボトルを捨てていくのは大変罪なことですのでやめるべきですし、すべてのお寺には仏様がいらっしゃいますので、そのお寺の優劣をつけてたり悪評を流そうとすることは罪業ですので、その結果は不幸しか起こらないことには十分な注意が必要です。
またお寺は、如来の教えを思い出すための拠り所です。お寺にお参りすることそれ自体が単なる散歩や観光であっては何の意味もありません。お寺をお参りする時には、必ず縁起や非暴力や慈悲や利他の精神に思いを寄せ、その教えの通りに自分の心のなかでも慈悲や利他の精神が育めるようにすることが供養となるのです。

3.お祈りの仕方
罪を反省し懺悔する
私たちの日常生活は仏教的に言えば悪いことばかりしています。家族や同僚に冷たく当たり、他人に嫉妬し、人の悪口を言ったり、仏様の教えに反したことばかりしています。まずはそういう自分を反省します。常日頃の罪を心に思い浮かべ、いまここに居られる仏様たちの前で悔いて「もう今後はしません」と誓います。今日からは別人のように生きようと心を改めることが大事です。
祈願をする
罪を悔いたら、心も体も少し清められているはずです。そこでようやく仏様に自分のお願いごとをしましょう。お経や真言を唱え、写経をしたり、お堂や境内の中を右回りに参拝するのもこのときです。お願いする内容のポイントは二つあります。「善いこと」と「より多くの人のためになること」です。たとえば「あの人をやっつけたい」「自分だけ大金持ちになって楽をしたい」などというようなことをお願いするのは間違っています。お願いごとは、それが実現することで「より多くの人の役に立ち、より多くの人が幸せになること」をしましょう。
廻向する
祈願が終わったらいま行った自分の善い行いが、より多くの人に役立ちますようにとお祈りします。これを仏教では「廻向」と呼んでます。
4.僧侶に接する
合掌して接する
僧侶の方たちは私たちが仏教の教えを実践し幸せを得るための手助けをしてくださる看護師のような存在です。彼らは私たちにはできない厳しい修行や戒律を守り、難しい仏典を勉強されています。仏教徒である限り、目の前におられる僧侶はただの人間ではなく、仏様たちの使者だと思い、敬意をもって合掌し接することが大事です。決して僧侶の方たちを「かっこいい男」とか「不細工な男」などと考えてはいけません。そもそも、どんな人に対しても、見た目で判断するのは間違っています。
僧侶の方にもお供えを
ご本尊にお供えをするのと同様に、僧侶の方たちにもお供えをすることが大事です。何故ならば、僧侶の方々は仏法僧の三宝のひとつである僧宝の象徴であるからです。その時にも目の前に居る人が単なる単なる人間なのではなく、仏様の教えに仕え、私たちの代わりに実践してくださっているのだとイメージし、感謝と敬意をもってお供えをしましょう。
善いお話をする
僧侶の方たちと話をするときも「善いお話」をすることが大事です。世間話や人の悪口、自分勝手な悩み事ばかり話すのは控えるべきです。お願いをするときと同様、自分のためだけではなく、より多くの人に役立つためにどうするべきか、仏教をどのように実践すればよいか、などといったことを話題の中心にすることが大事です。そしてアドバイスや教えをいただいたらその教えはお釈迦さまから教えて頂いたと思って感謝し、その言葉をしっかりと受け止めて、日々実践するよう努力しましょう。

5.家路にて
感謝と喜びの気持ちを起こす
お参りを終え帰る前には、今日ここにお参りさせて頂き、善業を積めたことを感謝しましょう。そして自分が善業を積めた、とても素晴らしい日だったと喜ぶことが大事です。
身も心も別人になっている
帰り道にはあなたはいままでの罪深い人間ではなく、心も体も美しくなり、より人にやさしく愛情あふれた別人になったと思うことが大事です。そして家に帰るその道すがら、いままで冷たく当たっていた家族や友達や同僚たちにも、もっとやさしく接しようと強く心に決意をすることが大切です。こう思えなければお寺にお参りした意味は全くありませんので、常に気をつけて何度もお寺をお参りすることによって自分を高めていかなくてはならないと日頃から想うようにしましょう。
忘れない
別人になって家に帰ってからも、そのことを忘れないように何度も思い起こすことが大事です。そして、毎日一歩ずつ人間として善い方向へと進歩するよう心がけましょう。

一日のはじまり
そして眠る前にも今日の一日はどうだったのか、よかったところ、悪かったところをチェックしましょう。よい部分がある時は素直に自分をほめることも大事です。そして悪い部分があれば、明日からしないように決意したまま眠りましょう。
次の日の朝、昨日のことを思い出してから外出しましょう。今日は昨日とは違うよりよい人間として振る舞えるよう努力しましょう。
私だけが私の主人である。
私だけが私の敵でもある。
善悪のいづれを為すのか。
私だけが審判なのである。
Udānavarga, XXIII




