2018.05.15

喜びに支えられて

「楽しみばかり追い求めてはだめですよ」

修行するのは大変です、つらいですと愚痴ばかり言っていると、ある時お坊さんに窘められました。

「私の母も毎日コルラに行きます。それも楽しみのために行くわけじゃないですよ。本当は膝が悪くて歩くのが大変なんです」

自分の身体を顧みず、功徳を積むお母さん。でも仏教は幸せをもとめるためのものであるのに、なぜわざわざ辛い思いをしなければならないのでしょう。「全ての生き物が楽を望み、苦を厭う」といいながら、どうして、苦しい修行を行う必要があるのか。なんだか矛盾しているように思えますが、それは結局、私達が本当の苦しみと本当の幸せを理解していないからだと思います。

私たちが普段「楽」と思っているものは、実は一時的であり「苦」を本質としています。反対に、私達には苦しみとしてしか映らないみすぼらしい行者たちの生活は、恐れも心配もない、「楽」の道です。そのことを、なかなか理解することが出来ません。

苦しみは誰でも嫌です。ですが苦しみがあるからこそ、法を実践しようとする思いが生じます。六道輪廻のうち、人間が一番いいと言われるのも、「天に生まれるとその生活が幸せすぎて、法に心を向けることができないからですよ」と、何度もお坊さんたちから聞きました。

では、どうすれば今生の楽ばかりを求めずに、法に専一になれるのでしょう。仏道修行に精進する、その精進とは「喜ぶ心」と、教えてもらったことがあります。

「嬉しい、楽しいと思えば『やるな』って言われてもやりたくなるでしょう?その喜びの気持ちを持つことが大切ですよ」

確かに、子どもたちにいくらゲームをしては駄目ですよといっても、やめられないのと同じことですね。世俗の生活の苦しみを正しく理解してそこから出離の想いが起こし、真の幸せを求める始めたとき、たとえその歩む道が厳しい道であったとしても、自身の行いに喜びを見いだせるのでしょう。

先生方のように、仏の教えを歩むことを喜べるようになりたいですね。

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