2015.11.17

慎ましく、自分と向き合いながら生きるという厳しさ

「できる、できないとに関わらず、これまで皆さんが知りたいと思っていらっしゃることを一緒に勉強してきました。学んだことを自分の心に置いて、日々の生活の中で実践してください。家族や夫婦といった関係の中で、怒りをできるだけ小さくし、心やさしくあれるように努力してください。慈悲でもって利他の行いを行ってください。法を勉強したのですから、怒りでもって喧嘩ばかりしていてはだめですよ。どうぞみなさんお体に気をつけて、仏教の勉強を続けてください」

京都での法話会の終わりに、ゲンチャンパは参加者に向かって語りかけられました。

ゲンチャンパは、本当に慎ましい方だと思います。

「普通の人っぽいのがいいよね」

と参加者の方が言っておられるのを聞いたことがありますが、本当にゲンは控えめな方だと思います。多くを語られませんが、だからと言って他人のことに無関心なのかといえばそうではありません。ゲンはよく周囲のことを見ていらっしゃいます。「あれが欲しいな、あれをしなきゃ」と思うとき、人より先にゲンは動いてらっしゃいます。私自身、何度頭が下がる思いをしたかわかりません。

ゲンのその謙虚さは、どこからくるのでしょうか。悪くとれば、他人に無関心だとある人には映るかもしれません。しかし、ゲンは仏教の教えを日々自分の中で実践しているからこそ、あの謙虚さがあるのではないでしょうか。昔、理事長が「お坊さんたちは冷たいというか、他人に関心がないよ」とおっしゃった言葉を今でも思い出します。イバラの道を歩くためには、イバラ全体に覆いをするのではなく、自分の足に靴を履くことが必要です。それと同じように、一切衆生を救うためには一人一人を救うより、まずは自分自身が仏とならなければなりません。それは決して容易い道ではありません

ゲンチャンパに教えてもらったことを心に刻み、日々自分自身と向き合いながら慎ましく生きていければなと思います。


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