常に忘れないこと、常に自己を監視できること


Created: 2013-09-30 Last updated: 2016-09-14 Author:野村 正次郎

本日の定例法話会では、ジェ・ツォンカパの『菩提道次第論略論』の止(奢摩他)の章のなかで、対象に心を向けた後に如何に止を実現するのか、という箇所についてゲシェー・チャンパが解説した。

日本別院では毎月『菩提道次第略論』を少しずつ読解しているが、これはツォンカパが晩年有名な著作『菩提道次第広論』(ラムリム・チェンモ)をもういちど自らの手でまとめ直したものであり、比較的短いテキストであるが、内容もまとまっており、日本別院の開創以来このテキストを解説している。

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チベット仏教の法話会は、一般の方向けにやっているものであるが、我が国の法話会に比べると比較的難しい。というのも法話というのは、あくまでも仏教を知るためにやるものであるのであって、あまり雑談のようなものは挟まないでやるのが通例であるからである。

今日のお話のなかの主要なテーマは禅定(精神の集中状態)を実現するためには「念」(継続的に想起していること)というものが重要であるというお話である。テキストには次のように説かれている。

さて、禅定とは、心が所縁に対して心一境に住する分のことである。しかも所縁に継続的に定住していることが必要とされている。そのためには心を根本所縁から散乱させないための方法と、散乱しているのかどうかを知るというこの二つのものが必要となるのであり、前者は正念であり、後者は正知である。『大乗荘厳経論』では「念と知は繋ぎ止めるものである。ひとつは心を所縁から逸脱させなくしているからであり、第二のものが、心の逸脱を知る者であるからである。」と説かれているのである。

これを現代的に分かりやすく言うのならば、そもそも精神集中というのは、精神がある目的としているひとつの対象に継続的に向かっていることであり、継続しているということが必要である。だからこそ、当初の目的としている対象から心が逸脱しないためには、常に対象を忘れない記憶の維持とと自らの精神状態を監視して検閲する心とが必要であるということである。

また「念」(記憶の維持)とは何かということについて、ツォンカパは、確定した対象を忘れないこと、そしてその対象とは別のところへと心が散乱しないことであると説いている。心も体も身軽である「軽安」という状態である「止」を実現するために最も重要なものが、この「念」であり、禅定の作法の鍵を握っているのが、この「念」なのである。

この話はもちろん仏教の教義を説くものであるが、一般に仕事や私生活にあてはめてみても同じことが言える。何かの目的を実現したい、と思うときは、まずはその目標を正しく設定しなくてはならないし、その目標に対して集中することは非常に重要なことである。そしてその集中を維持するためには、目標を見失わないことは極めて重要なのである。

もちろん私たちの日常生活や仕事のなかで何かの目標を達成するために様々な障害や雑務があることは当然だろう。私たちはその雑事に忙殺されて時には目標を見失いかけることもよくある。しかし、ひとつのことすら実現できないのに多くのことは実現できるわけがない、そういった当たり前の事実をこの「止」に関する教えから私たちは学びとることができるだろう。

私たちは何かにフォーカスしなければ何も達成できないし、そのフォーカスした目標に自分がむかわず、対象を常に忘れないこと、そして自らが自己を監視して、目標から逸脱していることをやっていないかどうか、を常に振り返る必要がある、この大切なことを今月の法話から私たちは学ぶことができたと思われる。