Last Updated: 2018.12.08
ཚད་མའི་བསྟན་བཅོས་སྡེ་བདུན་གྱི་རྒྱན་ཡིད་ཀྱི་མུན་སེལ་

量七部論荘厳 心闇払拭 (1)

ケードゥプジェ・ゲレクサンポ著
訳注:村上徳樹

インド語で、Pramaṇashāstrasenasaptaalaṃkaramanatanāmaという(1)pramaṇaśāstrasenasaptālaṃkara まではチベット語の題名 tshad ma’i bstan bcos sde bdun gyi rgyan に対応しているが、それ以降は対応しておらず、ケードゥプジェ・ゲレクペルサンポ(mKhas grub rje dGe legs dpal bzang po, 1385-1438, 以下ケードゥプジェ)がサンスクリット語で如何なる題名を想定していたかは不明。なお、翻訳にあたりタシルンポ版、ショル版、クンブム版を参照したが、同箇所に関してこれらの版本に異同はない。

チベット語で、ཚད་མའི་བསྟན་བཅོས་སྡེ་བདུན་གྱི་རྒྱན་ཡིད་ཀྱི་མུན་སེལ་という。

至尊文殊に帰依します。

甘露の光を放つ冠によって荘厳されている長髪を垂れている黒き頸のもの(自在天)が、頭頂によって御足の蓮華に蜂の如く集まる。その御身は宝山の輝きを凌駕し、その威光の重荷に耐えかねて大海を衣とするもの(大地)が震動すると思われる。曙光のごとき仏の御業によって矢を持する魔の首領を退け、心の底に眠っていた禁戒をおこさせた。六十の幹を持つ(2)この帰敬偈は釈尊に対するものであるが、六十の幹というのは釈尊の言葉のすばらしさを讃歎するために比喩的に用いられているものである。六十の幹が具体的に何を意味しているかについては、『梵蔵漢和四訳対校 翻訳妙義大集』(榊亮三郎、臨川書店、平成10年復刻版) pp.36-40 にある「六十種音名号(ṣaṣṭy-aṅga-sarva-nāmāni)」下の各項を参照されたい。、足から水を飲むもの(樹木)によって荘厳されている御言葉の大海たる牟二の御教説が、世間の破滅を退けんことを。

そのお方は、無辺の衆生のために利益と安楽という重責を、頂に月を持てるもの(自在天)の冠の如く、悲心の最上の飾りとしてよく背負い給う。功徳という花を信心という両手で少しばかり掌にのせるならば、陽光の如く、智慧の光によって無知という闇を払拭する光が拡散する。衆生の心の睡蓮〔を開かせる〕寂静なる水面〔に映る〕月光は、一切知者の智慧が全て〔を知るが〕如く、普く覆い尽くす吉祥なる功徳を有する。橙の(3)クンブム版(2a3)では「深紅の爪の」(rab dmar sen mo’i)となっているが、ショル版(2a1)とタシルンポ版(2a1)に従い、「橙の」(rab dmar ser mo’i)と読んだ。花弁を揺らす文殊の御足の蓮が陽光によって開花するが如く、私の智慧という蓮も開かんことを。

資糧という宝石は水晶より成り、三学という満月は正理の冷光を放つ。論敵たるラーフの過失を離れているディグナーガとダルマキールティという月は最上の中でも最上である。

牟二の教示という金網によって御尊顔は荘厳され、四摂法という歩みを有する心はこの上ない。清浄なる智恵と悲心という純白な牙を完全に備えている象王の御足に帰依いたします。

正理の自在神の無垢なる真意をありのままに分析することについて、吉祥なるダルマキールティと同等の智恵の眼を得て、正理の道を違うことなく明確に私が説明しよう。そうであるから、此の世で、智恵の眼が眩まされたことにより、重要な意味のその一部さえ明らかにする力はないけれども、典籍だけを読むことによって寿命を尽きさせている者達、彼等はひとまず休息したまえ。

謬説という森を灰燼に帰し、偽説の岩山を名だけのものとなす、雲中より来たった私の智恵という聖言と正理たる一千万の雷が今降り注ぐ。そのことにより、蒙昧にもとづく偽説という毒水に酔って、仏が示された広大なる典籍を見ていないけれども、自己が創作したまがい物を自分勝手に広めている者達、彼等全ては〔私の言葉に〕耳を傾ける時が来た。

百の正理形式を有するただ一人の盟友と千の光を有する善説が今ここに現れる。六足を有する〔蜂の如き〕智恵明かな者達は、耳に心地よき否定と定立をいま説き給え。

ここで、善逝のお言葉のなかでも重要な蔵であり、極めて深淵なものである論蔵の密意を確定し、解脱を求める者が解脱と一切知者へと赴く三乗道の要点すべてを、別の解釈に導きえない量の道を通じて示す、至尊文殊の御心から生まれた御子息にして偉大なるお方、師ディグナーガ父子、彼等が著された量論すなわち七部〔量〕(4)七部量論とはダルマキールティ(Dharmakīrti, 600-660頃)が著した次の七つの論理学書を指す。1. Pramāṇavārttika(D. No. 4210)、Pramāṇaviniśccaya(D. No. 4211)、 Nyāyabindu(D. No. 4212)、 Hetubindu(D. No. 4213), Saṃbandhaparīkṣā(D. No. 4214)、Vādanyāya(D.No. 4218)、 Saṃtānāntarasiddhi(D. No. 4219)。と経(『集量論』)における真意の確定に四つある。すなわち、量論の必要性の確定、その必要性がどのように量論に依存するか、その必要性を有する量論は尊重されるべきものであると教誡すること、量論で説かれる中心内容の確定である。

A1 量論の必要性の確定

A1には、必要性に対する誤解の否定、正しい必要性の説示との二つがある(5)本稿で翻訳する箇所の科文は、ケードゥプジェの師であるツォンカパ・ロサンタクパ(Tsong kha pa bLo bzang grags pa, 1357-1419)による論理学講義の備忘録 brJed byang chen mo の冒頭部分の科文とほぼ同様であり(東洋文庫[1997]p.205、[1998]p.39参照)、彼の講義をベースにして sDe dbun yid kyi mun sel の当該箇所が著されたと推察できる。

B1 必要性に対する誤解の否定

B1には、解脱を求める者に必要ないという誤解の否定、場所の違いから必要ないという誤解の否定、必要ではあるが副次的なものであると主張することの否定がある。

C1 解脱を求める者に必要ないという誤解の否定

〔他説の提示〕ある者は〔次のように〕言う。〔すなわち〕「これら量論は、解脱を求める者に必要ではない。なぜならば、論理に関する典籍であるので、内明蔵から外れたものとなっているからである」と言う(6)ディグナーガ(Dignāga, 489-540頃)やダルマキールティが著した量論が内明蔵に含まれるか否かの問題については Stcherbatsky[1930]を嚆矢として、羽田野[1986]に収録されている1954年に発表された論文(「チベット仏教学の問題」『文化』第18巻第3号)、Kuijp 1979、松本[1982]、木村[1986]、ツルティムケサン/藤仲孝司[2011]で言及されている。特に、木村[1986]では、それまでの研究史が要領よくまとめられており、当該の問題についても詳しく考察されている。また、ツルティムケサン-藤仲孝司[2011] 註0-6)では本稿で翻訳する箇所と関連する問題に関して、チベット学僧の見解がまとめられているので参照されたい。

〔答え〕それに対して説明しよう。それもすなわち「論理」というものには二種類ある。つまり、異教徒の教示者である仙人ドヴァイパーヤ(7)ドヴァイパーヤナ(Dvaipāyana)とは、大叙事詩『マハーバーラタ』(Mahābhārata)などの著者とされる仙人ヴィヤーサ(Vyāsa)である。などにより、分別知によって仮設されただけの点から設定された論理と、他方『大乗荘厳経論』で、

論理とは、自立的なものではなく、不確定なものであり、部分的なものであり、世俗的なものであり、退屈なものであり、愚者に依存するものであると考えられ。(MSA I 12)

と説明されているように、実在の真実は対象的普遍だけが捉えられることを通じて分別知によって確定しなければならないが、その非現前なもの〔である実在の真実を理解する方法〕を論理としているものである。それ故に、それら〔の論理〕を示す典籍は「論理に関する典籍」と呼ばれるのである。

これらの量論が、前者に関する論理の典籍であるとはあなた自身も認めていないが、正理によっても成立していない。なぜならば、〔量論とは、異教徒の教示者ではなく〕自己〔すなわち仏教〕の教示者たる一切知者に従って設定された典籍だからである。

後者に関する論理であるので、解脱を求める者に必要ないと主張するならば、加行道世第一法以下は解脱を求める者に必要ないことになってしまう。なぜならば、〔加行道世第一法以下は〕法性を対象的普遍というあり方によって客体としなければならないからである(8)ケードゥプジェの理解では、見道以上は法性を直接認識するが、加行道では法性を直接認識することなく、対象的普遍を媒介とする分別知によって認識する。rTogs dka’ ba’i snang ba 42b5 の記述などを参照。

〔量論が〕内明の典籍ではないと主張することも妥当ではない。なぜならば、「内明の典籍」というものは、所断である無明を捨て去り、〔その無明を〕退治するものである無我を理解する智慧を生じさせる方便を示す典籍に対して言うのであるが、これらの量論でも人法の無我を正理によって正しく確定してから、増上慧学を主要な内容として示しているからである。(9)ケードゥプジェの理解では、増上戒学を説くのが律蔵、増上心学を説くのが経蔵、増上慧学を説くのが論蔵である。量論も増上慧学を主要な内容としているので、内明の典籍に含まれるとしている。rTogs bka’ ba’i snang ba 9a3-5 を参照。

その〔内明であるための条件を〕満たしているにもかかわらず〔量論が〕内明〔を説く典籍〕とならないならば、内明蔵とは如何なるものであるかを主張したまえ。

一般的に内明でないことだけで解脱を求める者に必要ではないと主張することも、分別知の倒錯である。なぜならば、五明処に精通せずして一切知者とはならないからである。

そのようにまた『大乗荘厳経論』で、

五明処に励むことなくして最高の聖者も決して一切知者とはならない。従って、他者達を打ち負かすことと〔他者達を〕救うこと、および自己自身が知るために、それ(五明処)に彼は努めるのである。(MSA XI 60)

と説かれているのである(10)同偈をプトゥン・リンチェンドゥプ(Bu ston Rin chen grub, 1290-1364)は、量論が内明蔵に含まれない典拠として引用している。木村[1986]p.368および註(13)を参照。

〔反論〕そうであるならば、これら〔量論〕が内明蔵に含まれるならば、因明に関する典籍ではないのではないのか。

〔答え〕〔量論は〕因明に関する典籍でもある。なぜならば、「因明」ということの意味は、「根拠に関する学問」ということであるが、これらの量論も、取るべきものと捨てるべきものの要点を正しい根拠を通じて認識させる方便の主要なものだからである。

それ故に、内明に関する典籍と因明に関する典籍とに矛盾はないのであり、内明のみの典籍である『律経』のようなもの、内明と因明との両者に関する典籍である量論のようなもの、因明のみに関する典籍であるバラモン、アクシャパーダが著した論理の十六項目を示す典籍のようなもの(11)アクシャパーダ(Akṣapāda)とは、ニャーヤ学派の開祖であり、別名ゴータマ(Gautama)ともいう。ニャーヤ学派の根本経典である『ニヤーヤ・スートラ』(Nyāyasūtra)の作者とされている。
〔内明でも因明〕でもない医学についての典籍のようなもの、この四分類となるのである。

このように〔理解する〕ことなく、〔量論が〕ただ単に〔現量と比量という〕二つの量、証因、論証式の提示、論難を示すだけの因明〔に関する典籍〕であるので、内明に関する典籍ではないと主張するならば、勝者のお言葉も内明蔵ではないことになってしまう。なぜならば、〔勝者は〕それら二つの量や証因などを教示しているからである。

それもつまり、世尊のアビダルマに関する経典で、「眼識によって青を認識するのであり、青である、と〔認識するの〕ではない(12)現量が分別知を離れている教証として TSP p.12, l.22 に引用されている。なお、ケードゥプジェは、以下で量論が仏説にもとづくものである典拠を列挙しているが、ケードゥプジェに先行するチョムデン・リクペーレルディ(bCom ldan Rigs pa’i ral gri, 1227-1305)が著した sDe bdun me tog でもその冒頭で量論が仏説に基づくものであることが述べられ、同様の教証が列挙されている。sDe dbun me tog pp.3-4 を参照。」とか、「眼と色形などに依存して眼識が生じる」(13)三縁(増上縁・等無間縁・所縁縁)ではないが、縁起を議論する文脈で AKBh p.138, l.24 に引用されている。他の教証は TSP からのものが多いが、筆者が調べた限り TSP に見いだすことはできなかった。云々によって、感官現量と三縁とを説かれている。また、『十法経』で、「煙から火を知り、水鳥から水を知るように、思慮深い菩薩の種姓は所相から知られる」(14)Ārya-daśadharmaka-nāma-mahāyānasūtra(Derge No.53)167b7。また結果因の教証として TSP p.13, ll.3-4 に引用されている。と説かれているようなことにより、結果因とその〔結果因〕に依存する比量とが示されている。「何であれ生じることを本性としているもの、それらすべては滅することを性質としている」自性因の教証として TSP p.12, l.26, p.13, ll.2-3 に引用されている。云々によって、自性因とまさにその〔自性因〕を語る論証式が示されている。また、「私または私のようなものによって人を把握するのであり」と説かれていることによって可現不知覚因が〔示されており〕、「人によって、人が把握されるべきではない」云々と説かれていることによって不現不知覚因が示されているこの不知覚因に関する二つの引用は、TSP p.13, ll.6-8 に不知覚因の教証として引用されている。。また、ディールガナカが世尊に、「私は何も認めない」と申し上げた時、世尊が「〔そのように何も認めないと主張するならば〕何も認めないというその〔主張〕さえも認めないのか」と説かれていることなどによって、帰謬法と論難が示されている。(15)Vinayavastu(Derge No. 1, Ka)36b5 に「世尊にディールガナカが次のように言った。あぁ世尊よ、私は何も認めない。〔世尊が答えられた。〕汝は、私は何も認めない、というその主張さえも認めないのか」とある。なおケードゥプジェの理解では、帰謬法と論難とは同義である。sDe dbun yid kyi mun sel 206a4 参照。また、「これが存在するならば、これは生じる」TSP p.10, l.15 では業と果の結合関係が考察される際に引用されている。云々によって結合関係〔が示されており〕、明かりが生じた時に闇が滅するように、退治が生じた時に所断が滅すると示されていることによって、矛盾関係の設定が示されている。要するに、七部〔量論〕で説かれる大部分の内容は勝者の教説と個々に結びつきうるのであるが、多言を要するので記さない。

従って、これら量論が内明蔵でないならば、勝者の教説も内明蔵でないと認められなければならない。

さらにまた、世尊が、

比丘達または賢者達によって、焼かれ、切られ、磨かれた金のように、私の言葉のうちで考察されたものが取られるべきであり、〔単に〕敬うことによってではない。(16)TSP p.12, ll.19-20に引用されている。

〔世尊の〕お言葉の意味も量によって考察しなければならないと説かれており、また至尊弥勒も、

正理によって考察された善法は、常に魔によって妨害されない。(MSA VIII 9abc)

と説かれており、『入中論』でも、

諸々の凡夫は分別知によって〔輪廻に〕束縛されているが、分別知のないヨーガ行者は解脱することになる。従って、分別知を退けていることは、考察の結果〔得られるの〕であると賢者達は説かれている。(MA VI 117)

と説かれているが、正理に依存することなく言葉だけに盲従する者達は「機根鈍く盲信的な者」とすべての聖者達に知られているので、取るべきものと捨てるべきものの要点を正理によって考察することは「法に随順する者」と賢者によって讃えられるのである。

まさにそれ故に、正理による考察に励むことが論理のあり方であるので、解脱を求める者に必要ないという魔の囁きに思慮ある者は耳をかしてはならない。

C2 場所の違いから必要ないという誤解の否定

〔他説の提示〕ある者は〔次のように〕言う。〔すなわち〕「これら量論は異教徒を否定するだけのために必要なものであるので、彼等がいない場所で〔その典籍を〕聴聞し、思惟するといったことは意味がない」と言う。

〔答え〕これも、法を断ずる大きな誤解である。それもすなわち、前世と来世が存在しないので善をなし悪を慎むことが無意味であること、解脱と一切知者は存在しないのでその〔解脱と一切知者になること〕を成就するために道に勤めることは無意味であること、また、蘊を浄楽常我と見ることなどといった増益辺と損減辺すべてを否定する方便を詳細にこれら量論は確定している。よって、異教徒のいない場所で、自己の相続における増益を排除しなければならないか否か、無常、苦、空、無我などを理解する知を生み出さなければならないか否か、前世と来世の有無、原因と結果との結合関係、解脱と一切知者が存在するという確信を導き出さなければならないか否かをよく考えてみたまえ。

従って、後天的な増益が否定されないならば、見所断を捨て去る方便はないが、その後天的な増益とは学説論者によって仮設された増益である。それ故に、〔ディグナーガとダルマキールティは〕これら量論で後天的な増益を否定しようと望んで異教徒の主張に対する否定を示しているのである。〔単に〕異教徒と論争しようという思いだけから〔他説の〕否定と〔自説の〕確立を設定しているのではない。

C3 必要ではあるが副次的なものであると主張することの否定

〔他説の提示〕〔ある者は次のように主張する。すなわち〕「これら量論を聴聞し、思惟したならば、矛盾関係と結合関係を理解して他の学説の所説内容を理解する助けとなるので、〔味付けをする〕塩と同じものであり、それ自身にこれといった必要性はない」と主張する。

〔答え〕それも妥当ではない。なぜならば、これら量論では、四諦とその取捨および方便、法無我などといった三乗道の要点が過不足なく正理によって示されているからである。また、その〔量論で示されること〕以上に、聴聞、思惟、修習の基盤は別の典籍にもないからである。

B2 正しい必要性の説示

これら量論を著作する必要性も、牟二のみが解脱を求めることに対して欺くことのない権威であることを確立するためである。それも、その教示者〔たる牟二〕の教説が無過失なものと確立したことを通じて〔確立するの〕である。

そこで、教示者の教説は二つである。聖言の教説と証悟の教説とである(20)この二分類は AK VIII 39ab の「〔大〕師(仏)の正法は二種であり、教と証とをその自体とする」に基づいている。。前者(聖言の教説)は、

結びつきと最適の方便および人の目的を指し示す言葉は、考察するに値するものである。それ以外のものは〔考察するに〕値しない。(PV I 214)

と説明されているように、解脱を求める人によって望まれている目的、〔その〕目的を達成することができる〔目的に〕適した最上の方便、それも関連あるものとして示すものケードゥプジェは PV I 214a の「結びつき」(’brel ba / sambaddha) という語を説明する際、論理的に一貫した一つの事柄を主題として結びついていることであり、無関係なことを語ることではないと註釈している。Tik chen I 153a2-3 を参照されたい。、つまり、〔聖言の教説とは、この〕三つの特性を備えた〔仏の〕言葉に他ならない。その〔仏の教説〕を無過失なものと確立する仕方も、その〔教説〕によって語られる内容が現前である場合と非現前である場合は〔それぞれ現量と比量という〕量によって成立しており、完全な非現前であることを所説内容とする場合には、三つの考察によって清浄なものと確立した後に無過失なものと確立するのである。すなわち、

〔その内容が〕現前なことであれ、非現前なことであれ、成立している正理や自己の言葉によって拒斥されない典籍であるもの、それが採用されるべきである。従って、考察が働くことになる。(PV IV 108)

と説かれている通りである。

または、所説内容の第一義的なものが量によって成立しているものであると確立した後に、その〔所説内容の第一義的なもの〕と著者が同一であるという証因によって、所説内容の第二義的なものの教示者も無過失なものとして確立されるのである。なぜならば、第一義的なものに対して欺くことのないものが、第二義的なものに対して欺くものであることは不合理だからである。

その〔教示者の教説〕について、聖言の教説によって説かれる内容は、増上生である善趣の境地と決定勝である解脱と一切知者の境地および方便とにまとめられる。それも、相続に生じる順序に従って説明するならば、最初に増上生が相続に生じ、後に決定勝が生じるのである。第一義的なものと第二義的なもの〔という優劣に〕従って説明するならば、決定勝が第一義的なものであり、増上生が第二義的なものであるが、量によって確立する時、最初に決定勝と方便を量によって確立してから、その後に増上生を量によって確立させるのである。すなわち、

取られるべきものと捨てるべきものの真実を方便と共に確定していることによって、第一義的目的に対して欺くことはないので、他のことについても、〔欺くことのないものに違いないと〕推知される。(PV I 217)

と説明されている通りである。

証悟の教説とは、三乗の道と果である。それも、決定勝の境地と方便以外のものではないので、所説内容である証悟の教説を量によって確立したことを通じて、〔その所説内容を〕教示する聖言の教説を無過失なものとして確立するのである。その教説が無過失なものとして成立する時、その〔教説が無過失なものであるという〕証因が〔その教説の〕教示者を権威者として確立せしめ、さらに、〔その教示者によって〕説示された意味を如実に実践する僧伽も倒錯なきものとして成立するのである。

そのように仏のみが解脱を求めることに対する権威者であると成立した時、あらゆる種姓の者達の目的を叶えようと望む悲心と、増上意楽が清らかな大乗の種姓の者達は、仏以外に三種姓の目的を叶えることができるものはないという究極の確信を生じてから「仏を獲得しよう」というかつて起こしたことのない大乗の発心が生じ、〔既にそのような発心が〕生じている者には不退転の原因となる。他方、〔自己の〕解脱のみを求める者達も、仏のみが解脱を求める者にとっての教示者であると信頼して、その〔教示者〕によって示される道に依存して輪廻からの解脱を獲得するのであり、こ〔の教示者によって示される〕法とは別のカピラ仙などの教説には輪廻から解脱する方便はないという確信が生じ、この法の教示者と教説を理解して、信仰を得ることになるのである。

来世における安楽だけを望み求めている者達も、教示者である仏のみが権威者として成立した時、仏のみが来世における苦しみから〔自身を〕救済する帰依処であると捉えることになり、イーシュヴァラやブラフマンなどの自分自身も過失の束縛から解脱していない者達は、他者の帰依処たりえないと確信することになる。

聖言と証悟の教説を無過失なものであると確立したことを通じて、三乗道のあり様、定数、順序および力などについて別の解釈の可能性がありうるという疑惑が断ち切られた時、家畜を生け贄にすることによって善趣の境地を獲得したり、イーシュヴァラの灌頂、身体を痛めつける苦行が罪悪を浄化させて輪廻から解脱すると主張するなどといった全てのことは、幼児が無意味なことを語ること、または、業火によって苦しめられる火口に投げ入れられることと同じことであると見て、勝者による聖言の教説だけが聴聞と思惟の基盤であり、証悟の教説だけが修習の基盤であると確定するに至る。その聖言と証悟の教説を聴聞し、思惟し、修習することを通じて、解脱と一切知者を求める者達は活動することになり、ローカーヤタなどの邪説によって智慧の眼が眩まされたことによって、現世における安楽のみのために殺生などといったことを思いのままになしてしまう者達も、勝者の教説が無過失なものであると量によって確定したその時には、悪行の業道から逃れることになり、他世間における安楽に意識を向けていない者達も、〔善と〕一致していない原因を排除して白法道をとることになる。このことが量論の必要性であると思慮ある者達は知りたまえ。

A2 その必要性がどのように量論に依存するか

「教示者と教説が無過失なものであると量によって確定する」というそのことも、眼などが色形を見るように、凡夫が現量において確定する方便があるのではなく、比量という量によって確定しなければならない。そのような比量という量が生じることも、教示者である仏ならびに聖言と証悟の教説が無過失なものであると確立する過失のない証因こそに基づいている。そのような過失のない証因も、〔その証因の〕三条件が量によって成立していることに基づいており、すべての三条件も、最終的に凡夫の現量によって成立しなければならず、比量のみによって確立しなければならないならば、際限のないことが帰結してしまう。

従って、増上生と決定勝の境地を獲得したいという望みが生じてから、邪道を断じて正道を別のあり方によって導かれえない知によって如実に学ぶことは、教示者と教説に過失がないと量によって確定することに基づいており、その〔教示者と教説に過失がないと量によって確定すること〕も、証因とその〔証因〕の三条件を確立する量などに基づいている。そのことを別の可能性がありうるという疑惑を断ち切ることを通じて完全に示すのは、二人の正理の自在神〔すなわちディグナーガとダルマキールティ〕のお言葉以外に、真意を註釈する大部分の典籍には見られない。よって、これら〔量論〕に依存しなければならないと難なく成立するのである。

A3 その必要性を有している典籍を尊重するべきであるという教誡

輪廻から解脱しようと望んでいる自他の者達は、輪廻の根本を断ち切る方便を倒錯なく示すこれらの量論を尊重することが妥当である。空腹を満たすことだけを求める者達にさえも、食料と飲料を大切なものとして捉えることが見られるならば(17)ショル版(7b6)では「捉えることが見られないならば」(’dzin par mi mthong na)となっているが、クンブム版(8a5)とタシルンポ版(7a3)に従い、「捉えることが見られるならば」(’dzin par mthong na)と読んだ。、最高の境地を求める者と自認しており、機根鋭く思慮深いと自認しているにもかかわらず、切望し望まれるべき最高の境地とその方便、つまり、量によって確定されるというあり方に基づいているものを尊重するべきものとして捉えることなく、これら量論が論争に終始しているテキストであると表面的なことだけを捉えて、道とそうでないものについての表現すらもこれまで耳にしていないならば、その意味に精通していないことは言うまでもない。〔そのような、一人で〕洞窟で時を過ごし、自己の独善的な思考に心の底から陶酔しているある愚か者が、言葉の羅列を勝手気ままに語ったことを「禅定家の口訣」と名付けて宝ものであるかのように捉えている。このような者は、機根鋭き者でないことは言うまでもなく、信仰に随順する者ですらもない。なぜならば、信仰されるべき対象でないものを信仰しているからである。それ故に、そのようなことは思惟が本質に至っておらず、泡沫を依るべき土台としていることと同じことである。

それも、このような量論に対して聞思修によって向かう時にも、自他の輪廻している者が活動したり退いたりする次第は如何にあるべきかと考察する知によって聴聞や思惟などに励むべきであり、自分のある仲間と冗談を言い合うだけのためにその典籍に向かうならば、自身も損害を受けることになり、他者も典籍を敬わない原因となる。従って、知ある者達は彼等自身の知の過失によって、賢者の善説を悪説となしてはならない。

A4 量論で説かれる中心内容の確認(18)B1下で展開される『集量論』や『量評釈』の章立ての議論についてはKuijp[1979]、ツルティムケサン=ー藤仲孝司[2011]註0-6)を参照。

A4に、量論で説かれる中心内容の確認と、まさにその〔量論で説かれる中心内容の〕意味の詳説との二つがある。

B1 量論で説かれる中心内容の確認

『入正理論』で、

現量と比量は擬似〔現量と擬似比量〕とともに、自己自身が理解するためのものである。他方、論証と論難が擬似〔論証と擬似論難〕とともに、他者に理解させるためのものである。

と説かれている(19)宇井伯寿『仏教論理学』大東出版社、1936、p.363 にサンスクリット原文がある。ケードゥプジェの引用は、原文 sādhanaṃ dūṣaṇaṃ caiva sābhāsaṃ parasaṃvide/ pratyakṣam anumānaṃ ca sābhāsaṃ tv ātmasaṃvide と、前半と後半が逆になっているが、ケードゥプジェが引用している通りに訳した。ことによって、自己自身が教示者と教説とを無過失なものとして量によって確定する方便と、確定した後に〔教示者と教説とを無過失なものとして〕他者に理解させる方便との二つ〔が示されている〕

前者は現量と比量である。それも自己自身が確定した通りに対象において存在しているか否かは、確定する主体である知が正しいものとなっているか否かに基づいており、その〔知〕に関して、現前していないものを確定する過失のない知は比量であり、現前しているものを確定する過失のない知は現量という量であるので、現量と比量という二つの量が説かれている。それら〔現量と比量〕以外の知に従うならば欺かれることになるので、道における過ちを断ち切るためのものとして擬似現量と擬似比量との二つが説かれている。

自己が確定した後に他者に理解を生じさせるためのものとして、真性のものと擬似的なものとの後の四つ〔すなわち論証と論難および擬似論証と擬似論難〕が説かれている。それも一面的に捉える誤解を滅するために論難が示されており、二つの可能性がありうると疑う疑惑を排除するために論証が説かれている。さらに、過ちを断ち切るために二つの擬似的なもの〔すなわち擬似論難と擬似論証〕が説かれている。

従って、量論における完全な中心内容は三章にまとめられる。つまり、「現量章」「為自比量章」「為他比量章」である。

〔反論〕そうであるならば、『集量論』が六章に分けられているのは如何なる〔意味〕であるのか。〔答え〕「喩例の考察」と「排除の考察」との二つは「為自比量章」にまとめられ、「誤謬の考察」は「為他比量章」にまとめられる。

それ故に、『集量論』と『量評釈』『量決択』の二つおよび『正理一滴論』は、完全な中心内容を備えた量論である。七部量論のうちの残りの四つは補足的な典籍であり、中心内容が完全〔に説き尽くされたものでは〕ない。それも、『因一滴論』と『結合関係考察論』は「為自比量章」から、『他相続確立論』は「現量章」から、『論難正理論』は「為他比量章」から〔それぞれ〕派生したものである。

〔反論〕そうであるならば、『量評釈』に四章あるのは如何なる〔意味〕であるのか。〔答え〕教示者と教説とが無過失なものであると確立する仕方が典籍で説かれる主要なことであるので、まさにそのことを示すために「量成就章」が説かれたのである。その教示者と教説とが無過失なものであると量によって確立することも、正しい証因を通じて確立しなければならない。よって、その〔正しい証因〕を確定するために「為自比量章」が示され、証因が過失のないものとなることも、三条件が最終的に現量によって成立することに基づいている。それ故に、現量という量を主として確定するために「現量章」が説かれている。その自己が確定したことを他者に示す方便を示すために「為他比量章」が説かれたのである。

量論における中心内容を説明し終えた。

量論は蜜蜂〔が集う蓮のごときであり〕解脱道の源泉である。
その蓮の花が開花すること対して、
月光のごとき賢者であると自認している他者達は蓮の開花を妨げる。
陽光のごとき私の智慧の光のみ〔が蓮の花を開かせる〕

これは中間偈である。

1 pramaṇaśāstrasenasaptālaṃkara まではチベット語の題名 tshad ma’i bstan bcos sde bdun gyi rgyan に対応しているが、それ以降は対応しておらず、ケードゥプジェ・ゲレクペルサンポ(mKhas grub rje dGe legs dpal bzang po, 1385-1438, 以下ケードゥプジェ)がサンスクリット語で如何なる題名を想定していたかは不明。なお、翻訳にあたりタシルンポ版、ショル版、クンブム版を参照したが、同箇所に関してこれらの版本に異同はない。
2 この帰敬偈は釈尊に対するものであるが、六十の幹というのは釈尊の言葉のすばらしさを讃歎するために比喩的に用いられているものである。六十の幹が具体的に何を意味しているかについては、『梵蔵漢和四訳対校 翻訳妙義大集』(榊亮三郎、臨川書店、平成10年復刻版) pp.36-40 にある「六十種音名号(ṣaṣṭy-aṅga-sarva-nāmāni)」下の各項を参照されたい。
3 クンブム版(2a3)では「深紅の爪の」(rab dmar sen mo’i)となっているが、ショル版(2a1)とタシルンポ版(2a1)に従い、「橙の」(rab dmar ser mo’i)と読んだ。
4 七部量論とはダルマキールティ(Dharmakīrti, 600-660頃)が著した次の七つの論理学書を指す。1. Pramāṇavārttika(D. No. 4210)、Pramāṇaviniśccaya(D. No. 4211)、 Nyāyabindu(D. No. 4212)、 Hetubindu(D. No. 4213), Saṃbandhaparīkṣā(D. No. 4214)、Vādanyāya(D.No. 4218)、 Saṃtānāntarasiddhi(D. No. 4219)。
5 本稿で翻訳する箇所の科文は、ケードゥプジェの師であるツォンカパ・ロサンタクパ(Tsong kha pa bLo bzang grags pa, 1357-1419)による論理学講義の備忘録 brJed byang chen mo の冒頭部分の科文とほぼ同様であり(東洋文庫[1997]p.205、[1998]p.39参照)、彼の講義をベースにして sDe dbun yid kyi mun sel の当該箇所が著されたと推察できる。
6 ディグナーガ(Dignāga, 489-540頃)やダルマキールティが著した量論が内明蔵に含まれるか否かの問題については Stcherbatsky[1930]を嚆矢として、羽田野[1986]に収録されている1954年に発表された論文(「チベット仏教学の問題」『文化』第18巻第3号)、Kuijp 1979、松本[1982]、木村[1986]、ツルティムケサン/藤仲孝司[2011]で言及されている。特に、木村[1986]では、それまでの研究史が要領よくまとめられており、当該の問題についても詳しく考察されている。また、ツルティムケサン-藤仲孝司[2011] 註0-6)では本稿で翻訳する箇所と関連する問題に関して、チベット学僧の見解がまとめられているので参照されたい。
7 ドヴァイパーヤナ(Dvaipāyana)とは、大叙事詩『マハーバーラタ』(Mahābhārata)などの著者とされる仙人ヴィヤーサ(Vyāsa)である。
8 ケードゥプジェの理解では、見道以上は法性を直接認識するが、加行道では法性を直接認識することなく、対象的普遍を媒介とする分別知によって認識する。rTogs dka’ ba’i snang ba 42b5 の記述などを参照。
9 ケードゥプジェの理解では、増上戒学を説くのが律蔵、増上心学を説くのが経蔵、増上慧学を説くのが論蔵である。量論も増上慧学を主要な内容としているので、内明の典籍に含まれるとしている。rTogs bka’ ba’i snang ba 9a3-5 を参照。
10 同偈をプトゥン・リンチェンドゥプ(Bu ston Rin chen grub, 1290-1364)は、量論が内明蔵に含まれない典拠として引用している。木村[1986]p.368および註(13)を参照。
11 アクシャパーダ(Akṣapāda)とは、ニャーヤ学派の開祖であり、別名ゴータマ(Gautama)ともいう。ニャーヤ学派の根本経典である『ニヤーヤ・スートラ』(Nyāyasūtra)の作者とされている。
12 現量が分別知を離れている教証として TSP p.12, l.22 に引用されている。なお、ケードゥプジェは、以下で量論が仏説にもとづくものである典拠を列挙しているが、ケードゥプジェに先行するチョムデン・リクペーレルディ(bCom ldan Rigs pa’i ral gri, 1227-1305)が著した sDe bdun me tog でもその冒頭で量論が仏説に基づくものであることが述べられ、同様の教証が列挙されている。sDe dbun me tog pp.3-4 を参照。
13 三縁(増上縁・等無間縁・所縁縁)ではないが、縁起を議論する文脈で AKBh p.138, l.24 に引用されている。他の教証は TSP からのものが多いが、筆者が調べた限り TSP に見いだすことはできなかった。
14 Ārya-daśadharmaka-nāma-mahāyānasūtra(Derge No.53)167b7。また結果因の教証として TSP p.13, ll.3-4 に引用されている。
15 Vinayavastu(Derge No. 1, Ka)36b5 に「世尊にディールガナカが次のように言った。あぁ世尊よ、私は何も認めない。〔世尊が答えられた。〕汝は、私は何も認めない、というその主張さえも認めないのか」とある。なおケードゥプジェの理解では、帰謬法と論難とは同義である。sDe dbun yid kyi mun sel 206a4 参照。
16 TSP p.12, ll.19-20に引用されている。
17 ショル版(7b6)では「捉えることが見られないならば」(’dzin par mi mthong na)となっているが、クンブム版(8a5)とタシルンポ版(7a3)に従い、「捉えることが見られるならば」(’dzin par mthong na)と読んだ。
18 B1下で展開される『集量論』や『量評釈』の章立ての議論についてはKuijp[1979]、ツルティムケサン=ー藤仲孝司[2011]註0-6)を参照。
19 宇井伯寿『仏教論理学』大東出版社、1936、p.363 にサンスクリット原文がある。ケードゥプジェの引用は、原文 sādhanaṃ dūṣaṇaṃ caiva sābhāsaṃ parasaṃvide/ pratyakṣam anumānaṃ ca sābhāsaṃ tv ātmasaṃvide と、前半と後半が逆になっているが、ケードゥプジェが引用している通りに訳した。

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