プロフィール


Created: 2010-07-27 Last updated: 2010-07-27 Author:事務局

1935年7月6日、チベット、アムド地方のタクツェル村に七人兄弟の三男として生まれる。幼名はラモ・ドンドゥプ。二歳の時に、観音菩薩の化身にして、チベットの政治・宗教の最高指導者「ダライ・ラマ」十三世トゥプテン・ギャツォの生まれ変わりに認定される。四歳の時にチベットの首都ラサへ迎えられ、1940年、ラサのポタラ宮殿にて第十四世として即位。ティジャン・リンポチェ、リン・リンポチェらに師事し、チベット仏教の伝統教学を学ぶ(僧侶としてはデプン・ゴマン学堂サムロ学寮に所属)。

 1949年よりはじまった中国共産軍によるチベット侵略問題を解決すべく1950年に政権に就き、1954年には毛沢東、周恩来との会談を行い、チベット・中国間の問題を平和的に解決しようとしたが、受け容れられなかった。既に首都ラサを制圧されていた1959年2月末、大祈願祭にてチベット仏教の最高学位「ゲシェー・ラランパ」の称号を取得。大祈願祭が3月5日に終了すると、3月10日、幽閉されていたノルブリンカ離宮に民衆が集結し、中国軍に抵抗して一斉蜂起するも制圧され、もはやチベット問題の平和的解決が不可能であり、国際社会に援助が必要であると側近に勧められ、3月17日にノルブリンカ離宮より脱出し、インドへ亡命。これに続き八万人のチベット人が同年インドへと亡命した。亡命後すぐに亡命政権を樹立し、中国政府との十七条の同意書を否決し、国際社会からの支援をもとめた。

 1963年、亡命政府の民主憲法の制定に尽力し議会を発足。1967年、はじめての外国訪問地として、日本、タイを訪問。1987年には米国議会にて「チベットに関する五項目和平案」を提案し、中国政府との対話を求めるものの、実質的には今日まで無視され続けている。1989年にはノーベル平和賞を受賞。1992年より再度民主化改革を行い、2001年、チベット亡命政府初の直接選挙で選ばれた首席大臣が誕生、2011年3月実質的な政権運営から退いている。

 自伝として『チベットわが祖国』があるほか、著書『善説明慧開眼』『真実請願文』などがある。英文での講演録が多く出版され、その和訳も多く出版されている。世界各地を講演旅行をしながらも、現在十二万人いる亡命チベット人の社会において、チベット仏教の最高指導者として数多くの説法会・伝授会を開催し、伝統教学の普及と仏教文化の保全活動を積極的に行なっている。今日でもなおチベット問題は解決していない。