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『水の教え』を読む
2020.07.05
もはや逃れようもない、絶体絶命の状態
無常の猛獣に捕まっているのに 楽しんで居たいと思うのは正しくない 鋭い鰐の牙の間に挟まれているのに 楽しい時など一瞬たりとも過ごせない 96 想像力が欠けている人は、たとえどんな危機に直面していても、のんびり過ごして、いまはきっとそこま […] このページにアクセス […]

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『水の教え』を読む
河が流れるように、私たちは死につつある
生まれてきた時その瞬間から 留まることもなく死神の方を向いている 河は流れてゆき如何なる瞬間であろうとも 逆流することなく海へと向かっている 95 いまは死なない、明日も死なない、そう思っているのは単なる甘い期待である。今晩眠り明日は朝 […] このページにアクセス […]

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『水の教え』を読む
2020.07.04
希有な存在を死後も継続するためにいまを生きる
須弥山から持辺山に至るまでの七つの内海や、極楽浄土などの仏国土を流れている水には、八つの良い性質があり、それは清涼で、美味であり、軽やかであり、まろやかな味であり、澄んでおり、悪臭もなく、飲んだ時に喉を損わず、胃腸を損なわない、という美しい水であると言われれている。 このページに […]

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『水の教え』を読む
2020.07.03
私たちは神々よりもよい船に乗っている
世界の三大宗教のなかで、人間以外の一切衆生という概念をもち、それに対する非暴力や愛を説いている宗教は仏教以外には存在していない。仏教では、幸福な社会というものを構成員として、微生物から人間や神々にいたるまでのすべての生物がその対象に含まれているのであり、私たちが人間としていまここ […]

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『水の教え』を読む
2020.06.23
聞思修は、彼岸まで泳いで渡るための特訓である
常に捉み 時に捉み 捉まずに 順を追って泳ぎを習ってゆくように 順を追って言葉に依存する 聞思修という三つが説かれている 92 本偈は、水泳の習得過程を、聞思修の修習過程に喩えたものである。 泳ぎを最初に覚える時は、最初はビート板や浮輪などの浮力のある補助具に常に捉まってまずは手 […]

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『水の教え』を読む
2020.06.22
他の生物に向けられる慈悲心こそ、砂漠化を防ぐ希望である
釈尊どんな如何に円満なる妙法を説いたとしても、あなたはそれを聞いて、それを正しく実践しないかもしれない。しかしそれは病人が薬の入った鞄を背負って歩いているだけで自分の病が治らないのと同じことなのである。 このページにアクセスするためには会員登録が必要です。

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『水の教え』を読む
2020.06.21
渇きを癒してくれる一杯の水のように
釈尊の教えは、明瞭簡潔なものから、甚深広大で難解なものまで様々がある。どんな人であっても、釈尊の説かれた、すべての教えを知ることなど出来ないし、網羅的にすべてを学ぶことが重要なのではない。 このページにアクセスするためには会員登録が必要です。

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『水の教え』を読む
2020.06.20
受信装置の微調整をして正法の器となる
私たちは日々様々なものを享受して生きている。しかしながら同時に私たちは、そのひとつひとつのものを丁寧に慎重に公平に享受している訳ではない。またひとつひとつのものをそのものの存在の意味と存在の価値を測りながら享受している訳ではない。 このページにアクセスするためには会員登録が必要で […]

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『水の教え』を読む
2020.06.19
水回りを清潔に保つこと、善知識に師事すること
我々が住んでいるこの南瞻部洲の北には、九つ黒い山があり、その先には雪山(himavat)があり、そこから香酔山(gandhamādana)のこちら側に縦横五十由旬ある巨大な池(湖)があり、それを「無熱悩池」(阿耨達池anavatapta/anāvatapta)という。 このページ […]

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『水の教え』を読む
2020.06.18
大海原を航海しようとする時は、船長の言葉に従わなければいけない
大海原を航海しようとするときに、さまざまな航海の経験に富んで、どんな時でも冷静沈着な知性のある船長を探さなければ、航海の途上で難破してしまう危険性があるように、仏教を学んで実践しようとするのならば、まずは師となるラマを探さなくてはならない。 このページにアクセスするためには会員登 […]

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『水の教え』を読む
2020.06.17
欺かないもの、これが真実の定義である
欺かないもの、これが真実の定義である。欺かないというのはどういうことか、ということかといえば、知に顕現するものと、実際に存在しているものが一致していることであり、顕現している通りに存在するものは、それを求めるならば必ず得られるものであり、真実であると言われる。 このページにアクセ […]

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『水の教え』を読む
2020.06.16
瑠璃色の地球を捨て、何処か別の星に行かなくてもいい
人はみな出逢うべき時に、出逢うべきものに出逢う、という。その出逢いをどれだけ大切にし真摯に受け止めるのか、それはその人間の力量次第である。私たちは幸いにして仏教に触れることができ、その教えは、どのように行動し、どのような言葉を発し、どのように思考すればよいのか、という指針が示され […]

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『水の教え』を読む
2020.06.15
諸仏の言葉が記された仏典の継承者であるということ
本偈は文殊大師と呼ばれるジェ・ツォンカパがインド・チベットの仏教の伝統をよく復興し、教学体系を清浄なものとして、釈尊の教説が五濁悪世によって堕落していたものを再び透明で澄んだ輝きのあるものとして再解釈した、ということを述べている。 このページにアクセスするためには会員登録が必要で […]

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『水の教え』を読む
2020.06.14
釈尊にはじまり釈尊に供えられる教誡
この偈は、釈尊を起源として、龍樹を開祖する文殊菩薩から継承されている甚深見次第と呼ばれる無自性空の思想的な伝灯と、無着を開祖として弥勒ら継承されている広大行次第と呼ばれる大乗菩薩行の実践の伝灯との二つの伝灯は、釈尊の説かれた教説を不転倒に注釈し、今日の私たちにその内容を完全な形で […]

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『水の教え』を読む
2020.06.13
私たちは心のなかに、正法の灯火をともせるのか
本偈は所謂、仏教論理学の根本命題である「世尊が量である」ということを検証することの重要性を説いたものである。我々仏教徒は、まずは釈尊の言葉に自ら真摯に向き合って、釈尊の言葉こそが正しい基準となるものであるということを理解していなければならない。 このページにアクセスするためには会 […]

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『水の教え』を読む
2020.06.12
煩悩障・所知障の二障を断じた、一切相智の正等覚ブッダの境地へと道を進めてゆく
煩悩障を断じただけでは、単に輪廻から自分自身は解脱できるが、寂静涅槃といってただ一人孤独に寂静のなかを住処とするに過ぎないのであって、一切の衆生を救済することはできない。一切衆生を苦海から救済するためには、無住処涅槃の境地を実現し、成仏し、一切相智を得て、無限の一切衆生を常に救済 […]

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『水の教え』を読む
2020.06.11
どんな時にでも、釈尊が説かれた業報思想と仏法僧を忘れずに在るならば、どんな世間の活動なども大したことではない
心は貧しく、意思薄弱な私たちは、自分たちの周囲に大きな変化や大きな災害がある場合、そのことを素直に受け止めることをせず、何か特別な出来事が起こっており、何か特別な対策が講じられなければならない、そしてそのためには何か特別な知識が必要であるというような錯覚を持つ傾向にある。 このペ […]

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『水の教え』を読む
2020.06.10
純然たる善なる動機をもつことの大切さ
本偈は、チベットの仏教に私たち日本人が触れるとき、何度も何度もチベットの僧侶たちが語る純然たる善なる動機の大切さを説いたものである。ジェ・ツォンカパの「よき志をもつのならば、地も道も良きものとなる」という大変有名な言葉とも通じる一偈が本偈である。 このページにアクセスするためには […]

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『水の教え』を読む
2020.06.09
岩の表面に善なるものを刻んでゆく
私たちは無始の過去から罪業を積んできて、それが習慣化しているので、罪業や罪深い心というものは、すぐに起こすことができる。たとえば誰かに対して嫌悪感をもったり、執着した好意をもつことはさほど難しいことではない。 このページにアクセスするためには会員登録が必要です。

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『水の教え』を読む
2020.06.08
やさしく微笑を伴うが、底知れぬ冷たい河のように
重みのある言葉というものがある。私たちは何かを語り、何かを人に伝えたいのならば、そのような重みのある言葉を完結に、的を得て語らなくてはならない。そしてその語り口は常に相手に対してやさしいものであり、自然と耳が傾けられていく。 このページにアクセスするためには会員登録が必要です。