2010.07.27

ロサン・プンツォ師ロングインタビュー

───先日大聖院に続けて日本にいらっしゃったのですが、その主な経緯と目的について簡単にお話ください。

 実は私たちは最初日本来る予定はありませんでした。というのももともと学堂からアメリカに3年間派遣されて行く予定だったからです。アメリカに行ってゴマン学堂の支部を立ち上げるという話があったからです。その予定で何度かインドのアメリカ大使館にヴィザの申請に行ったのですが、何度かチャレンジしましたが査証が発給されないで、そのままインドで何ヶ月も待機していたわけです。

 そうしているうちに、去年の8月ころに日本で砂曼荼羅を作るためのスタッフが必要だということで、先に日本に行ってからアメリカに行きなさいという話になりました。そこで11月の大聖院の行事に合わせて日本に来ることになりました。

 大聖院では薬師如来の砂曼荼羅を作り護摩法要などを行いました。その後事務所の方からの今後スタッフとして活躍してほしいという要請もあったなどもあり、アメリカに別にそれほど行きたいという気持ちもなかったので、アメリカへ行くのはお寺から別の人を派遣してもらうことにして、日本に居て、2006年にダライ・ラマ法王が来日するための準備などをすることになったわけです。

───薬師如来の砂曼荼羅の制作はどうでしたか?

非常によく仕上がりました。12日間かかって作成しましたが、かなりの出来栄えだと思います。

───日本の人の反応はどうでしたか?

いろんな人が製作中に訪れてくださり、大変評判がよかったですよ。お参りの人たちが「スバラシイ」とおっしゃってくださり大変よかったと思います。おかげさまで「スバラシイ」「スゴーイ」という日本語はすぐに覚えましたよ。

───日本についての第一印象はどうでしたか?

日本に来る前に日本に対してもっていたイメージは、食べ物があまりおいしくないだろうというイメージです。というのも小さいころから同郷の知人から「日本ではあまりおいしい食事にはありつけない」「日本の食事を食べるのは大変だ」という話を聞いていたからです。ですので、日本に行くことになっても多分食事は期待できないなと思っていました。日本の風土についてはもちろん分かりませんでしたので、「食事はあまり期待できないな」というくらいに思っていました。

実際に日本に来てみたところそれは間違いだったことに気づきました。日本に来てみると食べ物は全部おいしく思います。たぶんその知人は、日本に来たときにたまたま口に合わないものばかり食べてたんでしょうね。

日本の料理はほとんど美味しいと思いますが、私たちにとってちょっと難しいのが魚介類ですね。とくにエビやカニや貝といったものは、もともと食べたことがないので、ちょっと食べる気がしません。このあいだ所謂「会席料理」のようなものをご馳走してもらいましたが、残念ながら私たちにはあまり食べることができませんでした。うどんとかおでんとかカレーといった簡単なものはおいしくいただいております。

私たちはそういった軽食の方が口にあっています。お刺し身から始まるようなご馳走は遠慮したいですね。(笑)大体のところ、日本での食事にはあまり苦労はしていません。

 日本で特に気に入っているのは、日本の土地がらです。山や海や川に囲まれて、風景がすこしチベットに帰ったような感じがあることですね。私の生まれたカムにもよく似ています。気候もおだやかでとても快適です。冬になっても森林はそのまま残っていましたし、雪がふっても次の日には大体解けるのがいいと思いました。

───大聖院という日本の由緒あるお寺に滞在していたのですが、どうでしたか。

私たちは関西空港に到着してからすぐに大聖院に向かいました。到着して次の日から砂曼荼羅の制作にかかりましたので、ほとんど広島市内などにでかけることもなく、過ごしました。宮島は日本三景のひとつといわれているそうですが、本当に奇麗で自然に囲まれていい場所でした。日本は上海のようにビルが沢山ある場所かと思っていましたが、こんなに奇麗な場所があるとも思いませんでした。

大聖院では本当に楽しく過ごさせてもらいました。大聖院には常に真言宗の若い僧侶の方達がいて、我々チベットの僧侶に対してほんとうに心温まるきめ細かな接待で迎えてくれました。本当に心から感謝しています。私たちは日本語を話せないので、いろいろ話をしたいのにできなかったのが大変残念です。これから日本語を勉強してもっといろいろ話をして親交を深めたいと思います。

───日本の伝統的な宗派のお寺に滞在して、チベットの仏教の伝統との違いについて気にならなかったですか。

基本的にはあまり気になりません。 もちろん国や歴史や伝統が違うというのはあるのかも知れませんが、お釈迦さまの教えであるこには変わりないのではないかと思います。

大聖院で行われているご祈祷やさまざまな行事を見学させてもらいましたが、実際のそれほど違うなと思うことよりも、我々と同じだなと思うことの方が多かったです。

ただ建築や彫刻の仕方については我々とは違います。日本の寺院はほとんどが木と紙で出来ているのに対してチベットの寺院は石と砂と金属でできています。木と紙で出来ている建造物が何百年ももっているのには本当に驚くばかりです。

また仏像なども持ち物や格好などがちょっと形が違ったりします。でもこれは大したことではありません。私たちが通常見ているチベットの仏像であっても、日本の仏像であってもお経のなかに説かれた姿を元に作っているのでして、ほかの仏さまという感じはありません。観音菩薩にしろ我々衆生を救済するためにさまざまな姿をして、我々の前に現れるわけですので、持ち物や格好が違うからといって観音菩薩ではないと決めつけることなどできないのです。たとえば今日私は赤い靴下をはいていましたが、昨日は黄色い靴下を履いていました。昨日私に会った人がまた今日私に会ったとき「プンツォは黄色い靴下をはいているはずなんで、この赤い靴下の人はプンツォではない」といったら笑い草ですよね。それと同じだと思いますよ。

───最近日本人は信仰心・宗教心がないと言われていますが、日本の仏教徒についてどう思いましたか。

日本人は信仰心がないとは思えません。もちろん日本語もわからないので、心の奥底までのぞいたわけではありませんが、外から客観的に眺めたときに日本人の方は信仰心が篤いなと確信しています。

日本人の方はいつも礼儀正しく、人と接する時に相手に対して敬意をはらっています。特に我々チベットの僧侶に対しても、日本の僧侶に対しても、ほとんどの人が僧侶に対する接し方は、非常に丁寧で礼儀正しいものです。こういった行いが身に付いているというのは、信仰心のなせる業だと思います。信仰心に基づいて、歴史と伝統のなかで培われたものなのでしょう。

───これから日本に長く滞在することになると思いますが、日本でどんな活動をしたいと思っていますか?

我々僧侶にとって計画や将来のプランというのはあまり意味がありません。

お釈迦さまがお教えのとおり、わたしたちは明日をも知らぬ命なのです。ですので、来年までの目標はこうだとかああだといったことは実はあまり意味がなく、基本的には毎日毎日できるだけ仏教の教えを実践することに努めることが大切だと思っています。

ですから日本でどんな活動をしたいか、目標は何かと聞かれてもちょっと困りますが、デプン・ゴマン学堂の一僧侶として、またチベット仏教の一僧侶として、大聖院や浄土寺などをはじめとするデプン・ゴマン学堂とご縁のあるお寺のために自分たちが役に立つことをしたいと思っていますし、仏教やチベットのことに関心をもっている人たちのお役に立てればいいと思っています。

もちろん私のような人間がそれほどみなさんのお役に立てることはできないと思いますが、いまは一緒に活動しておりますケンスル・リンポチェは我々デプン・ゴマン学堂を代表する学者で立派な高僧ですので、ケンスル・リンポチェが日本で活動する上でのさまざまなお手伝をできるだけしたいと思っています。

──プンツォさんはチベットのお坊さんですが、出家して僧侶になるとならないのとでは気持ちの上でどんな違いがありますか。

出家して僧侶になるのとならないのとでは大きな違いがあります。僧侶になるということは同時に「生活の心配」というものから解放されることを意味しています。そして僧侶にならないということは生活の心配をして、同時に家族に対するさまざまな責任を追って生きなくてはならないことを意味しています。このような生活が大変苦労の多いことはみなさんもご存知の通りです。

僧侶になるということは私たちチベット人にとってはまずそのような生活から解放されて、学問や修行に専念できる環境を獲得するということになります。そして学問修行に専念しなければなりません。僧侶になれば、さまざまなことを学ぶことができますし、同時に学んだ知識を日々の修行に活用することができます。

たとえあまり充分に学ぶことができなかったとしても、毎日毎日の人生のなかで仏教の教えに従った修行をすることができます。そのことによって有意義な生き方をしようとすることができるようになるのです。もしも僧侶にならなかったのならば、生活に追われて修行する時間も充分にとれなかった可能性があります。

──お坊さんにならなければ、勉強することはできないんですが?

お坊さんにならなければ、学校に入って勉強することもできますが、私の場合には、学校へ入る機会もなかったので、お寺に入って勉強しようと思ったのです。ただ出家してお寺で勉強するのと普通の学校に行くのとでは、大きな違いがあります。

一般的に言うとお寺で教えてくれる先生はチベット文語文法や歴史についても詳しい先生がいますので、普通の学校よりもお寺で勉強する方が、より深く勉強をすることができるわけです。またさきほど申し上げたような違いもあります。

──プンツォさんは5人兄弟の長男だそうですが、ご両親は僧侶になることについて反対したりしませんでしたか。

両親の反対はまったくありませんでした。一般的にチベットの家庭では、子供が出家して僧侶になりたいと言ったときに、よろこんで褒める親の方が多く、反対する親はあまりいません。たとえば、私の兄弟は3人男で、男兄弟は全員僧侶になりました。両親は、我々が僧侶になったことに対してよろこんで、バックアップしてくれてのであって、僧侶をやめて家に帰って欲しいという思うことはないと思います。

チベットの家庭では小さなころから「人の役に立つように」という利他心を教えられて育ちました。私の場合には16歳の時に出家しようと思い両親に相談したところ、「それは素晴らしい、いいことだ。是非僧侶になりなさい。」と言われました。弟たちも同じです。同じようにして僧侶となりました。

──それではいざ出家してみるとやっぱり寂しいなという気持ちになりませんでしたか。

私の場合には実家の近所のお寺に出家しましたので、まったく寂しくはありませんでした。小さい子供の時に出家すればもちろん話は別でしょう。それに私たちが出家した時には、最初の4年くらいは日中はお寺ですごし、夜は家に帰って寝るという生活が続きました。お寺の方にも宿坊が限られていたからです。遠くからきた僧侶やお寺の役職についた人たちに優先的に宿坊が与えれましたので、わたしたちのような近所の街の出身者はそれぞれの実家から通わなければなりませんでした。

──お寺に入ってまずどんなことをするのですか?

お寺に入るとまず剃髪してそのあとから「沙弥戒」というのを授かります。同時に勤行の勉強をしなくちゃいけません。まずはお寺で普段呼んでいる常用経典などを暗記しなくてはいけません。それから「カンソ」と呼ばれる護法尊に対する供養の経典などを暗記しました。「カンソ」は結構長いのですが、大体は暗記することができました。ただ充分に暗記できたとも思えません。当時はお寺のいろいろな建物を直したり、新たに建設したりしていたので、そういったお寺の仕事が結構忙しかったのが原因です。

──経典を暗記する時に試験とか課題のようなものはあるのでしょうか。

毎日朝晩自習の時間があり、その日に覚えた経典を暗唱しなくてはなりません。その日に暗唱できなかったらまた次の日にやり直しになります。

──経典を暗記するのは大変でしょうね、コツみたいものはありますか。

そうですね。特に最初のうちは文字の読み方もあまり分からないので、文字の読み方や仏教用語の意味を学びながら暗記しなくてはいけません。この次期が一番大変です。それから暗記はやはり若いうちからはじめると沢山暗記できるものです。年齢を重ねるにつれ暗記力も弱ってきます。子供の時から暗記するのに慣れていると暗記するのも得意になるものです。

ただ暗記をするためには同じ文章を何度も声に出して唱えることが大切です。何度も声に大きな声を出しながら経典を繰り返し読むにつれ、次第に記憶に留まってくるようになります。

もちろん個人差があります。中には何度も唱えないでも暗記できる人もいますし、何度唱えても全く暗記できない人もあります。これは本や経典によっても違います。暗記しやすい経典もありますし、暗記しにくい経典もあります。

──暗記力というのもトレーニングによってどんどん増すものでしょう。

もちろんそうです。毎日暗記していれば、最初は一日に数行しか暗記できなかったのが、一年もたつと何ページか暗記できるようになったりもします。もちろん一日に何十ページも暗記できるようにはなりませんよ。それは文殊菩薩でもないかぎり無理というものです。ただ、やはり暗記学習をしていけばいくほど暗記力は増してくるものです。

──本に書いてあるのに何で暗記しなくちゃいけないのか、と馬鹿らしく思ったりはしませんでしたか。

それは全く思いません。本に書いてあるということと、各自が心のなかにその文章や教えを暗記することは全く異なっています。

いくら本に書いてあるといっても、本をもっていなければ、読むことはできません。本がいつでもどこにでもあるわけでもありません。それに本に書いてあっても本を閉じたらそこで終わりでしょう。

もしも一端暗記しまうのならば、本を閉じてもその内容は自分の心に留めておくことが出来るのです。そういう状態になったら何処に行こうともいつでもその教えを便利に使うことができるでしょう。

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