チベット亡命政府主席大臣ロブサン・センゲ来日歓迎レセプションパーティにおける主席大臣談話(草稿)


作成日: 2012-04-02 最終更新日: 2016-09-23 作成:野村 正次郎

ダライ・ラマ法王の政権委譲に伴いチベットの問題に対しての全責任を担っているチベット亡命政府主席大臣ロブサン・センゲ氏の来日取材の協力ボランティアをさせていただいております。ダライ・ラマ法王代表部事務所のウェブサイトに載せるための原稿を毎日作成しておりますが、その成果の一部をこちらで公開します。

2012年4月1日、東京

「ありがとうございます」「こんにちは」日本語いくつかの単語だけ学びました。今回の来日は三度目になります。 仏教では「3」という数字は縁起のいい数字です。たとえば僧堂の周りを回って右繞するときは3回回りますし、仏像の前で五体投地をする時も3度します。ですので今回の三度目の来日は業の考え方で、とても縁起のよいものだと思っています。

そして今回は首席大臣としてのはじめての来日です。アジア諸国の訪問国のなかでも日本がはじめてとなりました。

四日前ダラムサラを出発する前に、ダライ・ラマ法王に謁見しました。これから日本を訪問する旨をダライ・ラマ法王に申し上げますと「日本には沢山の私の友人・知人がいます。なるべく多くのお会いなるといいでしょう」と、そうお言葉を頂戴しました。先ほどご挨拶をされた方のように歳をとった賢い人間がやってくるのではと期待された方もおられるようが、落胆させて申し訳ありません。私はまだ若く経験もない者に過ぎません。ダライ・ラマ法王からも「みなさまによろしくお伝えください」とのメッセージをお預かりしてまいりました。

ご紹介いただきましたように主席大臣に就任する以前も、頭は多少の白かったのですが、この6ヶ月間で更に白くなることなりました。一年前に来日した時はまだ指名候補者のひとりとしてでしたが、それから何故候補者となりそれからどうなったのかということをまずみなさまにお話させて頂きたく存じます。

私が主席大臣の候補者となった最初のきっかけは、次期主席大臣の候補者を推薦指名するためのウェブサイトに何故か私の名前が候補者として公開されることになったことがきっかけでした。何の間違いか、チベット人たちが主席大臣の候補者を推薦指名するウェブサイトに私の名前が付け加えられていました。そのうちに私を指名候補者として応援するためのウェブサイトが立ち上がってしまいました。

そのようになったので、私も 自分が候補者としてそのまま継続して立候補すべきかどうか、ひどく悩みました。通常の民主制度では、そもそも選挙に出るかどうか、つまり立候補を辞退するという選択も各自の自由としてあります。ですがこのチベットの選挙の場合には、これは自由をもとめる活動の中心となるリーダーを選ぶという性格が強いものです。通常の民主制度でしたら「家族の事情で」といった理由で立候補を辞退することもできるのです。ですがここではチベット人のために自由をもとめる運動から私的な理由で辞退する、というのもおかしなことになってしまうわけです。

そうしているうちに最終的な立候補の決意をしなければならない時になり、ほかの多くの指名候補者が立候補を辞退しましたので、私も辞退した方がいいかどうか悩み、相談するために友人に電話をしました。その時までには名前があがっていたのは、5名で、主席大臣経験者、過去の内閣の大臣経験者、国民会議の議長、ダライ・ラマ法王の秘書官経験者、そして何も経験のないこの私という5名が指名候補者でした。

まず最初に私が電話をした友人に「このままいったらどうでしょうか」と聞いたところ、その友人からは
「あなたに必要なのは、名誉ある撤退という戦略ですよ。他の有力候補者と戦わなければいけないですからね」
そう助言をうけたのです。

次に電話した友人からは「ちょっと二日くらい考えさせてください」と言われ、二日後から彼から電話をもらいました。
「ダラムサラの私の友だちもワシントンDCにいる私の友だちの全員があなたには投票しませんと言ってますよ」
そう助言していただきました。

三番目の友人には直接会って聞いたところ、気の毒そうに私のことを見て「そのままに立候補してすればいいんじゃないですか。だってあなたは何も失うものもないですからね」といってくれました。こういった励ましがあって、そのまま立候補することとなったのです。

ご紹介いただきましたように、 私は小さな小さなチベット亡命難民キャンプで生まれて育ちました。チベットの難民学校に通い、牛と鶏と一緒に生活する環境で育ちました。ここにいるチベット人の方はよくご存知だと思いますが、夕食は毎日お米と豆のスープで過ごしましたし、昼食にはティンモ(蒸しパン)と野菜炒めを食べて育ったのです。そのティンモも安物で、とても固くてきれいなものではありませんでした。床に落としてもはね返るくらいのものです。ニュートンの重力の法則に逆行しているんじゃないかと思うくらい、固い祖末なものだったのです。そのころにはハーバード大学に行くなんて思ってもいませんでしたし、同様に昨年来日した時には、こうして主席大臣になるとも思いませんでした。

いずれにしても友人のアドバイスに反し、私は選挙戦に留まり、そしていまここに来ています。

昨年3月10日チベット民族蜂起記念日まで、私はいづれにしてもダラムサラへと行き、ダライ・ラマ法王のために働こうとは思っていました。ダライ・ラマ法王は政治と宗教の両方のリーダーでしたから、普通の他の国の首相に比べると、法王の下の地位として主席大臣を努めることは少し容易だろうな、そう昨年3月10日に私はダラムサラにいて、ダライ・ラマ法王のスピーチを聞くまではそう思っていたのです。それは最終決選投票の10日前でしたが、その時に法王は「私はすべての政治権力から引退して、次の選挙によって選ばれた人にこれをすべて委譲する」とおっしゃったのです。みなさん想像してください、私がそのときにどんなにびっくりし、複雑な気持ちになったのかということを。そしてチベットの人たちは法王に対して、ダライ・ラマ法王がそのまま留まってくださり、政権を継続していただきたいとの要望をすぐにだしましたし、私もその時に同じように感じました。しかしながら法王は「私はこのすべての政治権力から引退し、次期主席大臣がこれを継続しなければならない」と再度その意志をご表明されることとなったのです。そしてその時に真剣に私も「名誉ある撤退という戦略」を考えましたが、既に撤退の時機には遅すぎました。ですのでこれは私の業だと思い、そのまま選挙に留まることとしました。そしてダライ・ラマ法王のビジョンを継続して掲げてゆかなければならない、法王の期待にこたえてゆかなければならない、そして600万人の内外のチベット人たちの悲願を実現しなければいけない、そう思うようになりました。

このような経緯を経て、昨年8月8日の就任以来、このチベットの悲劇的問題を引き継ぐことなりました。そして実際には更にその後にもっと悲しい悲劇が続いています。

現在までで33名のチベット人が焼身自殺による抗議を行いました。22名の方が命を落とし、また今年になって、8名のチベット人がそれに対する更なる平和的な抗議活動で射殺されてしまいました。

どのような人間にも生きるのか、死ぬのかという選択肢が与えられているものです。

しかし不幸なことにチベット人たちは死ぬというを選択をしています。これは継続的な占領と抑圧に原因があります。チベット人たちは語っています。この占領されている状況は受け入れがたい、この抑圧はもはや堪え難い、彼らはそう語っています。死というチベット人たちの選択、それは本当に悲劇です。

当初私もこれはチベット人たちの絶望の表れだと思っていました。しかし、いまはこれらは確実に純粋な政治的な訴求行為でもあると思うようになりました。悲しく辛い訃報が私のところに寄せられるたびに、このことに対して私は何とかをしなくてはならないと思うようになりました。よく言われるようリーダーシップとは孤独なものです。多くの人と話し合い、さまざまな助言を頂いたとしても、最終的にはひとりで人々がどこに向かっていくのか、というこの決断をくださなくてはなりません。そして私もまた困難な決断と経験をしなくてはならなくなりました。

まずは人間として、私たちはどんな人であっても、決して死ぬことを選択するべきではありません。ですのでチベット政権として、チベット本土にいる人たちに、はやまった過激な行動を取らないよう呼びかけを行いました。しかし呼びかけに反して、チベット人たちは焼身自殺による抗議を続けています。

次に仏教徒として、誰かが自分を犠牲にして命を落とした場合に、命を落とした人たちのために祈ります。ですので私どももいくつかの追悼法要を主催しました。これは焼身自殺でなくなるという悲しみをチベット人が連帯してみなで分ち合うためのものです。彼らがチベットのため、そしてチベット人たちのために自分を犠牲にしたからなのです。

私はいまここにみなさんにチベットからのメッセージをお伝えしなければなりません。実際にすべての焼身自殺者たちは共通のスローガンを掲げています。その第一のものは彼らは「チベットでダライ・ラマ法王が帰還されることを眼にしたい」と訴えています。彼らはこのために死を選択したその願いはここにあります。そしてもうひとつ彼らが表明している声は「チベットに自由を」という訴えです。彼らはチベット人たちためにこれを表明しています。

私に課せられている責任は、このメッセージを友人のみなさまにお伝えすることにあります。古くからの友人、そして新しく出会った友人のみなさまとこのメッセージを共有したいと思います。みなさまもできる限り、これを共有して頂ければと思います。そして少なくとも彼らのためにお祈りいただければと思います。

また焼身抗議という政治的な行為は、世界的なものであるということも付け加えておきたいと思います。

有名な例ですが、1963年ベトナムで、ベトナム戦争に抗議したベトナム人僧侶が焼身自殺による抗議を行ったことが知られています。それに触発され米国でもベトナム人がベトナム戦争反対を訴え焼身抗議を60年代に行っています。チェコスロバキアでも1969年に1名の焼身自殺による抗議行為がありましたし。またアラブ諸国で1名のチュニジア人のを含む、合計14名の焼身自殺による抗議がありました。また中国に関していえば、法輪功の活動家を含めた数名の中国人が焼身自殺を行ったことが知られています。こうした悲劇的な形式はとても悲しいことではあります。しかし現在チベットで起こっていることはこういったことです。

チベットの焼身自殺の場合には、その動機はチベット人たちのためになるという思いにあります。そして誰も傷つけたくないという気持ちも33名のすべての焼身自殺者たちに共通しています。行為それ自体は悲劇です。しかしこれがチベット人たちの闘いなのです。

私は特に現在福島などの地域をはじめとする被災者の方たちと悲しみを共に分かち合いたいと思います。ダライ・ラマ法王も被災地を訪問されて追悼の祈りを捧げられましたし、私たちチベット人もまたお祈りをさせていただきました。

私たちが日本のみなさまのすばらしさとして眼にさせて頂きましたが、日本のみなさまは、道徳心の強さ、そして強い決意を示してくださっています。そして思うにこれが日本のみなさまのもつ強さであり、それはこういった災害が起きるたびに毎回そこから立ち上がってきた経験によっているものだと思います。今日の日本のみなさまのもつ価値とその強さがいままた世界に対して示されています。

私はここにチベットからのメッセージをもってまいりました。 同時にみなさまの心のあたたかさ、決断力の強さといった価値を日本人のもっている価値を学ばせていただいております。この二つを合わせて私たちはチベットの人々を助けることができると思います。

私はただの個人にすぎませんし、みなさまのような長年の友人なくしては、チベットの人たちは現在のように強くあることはできなかったことを考えますと、これまでの長年にわたるみなさまのご支援に深く感謝申し上げたく存じます。

私たちチベット人は「新しい友だちを作らなければいけない、しかしかならず古い友人たちのことも忘れてはいけない」といいます。 ですので、古い友人の方、そして新しい友人の方、まずは本日お集りいただき御礼申し上げますと同時に、みなさまと一緒にチベット人たちの願いを叶えるために共にはたらけるますよう願っております。

みなさまどうもありがとうございました。

(訳・文責 野村正次郎)