2011.04.06

気配り上手

お坊さんたちと接していると、その気遣いの素晴らしさに驚く。相手のことを思いやり、相手が何か欲しいか細かく観察するその洞察力はどこからくるのだろうか。

高僧になると、日常生活を手伝ってくれる僧侶が必ず一人はいる。その僧侶たちは他の僧侶に輪をかけて気配り上手である。己の師や仕えているラマが必要とするものを瞬時に判断する。しかし自分の存在を決して主張したりすることはない。以前、付き添う僧侶の最高峰はダライ・ラマ法王に仕えている僧侶だと聞いてしばらく観察してみたが、確かに細やかで俊敏な動きにも関わらず、決してでしゃばった態度をとられることなく法王の影のように付き添われていた。

龍蔵院の僧侶の人たちも、とても気配り上手である。人が何を欲しているか、自分が今何をすべきかを瞬時に判断される。

「はい、どうぞ」

と、アボさんはみなが欲しているものを必ずさっして差し出してくでる。
ゲンチャンパは日本語があまりお上手ではないが、それでも人一倍気を使ってくれる。重たい荷物があるときは、先頭をきって動かれる。

ゲンギャウさんも、

「お茶どうぞ」

といつも笑顔で迎えてくれる。

それはどうしてだろうかと思う。

一つは、僧侶の人たちは共同生活を営むからだと思う。誰かと必ず関わらなければ行けない社会で、自分勝手にはやっていけない。もう一つは、僧院が体育会系のように縦社会だからだろう。自分の先生や先輩などには決して頭があがらない。

しかし、それだけではなくやはり僧侶が仏教を行じる人というのが大きいのではないだろうか。一切衆生を救うために仏となることを望む人たち。誰かを救うためには、相手が何を欲しているかを確実に知っていなければならない。そしていつも誰かの役に立てるようにと考えておられる。だからやっぱり僧侶の人たちは気配り上手なのかなと思う。気配りもまた己の鍛錬である。

目指せ気配り上手!


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