チベット暦2152年木巳歳11月閏4日(西暦2025年12月24日)、デプン大僧院では、諸尊ならびに僧衆一同の総意によりダライ・ラマ第14世法王猊下を、正式にデプン大僧院の黄金法座主への御就任式ならびに久住請願法要を勤修し成満しましたのでご報告申し上げます。

この度のデプン座主への御就任式に先立ち、まず12月15日より21日までの七日間、加行分として現デプン座主猊下トクデン・リンポチェを金剛阿闍梨とし、2名の前デプン座主猊下、ゴマン学堂管長、ロセルリン学堂管長、ラトゥー学堂管長、各学堂所属の化身ラマ、ゲシェーたち会集200有余名が結集して、如意輪白多羅尊による福寿長命の成就法を勤修しました。
12月24日午前8時より開催された就任式典に際して、公立サンボーダ校のタシ舞踊部が奏楽の供養を行い、デプン大集会殿経頭ケルサン・ツェリン師以下僧集一同により『師瑜伽無縁頌』(ミクツェマ)を重誦し、法王猊下を奉迎しました。その後デプン大僧院の開創者ジャムヤン・チュージェに対する礼懺祈願文『文殊法主請願偈・功徳曼荼羅偈』(ユンテン・キルコル)を僧集一同は諷誦し、引き続きガンデン座主猊下・東北両頂法主猊下による身口意の三依の曼荼羅奉供が行われました。




次に、宗祖ジェ・ツォンカパ大師からガンデン座主が継承されたことに対してケードゥプジェ・ゲレクペルサンポが礼讃文を表した『瑞祥勝師讃偈梵音』を一同が諷誦し、デプン大僧院の一同が正式にダライ・ラマ法王猊下をデプン座主へとお迎えする儀式の核となる部分が勤修されました。

引き続き献茶供が行われた後、現デプン座主トクデン・リンポチェ師により、ダライ・ラマ法王猊下をデプン大僧院の開創者ジャムヤン・チュージェの名代として奉迎する旨の宣言が行われ、その記念として、ジャムヤン・チュージェの尊像が法王猊下に奉献されました。



引き続きラトゥ学堂長・前学堂長によりダライ・ラマ法王猊下の御卒寿を奉祝する記念品として輪宝が奉献されました。デプン座主トクデン・リンポチェからの表白として、法王猊下がこれまで亡命された後にもデプン大僧院に何度もご行幸され、法輪を無量に転じて来られたことへの謝辞とともに、この度ジャムヤン・チュージェの名代として、歴代ダライ・ラマ法王と同じく黄金法座へと奉迎する機会を得たことは、無比なる栄誉であり、今後数万刧に渡り、そのままデプン座主として久住し給われるよう要請申し上げ、法王猊下の久住請願文や仏法興隆祈願文などが唱えられました。
就任式典ならびに久住請願法要には、ガンデン座主父子をはじめ、ゲルク派の主要学堂の管長・前管長ならびに化身ラマ、ボン教メンリ座主、チベット亡命政権裁判長、議長、ドーグリン難民居留区長をはじめ僧俗を問わず多くの賓客が参列され、結行としては、法王猊下の久住請願のためにデプン座主第十世ダライ・ラマ二世ゲンドゥン・ギャツォによる教主釈迦牟尼如来が十六羅漢に自らの教えを託した故事に因んだ礼讃偈『上座羅漢礼拝供略次第』が唱えられた、釈尊ならびに十六羅漢をはじめとし、甚深見次第・広大行次第等脈々と続く法脈の師資に対する灌仏を行じられ、久住請願のための福寿成就ならびに授記のため天部護法尊ネーチュンが降臨し、福寿丸をはじめとする飯食の供養が行われ、ジェ・ツォンカパ大師の無量寿仏に対する讃、仏菩薩による菩薩衆の化現が衆生を利益し、如来の教法を護持し、教法が久住するための祈願文、真実の請願文、教法燦然祈願頌、無能勝幡王如来荘厳陀羅尼、師瑜伽無縁頌が諷誦されつつ、法王猊下は大集会殿脇陣の天女堂(ラモ・ラカン)にてパルデン・ラモをご参拝になられた後、デプン大集会を御出立なさり、現在のご滞在所であるゴマン学堂問答法苑の御寝所へとご帰還になりました。
















また午後2時からは両学堂の各集会殿にて、各学堂の僧侶全員ならびに、現在デプン大僧院で開催されている冬季因明大会に参加している2700名も加わり、ジェ・ツォンカパ大師の根本聖典『了義未了義決択善説心髄』が諷誦され、すべての法要が成満しました。
デプン大僧院は、現在ゴマン学堂、ロセルリン学堂、デヤン学堂、ガクパ学堂と四学堂があります。各学堂は、代表者である管長(ケンポ)、儀式の主宰者である経頭(ウンゼー)、在籍する僧侶の風紀責任者である維那(ゲクー)の三役がおり、その上で各学寮の代表者、学堂全体の運営寺務を行う執行(チャンズー)がおり、それに加えて十六学寮(カンツェン)の代表者を加えたものがゴマン学堂の役員、最高意思決定機関となります。
現代デヤン学堂はほぼ名義のみとなっており、ガクパ学堂は極少人数がデリーに在住していますが、デプン大僧院の近隣にはラトゥー学堂が完全なる別組織としてあります。デプン大僧院は布薩・安居・自恣といった僧院に必要な根本の三儀軌を常時行っておりますが、僧侶全員はいずれかの学堂に所属しており、根本の三儀軌を行う際には、大集会殿(ツォクチェン)において、ゴマン学堂・ロセルリン学堂が共同で運営している「上位総会」(ラチ)という組織が主催します。この上位総会組織には、各学堂の管長、両学堂から選出された二名の風紀責任者(シェルゴ)や共同運営委員(チソ)が所属し、その最高責任者が戒師座主(ケンポ・ティパ)となり、戒師座主は通常僧院の戒体護持の責任者ですので、布薩などの際には『波羅提木叉経』を諷誦し、僧院所属の僧侶はすべてこの戒師座主の面前で月に二度懺悔しなくてはなりません。ただし座主が長期間僧院を不在にする場合や年齢的に儀式を行えない場合には、代理人を立てることが歴史的にも可能です。
これまで代々ダライ・ラマは、ジェ・ツォンカパ大師が前世で釈尊から授かった法螺貝を高弟ジャムヤンチュージェに僧院の所依として授けられたものの正統な継承者として、歴代デプン大僧院の最高指導者である座主となって来られました。これまでもダライ・ラマの代替わりがある場合、新しい再臨者は必ずデプン・ガンデン宮殿の主人として迎えられて、その後デプン大僧院に正式に入門する「入法儀」(チューシュク)を行った後、デプン・ゴマン学堂サムロ学寮に所属しながら、学問の研鑽に励み、後にデプン座主、金剛法座の主として迎えられてきました。
現在の第14世法王猊下も亡命前のチベット・ラサのデプン大僧院に入門し、その後、伝統教学課程を修了され、1959年にラサで「ゲシェーラランパ」の学位を取得されました。その後、インドに亡命され、デプン大僧院の当時1万人程在籍していた僧侶たちの中でも300名程の僧侶たちとデプン大僧院の僧院としての活動をインドにて復興され、その後長い年月を経て、このたび歴代のダライ・ラマと同様にデプン黄金法座主へと就任なされました。
現在もチベット本土では不安定な状況は続いておりますが、今後第十五世、十六世と化身の化現を継続される場合には、この度14四世法王猊下が座主として就任なされたインドに復興されたデプン大僧院に奉迎され正式にダライ・ラマの再臨者として、パルデン・ラモ等の諸尊たち、ならびにデプン大僧院の僧侶たちによって正式なダライ・ラマの次世代の後継者として広く承認されることとなります。この度のデプン座主への就任は、次世代のダライ・ラマ制度の継続のために必須の手続きと言えます。
以前からダライ・ラマ法王猊下は「前世で私はデプン大僧院初代座主ジャムヤンチュージェであったことは明確に回想出来ることです」と仰って来られたように、この度正式に名実ともにデプン座主に就任なされた事もあり、翌日12月25日には、早速デプン・ゴマン学堂問答法苑にて、ゴマン学堂、ロセルリン学堂に在籍する51名の僧侶に二百五十三戒よりなる具足戒を授けられました。授戒にあたり法王猊下は「今日この世界では釈尊の教法が五濁悪世により衰退しつつある時代にいますが、私たちは、しっかりと教えを守って本当の意味で教法の継続のための重責があり、それを実現できるようお祈りしています」と新しい比丘たちへ激励なされました。










歴代デプン座主

チベットのデプン大僧院の歴代座主
- ジャムヤンチュージェ・タシパルデン
- パルデン・センゲ
- リンチェン・チャンチュプ
- ジェ・モンラム・パルワ
- ジェ・ウォンサン・ニマ
- ロントン・ロサン・タクパ
- ニェンポ・シャーキャ・ギャルツェン
- ジャムヤン・ガウェー・ロトゥー
- トンパ・ケツン・ヨンテン・ギャツォ
- ダライ・ラマ第2世ゲンドゥン・ギャツォ
- パンチェン・ソナム・タクパ
- ダライ・ラマ第3世ソナム・ギャツォ
- ダライ・ラマ第4世ヨンテン・ギャツォ
- パンチェン・ロサン・チューキ・ゲルツェン
- ダライ・ラマ第5世ガワン・ロサン・ギャツォ
- ダライ・ラマ第6世ツァンヤン・ギャツォ
- ダライ・ラマ第7世ケルサン・ギャツォ
- ダライ・ラマ第8世ジャンペル・ギャツォ
- ダライ・ラマ第9世ルントク・ギャツォ
- ダライ・ラマ第10世ツルティム・ギャツォ
- ダライ・ラマ第11世ケードゥプ・ギャツォ
- ダライ・ラマ第12世ティンレー・ギャツォ
- ダライ・ラマ第13世トゥプテン・ギャツォ






インドに復興されたデプン大僧院の歴代座主










