2020.10.11
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

悲痛を冷却する月影に明日を

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第140回
訳・文:野村正次郎

夜 私の心に海のなかから

新しい善説の月影は降臨する

世間の無明の闇を取り払い

悲痛の傷みを和らげんことを

この善業で三界に光を放つ

純潔の賢き衣を護るものにより

九つの場所の生物の善意が拡張され

教法の大海がより一層増広せんことを

140

夜の闇、光り輝いている月は、どんな星よりも強く、どんな星たちよりも明るく輝いている。それは闇を所在不明なもとし、星雲の輝きの饗宴の中心軸となっている。月の出現は、夜をもたらし、大地の熱を冷却する。太陽の下であちこちを奔走していた生物は、しばらくのあいだ休息するため、所作を少なくし、呼吸の間隔を長くしていく。私たちは闇に怯える必要はない。夜は静かにはじまり、月は静かに出現し、私たちの視界も精神も決して闇だけに覆われて、恐怖に慄く必要がない。

湖には、月影に咲く花が開き、天空と地上、そして地底空間までもが照らされる衣、それは自らを律しており、決して他者を傷つけることをしないと誓ったことを象徴する如来や菩薩たちの着用している美しい衣のことであろう。この世にどうあるべきか、明日をどう生きるべきか、を問いかけ、こうではないかと思ったちいさな善意を、そんな美しい衣を羽織ったものたちが後押ししてくれる。

ひとつひとつのちいさな水滴のような善なる営みは、如来や諸尊の広大なる菩提心という意志の大海へ流れこみ、海の水をすこしだけ増やしながら、私たちの小さな善意は海の水と一体となり、決してなくなることのない、無限の水源へと変化する。そのことにより、私たちの善意が決して無駄にはならないこと、不滅の永遠となるように命令するかのように祈りと合流するのである。

私たちは今日という日をやり直すことはできないが、明日という日はまた違うあり方ができる。明日という日へ希望を繋いでしばらく休息する時、それが今日という日の夜であり、ここにはいつも智慧という月影が差し込んでくれている。だからこそ私たちの明日はきっと明るいものであると感じることができるのだろう。

本偈はこのチベットの詩篇を締めくくる廻向のことばである。この詩篇は、私たちに大切なことは何か、と問いかけるその答えが、水を視つめる私たちの眼差しとともにあることを教えてくれてきた。この詩篇をしめくくる側に、私たちのやまと歌を載せておこう。

月やあらぬ春やむかしの春ならぬ
我が身ひとつはもとの身にして

在原業平

今日という同じ日常を生きてきた私たちの身体は滅びゆくものであるが、明日という新しい日を迎えるため、夜の月影でしばらく休息し、明日からもまた、私たちの心は無限に発展しつづける可能性を永遠にもちつづけているものである。


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