2020.10.10
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

女神の歌を伝える渡鳥たちは舞いあがる

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第139回
訳・文:野村正次郎

恵み巡らす海は輪となって

遊び戯れる雁は歌を奏でてる

妙なる善きこの詞が波をたて

その調べで何もかもが舞うだろう

139

水の通り道には、龍たちが移動し、水のあるところには智慧を本体とする女尊たる弁才天が出現する。弁才天は琵琶で美しい音楽を演奏し十方にその響きが共鳴する。海上には静かにやさしい波が立ち、その波の紋様に合わせて、すべてのもの、すべての生命が揺さぶられ、その旋律に呼応するかのように舞いはじめる。

高く聳えるヒマラヤをインド雁たちが超えて往来するように、インドで説かれた釈尊のことばは、観音菩薩の所化の住んでいる国チベットへと渡ってゆき、更に北はモンゴル、ロシアへと伝わっていった。また同時に東へと渡り、文殊菩薩の聖地である五台山の麓の国、中国へと伝わり、漢字文化と共に朝鮮半島やこの私たちの住んでいる日本にも伝えられている。日本では安芸の厳島、琵琶湖の竹生島、そして江ノ島に弁才天たちは拠点を構えており、いまもその地は三大弁天として親しまれ、水上の管弦が奏でられ奉納されている。

弁才天(サラスヴァティー)は、速疾の智慧の天女として名高いが、元々は、いまの娑婆世界ができあがってはじめのころ、須弥山の南の海はすべて甘露を本質としており、その海に十方から風が吹いたことから、波がたち、その波のたてる美しい音曲が地上、地中、大地の三つに共鳴したものが、ひとつに集積した音楽そのものの集合体から生まれた天女である。その美しい姿が奏でる音楽と歌があまりにも素晴らしかったので、この現象を創造した梵天(ブラフマン)は自ら弁天を娶ろうと求愛活動のあまり、梵天には四方に四つの顔ができたとも言われ、ヴェーダ聖典の昔から弁天の物語には諸説があるが、仏教でも古代インドの宗教からヒンドゥー教まで同じように信仰されている。

特に仏教では観音菩薩の犬歯から生じた女尊であり、その本体は文殊菩薩の母君であり、すべての諸仏の御心の迅速な智慧が本尊の姿をとって現れたものであり、迅速な智慧すなわちすべての活動の化現したものであり、仏教徒も外教徒の両方が、弁才天と一体である財宝天にも信仰を寄せていることから、財宝天としても一般にも大変人気があり、文殊菩薩に関係し、ことばに関して自在である、ことばを司る本尊であるため、すべての学問の女神でもあり、文学や音楽、詩学や韻律学の女神である。

観音菩薩・金剛手(上)/弁才天(中)/毘沙門天・パルデンラモ(下)

日本には市杵島姫命(イツキシマヒメ)と天照大神が素戔嗚尊と誓約を交わした時に、噛んだ素戔嗚の剣が霧となりそこから出現した三人の女神のひとりとして出現し、神の島を守る巫女である女神として、いまも安芸の宮島・厳島を中心とする日本全国五百箇所の厳島神社で祀られている。明治以降は弁才天の像は神仏分離により、厳島神社を出たすぐの場所に移転され、その本地仏である観音菩薩は、弥山の頂上から麓にかけてある大聖院の観音堂に安置されており、いまもその観音菩薩の正面には、デプン・ゴマン学堂の僧侶たちが建立した観音菩薩の砂曼陀羅が誂えられており、その横の弥勒堂は、ダライ・ラマ法王によって開眼されたデプン大僧院の弥勒仏を中心とし、作怛特羅から無上瑜伽怛特羅の諸尊を祀り、我々の会でもそこを交流活動の中心拠点として、これまで二十年間に渡って活動をしてくることもできた。

弁才天は観音菩薩の犬歯から生まれたと伝えられくらい深い縁で結ばれており、観音菩薩がすべての衆生を救済する慈悲の化身であるように、弁才天はその慈悲を具体化する諸仏の活動の化身である。ダライ・ラマ法王とチベットの護法尊であるパルデン・ラモは弁才天の忿怒形でもあり、ラモラツォ湖にいまも住んでいる。神々たちの仔細については、我々のような凡夫の知の及ぶところではない。

いずれにしても如来の愛と慈悲に満ちたことばの旋律をもつ歌は、容姿淡麗なる絶世の美女たちが奏でてきた歌である。歌姫たちが歌う慈悲と智慧の美しい歌とその詩は、その場の空間と時間を一瞬にして変える力をもち、直截的に私たちの心に響き、人の心を一瞬で豊かにし、歓喜が溢れ出し、天地をも動かす力をもっている。そして、その歌はどこまでも気高く美しい歌である。

如来のことばの管弦楽曲を伝えて天空を舞いあがる、渡鳥インド雁

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