2020.10.09
ལེགས་པར་བཤད་པའི་ཆུའི་བསྟན་བཅོས་ལུགས་གཉིས་རླབས་ཕྲེང་བརྒྱ་ལྡན་

尽きない水の惑星に棲んでいる

『水の教え・波打つ数の二つの教え』を読む・第138回
訳・文:野村正次郎

世間の気高い営為から

顕密の道次第にいたるまで

ひとつもので喩えたこの表現は

善き物語が化現した大海である

138

空の青さを追いかけて、浜辺に座り、水平線をみつめる人がいる。あるいは、山を降りてきて、海辺へと行き、向こう岸の島があることを知る人もいる。私たちは巨大な海に囲まれた、ちいさな島に佇んでいる。巨大な海は雲となり、雨を降らせて河となる。

山の近くの方に降らせた雨は、そのあたりの人たちに恵みをもたらし、作物を育てることを可能にする。あるいは家畜に水を飲ませることができるようになり、時には、作った穀物や果実を発酵させて、酒をつくっては酔って歌を歌わせる。生まれてきたちいさな生命を渡したちは水で洗ってあげることからはじめ、去りゆく人に手向ける水で別れを告げながら眼には涙という水が溢れてくる。

いつも私たちのすぐ側に水があり、この水でできた星に私たちは住み続けている。この星の水は姿を変え様々に化現しているが、決して尽きることなく、私たちは語りつくせない永遠の善き物語に耳を傾ける。

この物語は、孤独にひとりで泳ぎ続ける魚たちの物語ではない。陸の上に住んでいる渡したち人類の、苦しみも悲しみも、そして何よりも歓びを分かち合う智慧と慈悲の物語である。ほんの少しだけ海から離れているところに私たちは棲み、巨大な海に呑み混まれることがないように、互いに助け合い、笑いながら暮らしている。

風にのってどこかに飛んで行き、空の果てを目指さなくてもよい。愛するすべてのもののため、水の在処からはじめて私たちは語りあう。私たちの発することばが面白く意味があることは、水の在処とさまざまな変化が他の誰かに役にたつことである。

私たちのすぐ側にはいつも水があるように、仏のことばも私たちの側にいつもあり、やさしい口調で善き物語を話している。我々と共にある恵みの水が尽きることがないように、仏のことばも広大で決して尽きない大海原からやってきている。

釈尊のことばはこの水の惑星の北へ、東へと残響してきたものである


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